2018年3月31日土曜日

20180331 主に書籍からの抜粋引用『Sapiens: A Brief History of Humankind』pp.131~132 Written by Yuval Noah Harari 

昨日投稿分記事にて述べたように本日は書籍にあった興味深い記述を抜粋引用します。また、つい先日、この記述内容に対してより精確な理解を得ようと、同著和訳版を読んでみますと、『objective』は客観的、『subjective』は主観的、そして『inter-subjective』は共同主観的と訳されていました。
これは『なるほど』と納得出来る訳ですが、当初自身は、大体同じような感じではあるのかもしれませんが『objective』は対象化された、『subjective』は個々に課せられた、『inter-subjective』は共通して個々に課せられたと訳して読んでいました・・(笑)。ともあれ、こうした半解の状態にて他言語にて書かれた著作を読み進めている時の感覚とは、母国語のそれを読む進めるのとまた異なった面白さがあるように思われます。

Sapiens: A Brief History of Humankindpp.131~132

Written by Yuval Noah Harari  


ISBN-10: 0099590085
The imagined order is inter-subjective. Even if by some super-human effort succeed in freeing my personal desires from the grip of the imagined order, I am just one person. In order to change the imagined order I must convince millions of strangers to cooperate with me. For the imagined order is not a subjective order existing in my own imagination of thousands and millions of people.

 In order to understand this, we need to understand the difference between objective, subjective, and inter-subjective.

 An objective phenomenon exists independently of human consciousness and human beliefs. Radioactivity, for example, is not a myth. Radioactive emissions occurred long before people discovered them, and they are dangerous even when people do not believe in them. Marie Curie, one of the discoverers of radioactivity, did not know, during her long years of studying radioactive materials, that they could harm her body. While she did not believe that radioactivity could kill her, she nevertheless died of aplastic anaemia, a disease caused by overexposure to radioactive materials.

 The subjective is something that exists depending on the consciousness and beliefs of a single individual. It disappears or changes if that particular individual changes his or her beliefs. Many a child believes in the existence of an imaginary friend who is invisible and inaudible to the rest of the world. The imaginary friend exists solely in the child’s subjective consciousness, and when the clild grows up and ceases to believe in it, the imaginary friend fades away.

 The inter-subjective is something that exists within the communication network linking the subjective consciousness of many individuals. If a single individual changes his or her beliefs, or even dies, it is of little importance. However, if most individuals in the network die or change their beliefs, the inter-subjective phenomenon will mutate or disappear. Inter-subjective phenomena are neither malevolent frauds nor insignificant charades. They exist in a different way from physical phenomena such as radioactivity, but their impact on the world may still be enormous. Many of history’s most important drivers are inter-subjective: law, money, gods, nations. 』

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨今より
現在までに列島各地にて発生もしくは現在も継続して生じている地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被災された(されている)諸地域の安全の確保そして復興を祈念しています。



~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5







2018年3月30日金曜日

20180330 読む書籍から記事作成への影響について

昨日投稿分の記事も思いのほか多くの方々に読んで頂きました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、つい先日に投稿翌日での最も多い閲覧者数を更新したばかりでもあり、それらのことを踏まえると、ここ最近はまた閲覧者数が増加しつつあるのかもしれません。そしてそれは明日に出る今月の閲覧者数により確認することにします。くわえて、総投稿記事数も今月内での目標としていた940記事にまで届き、現在の投稿ペースを維持することにより5月内に1000記事に到達することも可能であると云えます。

昨今においても時折は記事作成をかなり面倒に思うこともありますが、人と話し、書籍を読むことにより、どうにか毎日の記事作成は出来るようになってきたようにも思われますので、今後は何らかのカタチでさらに洗練させ、より簡潔明瞭にして内容のある文章を作成することが出来るようになりたいと考えています。また、以前にも述べたことがあるかもしれませんが、自身の作成する文章とは、その時に読んでいる書籍の文体からの影響を少なからず受けるようであり、先日読了した『文明の衝突』は、こなれていて読み易くはあったものの、やはりその文体は英文和訳の態を残しており、その意味で、当著作を読んでいた期間とは、何と云いますか柔らかな日本語の文章を書くことが困難であったように思われるのです・・。そして現在は何人かの著者による主に民俗学関連の著作を読んでいますが、これらは全て邦人の手による著作であるためか、文章も大変読み易く感じられ、さらに現在作成している当記事もまた、花粉症により目鼻の調子は万全ではないものの、ある程度流れに乗って作成しているといった実感があります。

そしてこうした感覚とは、文章を作成する側としては(面倒な)文章作成を容易にすることから、たしかにありがたいものであるのかもしれませんが、他方で一つ一つの言語を選び、それらを積重ねて入念に文章を作成していくといった方法、あるいは必然的にそうなってしまう時期もまた『それを乗り越えることが出来る』という前提があれば、大事であり且つ実り多いものであるように思われます・・。

しかし、実際にそうした時期にある時は、そのようなことを考えることも出来ず、ただただ呻吟しながら文章作成をしていたといった記憶があります・・。また、面白いもので、そうした時期に作成された記事とは、文章的にはその状態を匂わすことがなくとも、それとは別の種類の記憶・認識により大体は想起出来るようです・・。

おそらく、これもまた記事作成の継続による余禄であるのかもしれませんが、なかなか面白いと云えます。

そういえば、冒頭に述べた昨今の閲覧者数の増加に関連することであるかもしれませんが、以前にSNSと当ブログの連動を開始した時期より、いくらか閲覧者数が増加し、また機器別に見ますとIPhoneによる閲覧者数が急激に増加していますが、これもまた、何らかの変化を示すものであるように思われます。そして、偶然であるのか、本日帰宅の電車内にて読んでいたユヴァル・ノア・ハラリSapiens: A Brief History of Humankind』内の記述が興味深く、またいくらかこれまでに述べた内容とも関連があると思われたため、明日、その記述部分を抜粋引用してみようと思います。また、以前にも述べましたが、この著作は全体の三分の一程度まで読み、その後しばらく放置し、そして最近また読み始め次第であるのですが、たとえしばらくのブランクはあるものの、また再開して読み始めますと、既読部分の記憶がある程度は甦るようであり、これはこれでまたさきに述べたことと類似して面白い現象であるように感じられました・・(笑)。

