2017年9月19日火曜日

20170919 『良心・道徳』・『言語に対する認識』の程度・『おそれ』・コトダマ?

A「昨日分の投稿記事にて書きましたが、今回の記事投稿によって総投稿記事数が750に到達します。

そうしますと、とりあえずの目標である800記事到達までは残り50記事、そしてさらにその先にある1000記事を目標としますと、残り250記事ということになります・・。

今後さらに250記事を作成することは現在においてはあまり想像することが出来ませんが、一方、あと50記事程度を作成することは、特に無理をすることなく為し得るのではないかと考えます・・。

そして、その50記事を終えた後にまた、さらに先の具体的な目標へと設定し直すことが出来るのではないかと思われます・・(これが実質的且つ現実的であると思われます。)。

あるいは、私はある種の想像力が乏しいのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、はじめからあまり大きな目標を述べ・立て、書いたりすることもまた、自身に関してはかなりのプレッシャーとなり、現在となっては特に、そうした行為とはおそろしくてすることが出来ません・・(苦笑)。

また、こうした『おそれ』の根源にあるものとは、一つに『言語に対する認識』であるのではなかかと思われるのです。

自身の意見を簡単に一般化することは避けた方が良いとは考えますが、それでも、おそらく一般的に『言語に対する認識』の程度が、ある程度までに達すると、自然とこうした心情、精神が生じてくるのではないかと思われるのです・・。

また、そうした心情、精神が社会において広汎に存在し、そして社会において作用することがなければ、伝統文化そしてその先にあるであろう創造性全般といったものは、これまでの歴史のどこかで潰えてしまったのではないかと思われるのです・・。

そしてそれ(言語に対する認識より生じる、ある種のおそれ)は、昨今何故だかあまり聞くことがない『良心』というコトバと強い親和性、関連があるのではないかと考えます・・。

さて、ここで『良心』よりもより具体的な行動等に関わる指針として『道徳』もまたあります。

そして我が国の場合、古来からの傾向として、実際に採られる行動によって感じ取られる、測られる道徳といったものに、より重点を置く社会であるといえることから、抽象的といいますか、その奥にある『良心』に関しては類似したものとして古くからの『真心』といったコトバがありますが、往々にしてそうしたコトバ、そしてそれが持つ意味、概念とは時間の経過に伴いインフレし、形骸化してしまうといった傾向が強いのではないかと思われます・・(苦笑)。

また、面白いことにか、残念なことにか、ここでもまた問題となるのは『言語に対する認識』であると考えるのです・・(苦笑)。

それ故、超常現象的な意味での言霊とは存在するかどうかは置いておき、その一方で『言語に対する認識』より生じる各個が持つ観念、精神には、良い悪いといった価値判断を抜きにして、何らかの相異があるものと考えるのです・・。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。

750記事に到達しても全く感慨がありません・・(笑)。

そして、昨年より現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。」








20170918 漸進的な変化と急激な変化および自身の性質について・・

A「昨日投稿分の記事もまた、投稿翌日にしては比較的多くの方々(33)に読んで頂けました。

また本日そして明日、これまでの調子にて記事を作成することにより総投稿記事数が750に到達します。

この数値もまた、特に区切りが良いわけでもありませんが、それでも1000記事を目標とした場合、全体の四分の三に到達したことをも意味します。

そうしますと、それ以降は、これまでの三分の一の労力にて1000記事まで到達することが出来ることになりますが、それにより『では頑張ってみよう!』といった感じにはならず、むしろ『まあ、それでしたらとりあえずは800記事あたりまではどうにか書き続けましょう・・。』といった反応になります・・(苦笑)。

また、往々にして私とは、そうした性質を持っているのではないかと思われるのです・・。

それはつまり、あまり明確に先の目標を設定せず、どちらかというと、何となく継続していたことが蓄積され、ある程度のことが為されてきたことが多いということです・・。

また、これまでの経験からも、こうした性質を持った方々とは、自身を含めて帰納法的な物事の考え方を根底に持っていることが多いのではないかと思われます・・。
(感覚的なハナシになりますが、そうした方々は理系よりも文系に多いのではないかと思われます・・。
また、演繹的な傾向を持ちながら文系思考の方々とはハナシを噛み合わせることが困難であったように多いように思われます・・(苦笑)。)

とはいえ、それと同時に、こうした経験によって得られる知見の蓄積を重視する姿勢においても、そこで得られた数々の知見から、より大きな視野に基づく新たな統合的ともいえる知見を見出す必要性が(おそらく)何処かで生じるのですが、自身の場合、こうしたいわば否応なく生じる精神の相変態・相転移といった現象の際にどうも上手く乗り切れないといった傾向があるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

その一方において
、我々日本人とは一般的に、こうした自身内外に生じる変化に対応することが上手いのではないかと思われます・・(明治日本の近代化・・)。

また、その意味において、自身とは多少、周囲と同調する、させる何かが欠如している、あるいは上手く同調させることが出来ない何かを持っているのかもしれません・・(苦笑)。

それ故、今後の自身の変化もまた、どちらかというと、これまでに何処かで経験したような環境にて、漸進的に、徐々に変化していく方が良いのではないかと思われるのです。

ともあれ、これまでで分かることは、少なくとも私は君子ではないということぐらいかもしれません・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域でのインフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。

追記として、本日以上に作成したブログ記事は22:00頃より作成をはじめ、もう少しで終了というところで、間違えたボタン操作により全て消去となり、あらためて作成したものです・・こういった出来事はなかなかショッキングなものです・・(苦笑)。」