2017年10月25日水曜日

20171024 歴史の流れと時代精神そして運動競技試合の『流れ』、賭博の『ツキ』について思ったこと・・

A「余すところ20未満の記事投稿にて、とりあえずの目標としている800記事に到達しますが、ここ最近は多少息切れ気味であり、800記事到達までは継続して書き続けようと考えてはいますが到達しましたら一旦、数日間ブログ記事作成を止めて休んでみようと考えています。

これまで2年半近く、ほぼ毎日記事作成を継続してはきましたが『それによって自身とはいくらか成長したのか?』と考えてみますと、正直なところ、そうした確信を持てる部分とはありません・・(苦笑)(しかし、そもそも確信自体と、ここ最近は縁が遠いように思われる・・(苦笑))。

しかしながら、同時にそこで思うことは『これまでどうにか書き続けることが出来たという自覚が、今後どのように作用するのか?』ということの方が、今現在の段階にて実感、確信できる『成長』よりも重要ではないか?ということです。

この考え方は、どちらかというと一昔前の運動部的な色彩が強いものであるのかもしれません。

また同時にそれは昨今運動競技の場面において主流とされる科学的知見に基づいた合理的な考え方、すなわち、その場面にて最も効果を発揮し得る方法をまさしく合目的に(データに基づき)追求する姿勢とは、結果的には同一、被る部分もあるのかもしれませんが、それでもやはり基本にある考え方が大きく異なるように思われるのです・・。

そして、おそらく、こうした考え方の相違が先日投稿の 『最近傘をなくし、そして貰ったハナシから思ったこと(関連性と因縁)』での主題と何らかの関連があるのではないかと考えさせるのです・・。

しかし、もしも科学的知見に基づいた見解のみが正しいとされず、あるいは『その場』においては正しいのかもしれないが、同時にその見解とはあまり発展可能性のないものであると考えられるようになると、果たしてどちらの方が正しいのか?あるいは『正しい』とはどのような意味であるのかといったことすらも、疑問に思えてくるものです・・。

そして、おそらくこうした現象が我々人類の精神において広汎に生じる時期、時代といったものがあるのではないかと考えるのです・・。

もちろん、それもまた一つの時代精神といったものでしょうが、ともあれ、そうしたことが大きな契機となり歴史上のさまざまな変転、栄光盛衰が為されたのではないかと思われるのですが、こうしたことを(さきの歴史の流れに比べれば)ミクロの視点にて考えてみますと、運動競技などの試合などにおいてよく云われる『流れ』であるとか、賭博などであるとされる『ツキ』といったものと類似した性質を持っているのではないかと思われるのです。

そしてまた、こうしたことはおそらく今現在の科学では明確に理解されていないのではないかと考えます・・。

さらに今後もなかなか一般レベルにて理解されることはないものと考えます・・。

自身はこれは人工知能によっても理解という名の征服は為されることはないのではないかと考えますが、さて如何でしょう?(そもそもこうしたことに制御し得る再現性はないのでは・・?)

そして、あくまでも私見ですが、そうした人工知能があまり予測、介入できない未来の方が(人工知能が)理詰めで考える未来に比べ、より大きな発展可能性があるのではないかと考えるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」