やはり出来る限り、自身が多少がんばって読み進める程度の外国語文献は読み続けた方が良いのかもしれません・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨今より
現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被災された(されている)
諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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20180329 理系・文系 優れた才能について思ったこと・・

以前より時折ブログにて述べてきましたが、理系分野・文系分野それぞれを得意とする方々とは、基本的な思考回路のようなものが異なるのではないかと思うことが多々あります。一方で、しばしば『理系・文系と分けない方が良い』といった御意見を聞くことがありますが、自身の実感としては、やはりそれぞれの思考回路、さらにはそこから生じる行為態度にも傾向的な相違らしきものがあるように思われるのです。

また、同様にそこに起因することですが、ある種の優れた理系研究者・科学者に関しては、そのハナシ方にも特徴的な傾向といったものがあるのではないかと思われるのです。具体的には早口気味で声がやや甲高く、そして話す際に(幾分大きな)身振りが付随するといったことではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そしてまた、こうした傾向・特徴は看取することは比較的容易であると思われるのですが同時にそれは実質・内実を伴いつつ真似・演技することは困難ではないかと思われます。それ故、こうした傾向を話し手が帯び始めると、聞き手はそこにある種の異常性(卓越性)らしきものを知覚し、そしてそのハナシを聞いているうちに『・・ああ、これは極めて理論的・学術的な内容を相当な速度にて話しているのだろうが、しかし不思議なことに、これは相当な速さで話しているにも関わらず、私はそのハナシを理解しつつ聞いているぞ・・しかも、このことは今まで明瞭に理解出来たことがなかったのに・・そうすると、今話しているこの人物は一体何者だろうか・・?』といった感じでついつい引き込まれていくといった現象が生じるのではないかと思われます・・(笑)。

ちなみに現在思い返してみますと、自身の文系分野の師匠は、文系学問を専攻としているにも関わらず、こうした傾向を強く持たれていると記憶しています。それ故、こうした傾向とは、明瞭に理系分野においてのみ見受けられるというわけでもなく、冒頭にて述べた意味での『傾向的な相違』として『理系分野において多く見受けられる』といったところではないかと考えます。

さて、それに対して文系分野における優れた才能とは、理系分野ほど明瞭には看取することが困難であるように思われます。そして、それはある程度の期間をかけて観察し理解・納得していくといった過程が不可欠ではないかと考えます。また、そうした観察を通じ、その主張・述べる内容と現実社会にて生じる現象の適合性・相似性の質が問われるといったことが文系分野一般における優れた才能なるものの試金石となるのではないでしょうか?

おそらくこれは詩文であれ社会科学分野における著作であれ共通の価値基準となるものと考えます。そしてまた、その適合性・相似性の質の対象となる時間の長さもまた重要であり、それが長ければ長い程、普遍的な意味での価値もまた増大(射程の長い考えとして認識される)していくのではないでしょうか?

つまり端的には、文系分野における優れた才能とは、必ずしも看取し易い突出・異彩を放つといったものではなく、ジワリジワリとボディ・ブローのように心身に効いてくるようなものであることが多いのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、その一方において、おそらくこうした文章表現にて文系分野の優れた才能について述べることに関しては懐疑的なほどに理想家肌であるといった傾向もまた彼らにはあるように思われるのですが、さて如何でしょうか・・(笑)?

いずれにせよ、自身は理系・文系双方極めて重要であると考えますが、しかし同時に、これまでのような中・高等教育におけるような文系・理系のあり方とは、もう少し考え直しても良いのではないかと思うのですが、さて如何でしょうか。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、あるいは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った
(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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2018年3月28日水曜日

20180328 940記事到達 長い射程を持つ哲学・思想の重要性・・嬉戯・絶対矛盾的自己同一性?

昨日投稿分の記事も一昨日ほどではありませんでしたが、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いたみなさまどうもありがとうございます。また、実際にこうした経験をしますと、作成した記事の面白さ(より多くの方に読んで頂く)は、それぞれ異なるということがあらためて実感させられます。

そしてまた現在も、出来れば、より多くの方々に読んで頂ければと、どこかで思いつつ記事を作成していますが、他方、それのみに多く捉われて記事を作成するようになってしまいますと、本末転倒な事態となり、次第にブログ記事の作成自体そのものを嫌悪するようになってしまうのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

それ故、こうした事態においては、一種の価値配分のバランス感覚らしきもの、あるいは、一種の鷹揚さ・図太さらしきものが重要になってくるのではないかと思われます。

つまり、作成した記事が、ある程度多くの方々に読んで頂いているといった自覚と、その自覚に立脚して出来るだけ良い文章を作成していこうとする姿勢と、さらに、それらを併せた認識を持ちつつも、それをあまり気にしない鷹揚さ・図太さといった感じであり、これもまた、以前のブログにて述べた絶対矛盾的自己同一性といったものの一つであるようにも思われてきます・・。

そして、我々が何かしらの習熟を要する活動を行うに際し、それを習熟・上達したと認識し得る時の多くとは、自身の内面において絶対矛盾的自己同一性の認識に近いものがあるとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、こうした矛盾したさまざまな要素の存在を自身内面において包含しつつ、それらが内面にて葛藤することにより、外界に対する我々の活動(アウト・プット)の多くとは為され、また、そうした背景を持ちつつ活動することにより、その活動に対して深さが認められるのでしょうが、おそらくこれが人工知能であろうが機械と我々人間の精神との間にある大きな違いではないかと思われるのです・・。

また、現在においては純粋に功利的と見做されるような活動の多くも、その始原においては、原初的な精神に基づく嬉戯のようなものであったのではないかと思われるのです・・。そして後に効率性・利潤が追求されるようになりますと、機械による自動化、人工知能により肩代わりされるようになるのですが、おそらく現在の我々は、まさにこうした時代であるからこそ、さきに述べた原初的な精神に基づく嬉戯としての活動を思い起こし再び体得する必要性があるのではないかと思われるのですが如何でしょうか?

そして、長い射程を持つ哲学・思想とは、こうしたことをも、その基礎に踏まえているのではないかと思われるのです・・。その意味において古くから社会に根付いた宗教といったものは、それなりに誤謬をももたらすのかもしれませんが、それでもやはり大きな価値もまたあるように思われるのです・・。

さて、おかげさまで当記事の投稿により総投稿記事数が940に到達しました。今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年より現在までに日本列島各地において発生した、あるいは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。



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2018年3月27日火曜日

20180327 叙情的・叙事的そして詩的・散文的の間に存在するある程度意味のあるコトバの連なりとは・・

驚くべきことに昨日投稿分の記事は投稿翌日にして300人以上の方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、これはこれまでに作成・投稿してきた中で最高の(投稿翌日での)閲覧者数であり、自身としては嬉しいと同時に、本日投稿分の記事に関しては、一体何を書けば良いであろうかとも思うに至ります(これは自身としては『バズった』と評しても良いのではないかと思われます・・)。

ともあれ、国際政治学分野の著作読了直後、民俗学分野の著作を読んでいる状態にて作成した、部分的には抽象的ともいえる文体の記事が、これだけ多くの方々に読んで頂けたということの背景には、単なる偶然ではなく、やはり何らかの『理由』といったものがあるのではないかとも思えてくるのです・・。

その『理由』について考えてみますと、一つにそれは日常的なレベルにおいて考えることが出来るような学問分野を持つことではないかと思われます・・。

そして、このように自身が認識し得る学問分野を持ち、そして、そこからの視座に基づいた見解(時にはいくらか抽象的であっても)をコトバの連なりとして表出することは、なかなか重要なことではないかと思われるのです。

そこで表出されたものは一面においては叙情的であり、他面においては叙事的でもあり、そしてまた同時にそれは詩的なるものと散文的なるものの間(はざま)に位置するのではないかとも思われるのです・・。そしてまた、それは単に『それらしい』ことを述べた皮相的なコトバの連なりとも一線を劃するのではないかとも思われます・・(面白いことにこうしたコトバとは男性の場合、二枚目・面相の優れた方々が述べると途端に胡散臭くなるような傾向があるのではないかと思われる・・(苦笑))。

また、これまでにも何度か述べてきたことではありますが、こうした感覚とは、自身をも含めて万人にとって不可欠であるのか分かりませんが、もしも、こうした感覚を得ようと試みるのであれば、それはさまざまな書籍・文献を読み込むのと同時に、ここからは私見ですが、手指を多用する理系学問分野の実験にある程度の期間従事することが有効ではないかと思われるのです。

そこで必然的に注視する実験の様子(動態)を言語化し、さまざまな段階の周囲の方々に『精確』に伝えようと試みることは、単にコトバの選び方のみならず、また礼儀作法とは異なったある種、原始的な能力が必要であり、それは我々が生身の人間と相対する必要性がある限りにおいては有効な能力でもあると考えることから、そのように考える次第であるのですが、しかしながら他面において、こうした能力に対して、我が国においては、古来よりそうした傾向があるのか、あるいは表層的に男女の平等化が為されつつある現在であるが故に特にそうであるのか分かりかねるところですが、それはある意味『強烈』とも評し得る要素でもあることから、排除されるといった傾向をもまた持っているのではないかとも思われるのです・・。また、この辺りに関しては平安時代末期の京都公家社会と同時期の地方武士社会の比較・接点そしてその後の歴史の経緯などを考えてみますと、ある程度図式化され得るのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年から現在までに日本列島各地において発生したあるいは今現在も継続的に発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った
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2018年3月26日月曜日

20180326 国際政治学の著作のあとに民俗学の著作を読んでいて思ったこと・・

つい先日、サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上下巻を読了し、その後は民俗学分野の著作をいくつか拾い読みしつつ現在に至っています。そして今後はさらにそれらから絞り込まれていくのではないかと思われます。また他方で先日まで前述の国際政治学分野の著作を読んでいた自身が、突如として民俗学分野の著作へと切り替え、読み進めていく作業とは、意識してみますとそれなりに(少なくとも当初は)面倒なものであり、また、以前の自身であれば、こうした著作分野間の断層も現在ほどは気にしないで読み進めることが出来ていたようにも記憶しています。これは年齢の為であるのでしょうか、あるいは現在の季節特有の花粉症による目鼻の不調に因るところが大きいのでしょうか?はたまた、ブログ記事作成の継続による一つの負の効果であるのでしょうか・・?

ともあれ、その何れであったとしても、こうして自身の文章を作成することは出来ていますので、ブログ記事の作成を始めた時期に比べれば随分と良くなったのではないかと思われます・・。

さて、さきにも述べましたが、つい先日国際政治学の著作を読了し、その後民俗学分野の著作を読んでいますと、ある程度明瞭に感じ得ることは、自身にとって民俗学とは日常的な感覚の延長線上にあるということです。

つまり日常の不図した時に思いつく考え、思考のパターンあるいはこれまた日常的に他者より見聞きするそうしたものと、民俗学分野の著作・文献内の記述が何かしらの関連・類似性を匂わせるのです・・。

これを異言しますと、自身のあるいは他者から見聞きした日常的な感覚の歴史的な意味での普遍性・共通性を民俗学を通して感知し得るといったところになるのでしょうか・・?

また、民俗学分野の著作・文献内での記述にある伝承・伝説とは、かなり古くからのものも珍しくないことから、そこから歴史学からの検証もまた行うに足るようになり、そして、それがある程度史実に沿う伝承・伝統であったとすれば、それは貨幣的な価値にて換算することは困難であるのかもしれませんが、その伝承・伝説には『かなりの価値がある』と評し得ると考えます。

面白いもので、こうしたものの多くとは貨幣的な価値として換算し、保存などを試みる場合、まさしくそうした意図・手法にて保存することにより、ホンモノでなくなっていくように思われるのです・・。また、これまた面白いもので、こうした構図の認識を逆さまに用い、今度は、そうした価値ある伝承・伝説の発見が各地で相次ぐようになるのです・・(笑)。

おそらく、それらは捏造ばかりではないと思われ、また、こうした一種の凝集性らしきものも、一つの時代精神を映すものであると思われるため、それはそれで良いのではないかと考えます・・。

そしてまた、古来より我が国にそうした性質があったことから、東北北部と九州南部といった我が国の辺縁部と評し得る地域において、厳めしい顔つきの男性像を用いる祭事が共通して遺っているという事態もまた、看取されるのではないかと思われます。

あるいは、こうしたことをさらに抽象的に述べてみますと、何らかの道徳律を伴わない社会においては、必然的に男系、もしくは社会における男性的要素が劣化・腐食し易い環境が醸成され、また、そうした環境は、他面において内部分裂・抗争といったものが激化し易い性質があるように思われますが、さて如何でしょうか?
そうした環境の醸成により男系・男性的要素の劣化・腐食し易さにが高まると、より代替としての男系・男性的要素の需要が高まり、それにより役者・アイドル・お笑い芸人などが、さまざまな画面を通じ供給、そして消費されていくのかもしれない・・。)

多少、飛躍のし過ぎはあるかもしれませんが、一方であながちウソばかりでもないようにも思われますが、さてこちらも如何でしょうか・・(笑)?

近年以来、現在までに日本列島各地にて生じた、あるいは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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2018年3月25日日曜日

20180325 主に書籍からの抜粋引用 集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』下巻 pp.109-111より抜粋引用

本日の首都圏は天気も良く、気温も上がり過ごし易かったものと思われます。ブログの方は相変わらずですが、おかげさまにてどうにか続いており、おそらくこの調子で行くことが出来れば、今月末には940記事まで到達することが出来るのではないかと思われます・・。

さて、あるいは地方においても同様であるのかもしれませんが、昨今の首都圏の状況は一種騒然としたものがあるように思われます・・。今後これがどのようなカタチにて収束していくかは分かりませんが、いずれにせよ、経済的利益のみを正義であると考え続けていると、こうした状況が生じるのかもしれません・・。また、それと関連して、以前よりしばしば指摘されてきたことではありますが、我が国はさきの西欧的な近代化と同様、資本主義においてもまた適応し過ぎたのかもしれません・・。しかしながら、その一方で、我が国古来の良俗を復活させることを主張する方々が正しいのかと考えてみますと、これもなかなか難しいように思われます。
そうしたことから、三島由紀夫の言は、まさに現在にこそふさわしいのかもしれません・・。
『無思想な事大主義?』

集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』下巻 pp.109-111より抜粋引用
ISBN-10: 4087607380
ISBN-13: 978-4087607383

『中国の台頭は日本にとっては大きな難題で、日本はどちらの戦略をとるべきか、意見が大きく割れている。なんらかの交換条件、たとえば中国の政治的・軍事的優位を認めるかわりに、経済問題での日本の優位を認めさせるなどして、中国に順応しようとするべきだろうか?あるいは日米同盟に新しい意味と活力を与えて、中国と均衡を保ち、封じ込めるための提携の核となるべきか?中国からなんらかの侵略があった場合にそなえて、自国の軍備拡張を試みるべきか?おそらく日本は、この問題にたいするはっきりした結論をできるだけ先おくりするだろう。
 中国との勢力バランスを保ち、封じ込めるための意味ある試みの核になるのは、日米軍事同盟しかないだろう。時間はかかっても、日本がこの目標にそって同盟関係を見直すことは考えられる。日本がそうするためには、次の点で自信をもてるかどうかによる
(一)アメリカが世界で唯一の超大国でありつづけ、世界の問題に積極的に指導力を発揮しつづけれるか、
(二)アジアにおける軍事的プレゼンスおよび影響力を広げようとする中国と戦うことをアメリカが確約するか、
(三)莫大な資源という犠牲を払うことなく、戦争という大きな危険なしに、アメリカと日本に中国を封じ込める力があるか、
アメリカがはっきりした決意も公約も示していないし、その可能性も低いので、日本は中国に順応することになるだろう。一九三〇年代と四〇年代に、日本は東アジアを征服するという一方的な政策を追求して、壊滅的な結果を招いたが、この時代をのぞいて日本は歴史的にも、自国が適切と考える強国と同盟して安全を守ってきた。一九三〇年代に枢軸に参加したときでさえ、日本は当時の世界政治のなかで最も強力な軍事志向をもつ勢力と考えた相手と提携したのである。二十世紀の初めに日英同盟を結んだが、当時の世界情勢でイギリスが指導的国家だということを認識していたのだ。一九五〇年代になると、同じように世界で最も強大で、日本の安全を守ってくれる大国であるアメリカと日本は提携した、中国と同じように日本も、国内政治が階層的なので国際政治の問題も階層的なものと考える。日本のある著名な学者は以下のように述べている。

日本人が国際社会における日本の立場を考えるとき、日本の国内モデルから類推することが多い。日本人は国際秩序を、日本の社会の内部では明らかな、縦の組織形態の関連で特徴づけられる文化の形態を外部に示すことだと考える。国際秩序をこのように見るのは、長きにわたった前近代の日中関係(進貢システム)で得た経験によるところが多い。

このように日本の同盟にたいする感覚は「基本的にはバンドワゴニングであって、バランシング」ではなく、「最強国との提携」だった。日本で長く暮らしたある西欧人は、これと同意見だ。日本人は「不可抗力を受け入れ、道徳的にすぐれていると思われるものと協力するのが、他のほとんどの国よりすみやかだ。そして道徳的に不確かな、力の衰えはじめた覇権国からの横暴な態度を非難するのも一番速い」。アジアでのアメリカの役割が小さくなり、中国のそれが増大するにつれ、日本の政策もそれに順応するだろう。事実、すでにそれははじまっている。日中関係の基本的な問題は、キショール・マフバーニーの見るところ、「どの国が一番か?」ということだ。答は明確になりつつある。「口にだして公言したり、了解を示してはいないが、まだ北京が国際的にかなり孤立していた一九九二年に、日本の天皇が中国を訪問したのは意義深いことだ」

日本の指導者たちや国民が、過去数十年と同じかたちで最強国アメリカの傘の下にいるほうが、理想的にはよいと思っているのは間違いない。しかし、アジアにおけるアメリカの影響力が小さくなると、日本は「再びアジア化」すべきだとする考えが日本国内で勢いを増し、東アジアの舞台で中国が改めて強い影響力をもつのは避けられないと考えだすだろう。たとえば一九九四年の世論調査では、ニ十一世紀にどの国がアジアで最大の影響力をもつかとの質問に、日本の一般市民の四十四パーセントは中国、三〇パーセントがアメリカだと答え、日本だと答えたのはわずか一六パーセントだった。一九九五年に日本のある高官が予想したように、日本には中国の興隆に順応するだけの「自制心」があるだろう。そのあと彼は、アメリカにそれがあるだろうかと質問した。最初の予想は当たっていそうだ。あとの質問にたいする答は不明である。』

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2018年3月24日土曜日

20180324 正義の源泉として思想そしてその基となる小説・モノガタリ?

本日の首都圏は日中気温も上がり過ごし易く、また日が暮れた後も、以前ほどの寒さは感じられなくなりました。こうしたことから季節の推移が実感しますが、また明日はさらに暖かくなるとのことです。

さて、昨日投稿分の記事は以前の『バズり』ほどではありませんでしたが、投稿翌日にして200人近い方々に読んで頂きました。これは最近投稿した記事の中ではかなり多くの方々に読んで頂いた部類と云えます。自身のブログでは、しばしばこうした宗教・思想方面の記事が投稿されますが、これらはなかなか大事であると思われると同時に、どうしたわけか(現在の)我が国では見事に閑却している要素ではないかと思われるのです・・。

こうした国独自の宗教・思想といったものの存在の実感なくして、その上に構築される正義・法律・憲法などは理想のない空虚なもの、あるいは上手く潜り抜けるためのお上からのお達しのようなものとなるのではないでしょうか?

こうしたことは戦後しばらく経って(1960年代頃か)一部の人々に云われるようになりましたが、この時期においては戦後の復興そして更なる経済成長の真っ只中にあるという事情により、多くの人々に真剣に考えられることはありませんでしたが、しかし、本質的にはそれと同じ問題が現在に至るまで、我が国社会においては存在し続けているのではないでしょうか・・?

そして、この宗教・思想の欠如といったものは、どのような状況より露見するのかと考えてみますと、それは施政者側のさまざまな説明・答弁などの蓄積から、何かしらの思想的な一貫性を見出すことが出来ないことからではないかと思われます・・。
もちろん、思想があればそれで良いというわけではありませんが、しかし、最終的に正義の根拠となるような思想がなくては国民の上に立ち施政など出来ないのではないかと思われるのです・・。
我々は一応、その正義の根拠と経済的な発展が組み合わさった政策を評価して施政をお願いしているわけですから・・。
一方で、もしも経済的な発展だけを念頭におくとすれば、たとえば国策として近隣の小国を軍事力にて制圧し、その国力を収奪すれば良いとも云えますが、さすがにこれは現在では国際的に許されません・・。とはいえ、これが百数十年前でしたらまた事情が違っていたのでしょう。

また、かつてのこうした事情とは現在の国際社会においても少なからぬ影響を与えているわけですが、もちろんそれは我が国においても同様であり、あるいは見方によれば、我が国が現在あるように此岸性一辺倒の無宗教・無思想とも見受けられる社会になってしまったのかと考えてみると、それは極東にある小国が西洋的な近代化をどうにか成し遂げ、そしてそこから続く健全な発展を封じ込められたからではないかとも思われるのです・・。

おそらく、そこには我が国の責任もあるとは考えますが、しかし、そこには少なからず西欧列強の圧力もまたあったと思われます。

その一方で、私は自虐史観というものは分かりませんし信じませんが、しかし近代以降、現在に至るまでの我が国とは、国内における施政と同じことを、支配下となっていた現在の諸外国に対して行っていたのだとすると、それはやはり、ことある毎に糾弾されるだろうし、また信用されることも少ないのではないかと思われるのですが、このようなことを述べること自体が非国民的な利敵行為なのでしょうか・・?

正義とは、少なくとも母国に対する惑溺とは別ものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そして、一貫する思想の重要性もまた、その辺りにあるのではないかと思われます。また、宗教のない我が国の場合、それだからこそ小説・モノガタリが重要になるのではないかと考えるのです・・。ある程度普遍的な考えかもしれないが、我が国の場合、小説・モノガタリの先に思想・哲学そして正義といったものがあるのではないだろうか・・?


ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、今現在も継続的に発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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2018年3月23日金曜日

20180323 主に二著作からの抜粋引用 冷戦後の世界規模での宗教の興隆と我が国の場合・・

其の1 
集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.163-164より抜粋引用
『(冷戦後の)グローバルな宗教復興をもたらした最も顕著で重要な、そして最も強力な原因は、まさしく宗教に死をもたらすとされていたものにほかならない。すなわち、二十世紀後半の世界に巻き起こった社会、経済、文化の近代化の嵐である。これにより、長いあいだ確立されていたアイデンティティの基盤と権威の体制とが崩壊した。人びとは農村部から都市へと流入し、故郷との絆を断って、新しい仕事についたり、職を失ったりした。彼らは見知らぬ多くの人びとと接触するようになり、新しい人間関係のなかにおかれた。彼らはアイデンティティの新しい根拠、新しい安定した社会、新しい道徳律の体系を求め、そこでみずからの存在意義と目的とを見つけようといたのである。宗教は、主流の宗派であれ原理主義であれ、これらの欲求をみたしてくれた。リー・クワンユーは、東アジアについてこう説明している。

われわれは一、二世代のうちに工業化をなしとげた農業社会である。西欧では二百年、あるいはそれ以上の年月をかけて行われたことが、ここでは五十年あるいはそれよりも短期間のうちに起ろうとしている。非常に短い期間に、すべてが押しつぶされそうに詰めこまれているのだから、混乱や誤作動があるのはやむおえない。韓国、タイ、香港、シンガポールなどの成長いちじるしい国々を見ると、一つの驚くべき現象に気づく・・・宗教の興隆である。祖先崇拝、シャーマニズムといった古い習慣や信仰だけでは、もはや完全な満足は与えられなくなった。人間の存在意義、なぜわれわれはここにいるのかといった疑問に対し、より高いレベルの答を求める動きがある。これは人びとが社会のなかで周期的に大きなストレスを経験していることと関係がある。

人間は、理性のみによって生きていくものではない。彼らは自己の利益を追求するうえで計算し、合理的な行動をとる前に、まず自身を定義づけなければならない。利益追求の政治を実施するには、まず自己の存在を規定する必要がある。社会が急速に変化するとき、確立していたはずのアイデンティティは崩壊し、自己を新たに定義しなおし、新しい自己像を構築しなければならなくなる。自分は何者か、自分はどこに帰属するのかといった問いへの答えを求める人びとに、宗教は魅力的な答えを与えてくれる。宗教集団は、都市化によって失われた地域社会にかわって、小さなコミュニティを新たに創出してくれるのである。』

其の2
講談社刊 加藤周一著 『日本人とは何か』 pp.116-117より抜粋引用
『では(戦後)日本の田舎ではどうか?
きだみのる氏は「部落には宗教はない。宗教の屍があるだけだ」と断定し、次のような注目すべき観察をした。

それは村のお彼岸会であり、檀家たちがお経を聞き、読経料二百円ずつ出した後で、きだみのる氏が住職や総代たちと酒を飲んだ時に考えたことである。


彼岸の今日の儀式、費用、それらはすべて今日の部落の生活の現実に対して何の意味も持ってはいない。住職も部落の連中も懲罪の場としての地獄も亡霊の存在も信じていはしない。住職は生活のためにそれを信じている振りをしているかも知れない。しかも他のものは全く意味をもたない伝統の歯車のまにまにこのような儀式を行っているのだ』と(「群像」一九五六年十一月号)


田舎では、仏教も天皇崇拝も、まだほんとうに生きているという考えは、日本人の観察者の中にも少なくない。

しかし、そういう観察者の大部分は都会の住人であって、部落の人々にとってはよそ者である。

部落の事情をほんとうに理解することがむずかしいのは、外国人にとって日本の事情を理解することが困難なのと似ているかもしれない。外からの観察者にとっては、田舎に宗教がみえ、内からの観察者にとっては宗教の屍がみえる。ということは、田舎には都会よりも、宗教殊にその信仰ではなく、その儀式的な面がよく保存されているということなのであろう。「住職は生活のためにそれを信じている振りをしているかもしれない。」―ときだみのる氏はいう。それを見破るためには、氏のように長い間部落に住みこむ必要があるだろう。調査票を配布して、回答を集めるやり方で、それを見破るのは、むづかしい。ところが政治・社会・文化現象の全体にとって、宗教が何らかの影響をもつか、もたぬか、もつとすればどういう影響であるかは、信じているのか、信じているふりをしているのかということによって、決定的に左右されるはずである。しかもそれだけではなく、この信じるのでもない、信じないでもない、「信じるふりをする」という態度のうちには、宗教と関連しての日本的なものの典型があらわれているかもしれないのである。

近年から現在に至るまでに列島各地にて発生した、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。



~書籍のご案内~

昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5







2018年3月22日木曜日

20180322 今回の風邪・体調不良から思ったこと・・

本日の首都圏は昨日と比べ気候も良く気温も上がり、比較的過ごし易い一日でした。また先日来の風邪・体調不良のため上手く声が出ませんでしたが、ここに来てようやく回復しつつあります。

普段はあまり気にすることがありませんが、普通に声が出るということは大事なことであり、これが出来ないと日常生活においても多くの支障があることを痛感しました・・。

また、昨年の3月も風邪をひいていた記憶があるため季節の変わり目とは、体調もまた季節に合わせて変化し、そしてその影響も受けやすくなっているのかもしれません。

そういえば、当ブログを始めた時期と丁度同じ時期に帰郷しましたので、ブログと同様、あと数ヶ月にて関東地方の在住期間が三年になります。さすがに三年程度在住すると慣れたのではないかと思われるところですが、残念ながら未だに関東地方の気候風土に慣れたという実感はありません・・(苦笑)。特に冬の寒さに関しては何やら寒さの質に相違があるのではないかと思われるのです・・。

また、季節にも多少関連することですが、現在の関東地方在住時に時折所用にて地方に出向くことがありますと、大抵の場合、その地方独特の自然環境より生じた『大気』といったものを感じます。おそらくこれが地方の特性・特徴(地域性)に対して何らかの影響を与えていると思われますが、その科学的な観点からの作用機序・メカニズムは、そう簡単には理解出来るようなものではないように思われます・・。

さて他方で、そういった意味で関東地方、特に首都圏、東京では、こうした自然環境に基づく地域独特の『大気』といったものは希薄であるように思われるのです・・。あるいはそのような環境の方がさまざまな創造的活動を行うに際しては都合が良いのかもしれません・・(これは未だに疑問です)。

ともあれ、自身はこれまでに在住したいくつかの西日本地方都市の気候風土に適応した後、再び関東・首都圏に住むことになりましたので、それは無意識あるいは身体レベルから不本意と感じていることから、未だに季節の変わり目にて体調を崩すようにも思われるのです。

それ故、今後は気候が比較的温暖で温泉が多く、柑橘類がよく採れるような地域に住みたいです。おそらく自身は、これまでの経験から、そうした『大気』を生み出す地域と、身体レベルでの親和性を持つに至ったのではないかと今回の風邪・体調不良を通じて体得したように思います。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から現在までに列島各地において発生した、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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20180321 主に書籍からの抜粋引用 集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.100-102より抜粋引用

本日の首都圏は朝からの降雨で気温も上がらず、久々に冬が戻ってきた感がありました。
今現在なお、若干病み上がり気味の自身としては、こうした日は若干辛いものがありますが、明日以降はまた天気が回復し、気温も上昇するとのことですので、それに期待しようと思います・・。

さて、本日投稿分の記事は、つい先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』内の記述を以って充てようと思います。さきほど改めてこの記述を読んでみますと、概ねその通りであると思うと同時に、非西欧社会である我が国の社会においては、少なくとも日常的には聞くことが出来ない意見であるように思われました・・。そしてまた、人文社会科学系分野の重要性とは、一つにそういったところにあるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

以降、書籍からの抜粋引用です。
集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.100-102より抜粋引用
ISBN-10: 4087607372
ISBN-13: 978-4087607376

『有史以来、世界の言語の分布は世界の勢力の分布を反映してきた、最も広く使われる言語ー英語、マンダリン、スペイン語、フランス語、アラビア語、ロシア語ーは現在も過去も最高の勢力を誇る国の言語であり、それらの国々は他国の人々にこれらの言語を使うよう積極的にうながした。
勢力分布が変化すると使用言語の分布も変化する。世界の各地に、「イギリスとアメリカは二世紀にわたって植民地や商業、産業、科学、金融などの分野で力を発揮し、高等教育、政治、防衛、技術などの分野ではかなりの遺産を残した」。イギリスとフランスは自分たちの言語を使うよう植民地に強制した。しかし、旧植民地の大部分は独立後、程度や成功の度合いに差こそあれ、帝国の言語ではなく自国の言語を使おうとしてきた。ソ連の最盛期には、プラハからハノイにいたるまでロシア語がリングアフランカとして使われてきた。ロシアの勢力の衰退にともない、二次言語としてのロシア語の使用も減衰していった。他のかたちの文化についても言えることだが、国力が増すと、その国の言葉を話す人が言語に関して独断的になり、他国の人びとはその国の言葉を習得しようとする。
ベルリンの壁が崩壊した直後、統一ドイツが新しい巨大な怪獣になるかと思われたころには、英語に堪能なドイツ人が国際会議でドイツ語を話す傾向が目立った。日本の経済力に刺激されて日本人でない者が日本語を習おうとしたし、同じように中国が経済発展をとげると中国語ブームが起こった。
香港では急速に英語にかわって中国語が支配的になりつつあり、東南アジアに進出している中国人が大きな役割を果たしていることもあり、それらの地域における国際ビジネスの交渉ではだいたい中国語が使われるようになっている。
他の文明に比して西欧の力が徐々に衰えるにつれて、英語をはじめとする西欧の言語が他の社会で使われる機会や、社会と社会のコミュニケーションに使われる機会は徐々に減っていくだろう。遠い将来のある時点で、西欧にかわって中国が世界で支配的な文明になれば、英語は世界のリングアフランカとしての地位をマンダリンにゆずることになるだろう。
旧植民地が独立をめざして動きだし、独立が進むにつれて、ナショナリストのエリートたちは自国の言語の使用を奨励し、またはみずから使用して、帝国の言語を抑圧するようになった。
そうすることで、彼らは自分が西欧の植民地主義とちがうことを示し、彼ら自身のアイデンティティを確認したのである。しかし独立後、これらの社会のエリートたちは一般大衆と自分は違うことを示す必要もあって、英語やフランス語あるいは西欧の他の言語を流暢にあやつることでそれを示した。その結果、非西欧社会のエリートたちは自分たち自身の社会の住民よりも、西欧人や同じエリートを相手としたコミュニケーションの方がうまくいくというような事態がしばしば見られる(似たような状況が十七世紀と十八世紀の西欧でも見られ、出身地の異なる貴族たちはたがいにコミュニユケーションはフランス語で問題なくできたが、自国の地方の言葉は話せなかった)。
非西欧社会では二つの正反対の傾向が見られる。一方では、大学レベルで英語がますます使われるようになり、資本と顧客を獲得するための世界的な競争で卒業生が効率よく働けるように準備している。他方では、社会と政治の両面からの圧力で、一般にますます自国語が使われるようになっている。』

昨今より現在までに列島各地にて生じた、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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2018年3月20日火曜日

20180320 著作の読了から思ったこと 読書における相転移、高等教育での応用について

先日来より読み進めていた国際政治学の著作上下巻を本日電車内にて読了しました。以前にも書きましたが、この分野の著作は近年読んだことがなかったため、苦労しましたが、読了してみますと、やはりそれなりの達成感を感じます。そしてまた『今後もこの分野の著作であれば、ある程度は読めるのではないだろうか?』とも思うに至ります・・(笑)。

また、振り返ってみますと、自身は概ねそのようにして、いくつかの分野での知識を積んできた自覚がありますので、現在では、これはこれで一つの学問に対する正攻法であると考えています。

また、そうした行為が蓄積しますと、次に生じるのは、一種の相転移であるのか、ある程度基礎の習得が為された言語にて書かれた同分野の著作を読解することが出来るようになるといったことであるように思われます。

また、そうした段階(相転移)を経るに際して、相応しいと思われる分野とは実証性・再現可能性が問われる自然科学系学問分野ではないかと思われます。

この段階(相転移)においては歴史・文学といった国々によって異なる知識の集積・体系を持つ学問分野では実際問題として扱い難いのではないかと思われます。

もちろん、歴史・文学といった人文社会科学系学問は一国の文化の要ではあるのですが、同時に本質的にその学問分野に付随する実証性・再現可能性などの普遍的性質をマトリックスとして他言語を学ぼうとする場合においては必ずしも相応しいものとは思われません。

くわえて、以前から指摘している我が国の全般的な性質といえる即物性・此岸性を加味して考えてみますと、より一層強く云えるのではないかと考えます。

つまり、我が国の特徴的な性質とも云える即物性・此岸性と自然科学性学問の真髄である実証性・再現可能性とは親和性があり、これは今後、更なる高齢化が進む我が国の高等教育の進路について考える上で熟慮してみる価値があるのではないかと思われます・・。

自身の考えるその一つの試案は、現今の人文社会科学系学部・学科の定員を減らし、これまで専門学校・短期大学・大学のルートが併存している医療・介護資格養成校を全面的に四年制大学化し、そこでの専門教育に含まれる知識の普遍的性質を基軸として他言語を効果的に習得することが出来る仕組みを構築することです。

そして、そうしたことがある程度出来るようになれば、自然と身に着いた習性にて歴史や文学などの著作を楽しむことが出来るようになるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そういえば、本日読了した著作はサミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』上下巻であり、大変興味深い著作であったことから、後日、特に興味深いと思われた記述を抜粋引用してみようと考えています。

また当著作内で東アジア、我が国についての記述は、現在であっても当て嵌まる部分が多いように思われますので、興味をお持ちの方は是非御一読をおススメします。

近年より現在に至るまでに列島各地において生じた、もしくは今現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。



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2018年3月19日月曜日

20180319 国際政治学関連の著作を読んでいて思うネガティブなことについて・・

当ブログを始めた詳細な時期に関しては、これまであまり気に留めていませんでしたが、気になりましたので、さきほど調べてみますと、最も古い記事は2015年 6月22日投稿のものでした。そうしますと、今年の同日まで記事作成を行うと丁度3年間記事作成を継続したことになります。以前から目標として述べている1000記事の投稿はもちろんですが、それと同時にさきの3年間の記事作成の継続もまた、出来れば達成してみたいです。

他方、以前より読み進めている国際政治学の著作が、残り数十頁ではあるものの昨今の体調不良のため若干停滞気味ですので、とりあえずはこれを読了し、そして著作文中にあった面白い記述を抜粋引用しブログ記事としてみたいと考えています。

この著作を読むにあたり、近年、国際政治学関連の著作を読んでいないため、それなりに苦労しつつも読んでいますと、これまで知らなかったことが種々書かれており勉強になります。また、あくまでも感覚的なことではありますが、一つに我が国の社会全般において不足しているのは、こうした種類の認識ではないかとも思われるのです・・。

つまり、『ある程度シリアスに世界が我が国をどのように見ているか』といったことですが、おそらく明治時代以前の我が国とは、それを気にせずに、ある程度までは充足していた社会であったことから、それが本来の姿であるのかもしれませんし、また、その時代においてはたしかにそれで良かったのかもしれませんが、しかし現在とは、たとえ社会全般がさきの本来の姿に戻りつつあるとしても、その一方では、さまざまな情報が国際レベルにて日常的に行き来している社会でもあるのです。

つまり新聞・テレビなどに頼らなくとも、インターネットにより、ある程度精確に、その国の傾向・特徴(民度も)などが分かってしまうのです。しかし、そうであっても通常では考えられないような行動をしてしまうことが、自身をも含む我が国全般としての特徴ではないかと思われるのです・・。

そして、それがそうしたことを論点として他国より指摘・糾弾されますと『内政干渉だ!』とばかりに反論をするのは、それこそ論点をずらしているのではないかと思われるのです・・。

こうしたことは、さまざまなことに適応することが出来ると思われるのですが、特に強く感じるのは我が国の一部のアイドルやアニメに対してです・・。

自身はそれを憎むわけではありませんが、たしかに一面において我々日本人には、ある種の本能に基づく欲求をあまり隠すことなく、そしてアイドル・アニメなどといったカタチとしてその欲求を何かしらの文化にまで洗練・昇華した気にはなっているものの、傍目にはその本質は何ら変わっていないといったことが往々にしてあるのではないかと思われるのです・・。

本能に近い原始的な欲求に基づいた文化コンテンツばかりが(まさに)商業的に量産され、また、そうしたものが何の違和感もなく・憚ることもなく社会に受け入れられ、繁栄している社会・国とは、やはり傍目から見ますと、少なくとも尊敬に値する文化水準にあるとは見做されないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

それでも私は自身と同様、今後の我が国に期待しています。

現在までに列島各地にて発生した、もしくは今現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った
(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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2018年3月17日土曜日

20180317 930記事 昨日の続き 正義の源泉・正典に代わるものとしての文学?

今回の記事投稿により総投稿記事数が930に至ります。そして今月内あと10記事の投稿により1000記事まで残り丁度60記事(2カ月分)となります。また、先日来の風邪による体調不良を考慮し明日は記事作成を休みます。どうぞよろしくお願いします。

さて、本日の首都圏は日中気温が上がり比較的暖かでしたが、陽が落ちてからは急激に寒くなったため早々に引き返しました。ここ数日くらいでしょうか、街なかを移動していますと少し雰囲気が変わっているように思われます・・。それは以前にもブログ記事にて書いた2012年夏頃に隣国元首が我が国固有の領土に上陸した時とどこかしら似ているように思われます・・。

あるいはこれを別言してみますと、所与・既成に近いものであった権威・価値観に亀裂が進展しているといった感じであると云えます。こうした時期とは表面上は静かではあるのですが、そうであっても、これは何らかの相変態が生じつつもグラフ上ではプラトーな時期のようなものであると思われます。そして、その先に新たな展開があるのでしょうが、何れにせよ今後も注視して行きたいところです。

しかし、自身をも含め、何らかの普遍的な正義の源泉・正典といったものがない社会とは、一度権力の座に就き、そしてそれが安定しますと、何と云いますか一種の万能感らしきものを無意識ながら自身あるいはその属する勢力に対して感じ得るようになり、そしてそこから徐々に行き過ぎが生じ、結果、社会からの非難を惹起させるといったメカニズムがあるように思われます・・。

あるいは、こうしたメカニズムとは我が国のみならず、伝統的な正義の源泉・正典となる宗教がある国々においても同様であるのかもしれませんが、程度の問題として、それは宗教の存在により、ある程度緩和される性質があるのではないかと考えます。

また『我が国とは良い時にはトコトン良いが、悪い時はトコトン悪い』といった意見をこれまでに何度か聞いたことがありますが、これも、さきの我が国社会にて正義の源泉としての宗教が存在しないことにある程度関係しているのではないかと思われますが、如何でしょうか?

とはいえ、今後我が国全体が考えを改め、宗教を持つようになるとは思われないし、また、それが良いとも思いませんので、このままで行くのでしょうが、それでもなお我が国の社会全体が(健全な)活気を取り戻して欲しいと考えていますので、そのための穏便な施策として、老若男女より多くの人々が能動的にさまざまな文学作品を楽しめるような環境・仕組みがあれば多少事態が良くなるのではないかと考えています。また、これは医歯薬理工系の高等教育においてこそ特に取り入れてみる価値があるのではないかと考えます。ともあれ、ここで大事なことはあくまでも『能動的に』ということであり、我が国はかつて欧米的な近代化に遅れをとったという経験を現在に至るまで引き摺り、何らかの施策を行うに際し、その施策を施される側の能動性をほぼ無視して行ってきたことが、現在に至り種々たたっているように思われるのです・・。

おそらくそれは1930年代あたりの我が国社会においてもまた同様であったのではないかと思うところですが、さて如何でしょうか・・?

また、今更書くまでもないのかもしれませんが、そうしたメカニズムについては100年以上前から夏目漱石が述べてきたことでもあるのです・・。

それでも私は自身と同様、今後の我が国に期待しています。

現在に至るまでに列島各地において生じ、もしくは今現在も継続して生じている地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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