2017年8月21日月曜日

20170820 スランプの時はどのようにすれば良いか・・?【価値観の多様性と世の中・社会を実地に学んでいく経路・手法】

A「本日は休日ということもあり、以前に投稿した記事を比較的多く読みました。

そうしますと、この程度の期間(2年数カ月)ではありますが、継続的にブログ記事の作成投稿を行っておりますと、その間に何度かスランプといえる期間があったことが思い出されます・・。

そしてまた、おそらく今現在も、そうしたスランプといえる期間であると感じています。

それは毎日の記事作成の際に『やる気があまり出ない』『良い着想が得難い』といったところから実感されます・・。

しかしながら、他方において、これまでの継続的な記事作成を通じ『たとえスランプに陥った場合においても、それはあくまでも一時的なものであり、ある程度の期間を経れば良くなる』といったことをも認識していますので、そうした期間は【とにかく】もがき続ける(何かしら書き続ける)のが良いのではないかと考えます。

また、もがくように書き続ける行為の中から、自身にとって何らかの更なる進化発展、文体獲得の契機となるものを見つけることが出来るのではないかとも考えています。

くわえて、面白いことにこのスランプの期間とは、思いもよらぬことから(急激に)霧が晴れるように再び書くことが出来るようになることも(往々にして)あるため、何といいますか、その変化を的確に感知しスムーズに為されるよう(たとえスランプであるとしても)何かしら書き続けるのが良いのではないかと考えるのです。【微弱な振動を与え続ける】

とはいえ、このことは、これまでどうにか継続的な記事作成を行ってきたことから実感として得られた、いわば【内的感覚に依拠する】個人的な見解であり、そこに普遍性あるいは何らかの応用可能性があるかどうかは分かりかねるところです・・。

そしてまた、以前よりたびたび述べてきたことではありますが、これまでの継続的な記事作成がどうにか為された主たる外的な要因とは、何よりも、それら記事を読んでくださる方々がいたことであり、こうしたことは現在のスランプといえる期間においては、そうでない期間に比べて割合痛切に感じられるものであるようです。

そしてまた、このように考えてみますと、おそらく我々人間とは、さまざまな場合において、あまり調子が良くない時には周囲の支えをより強く感じ、一方調子が良い時にはそのようなこと(周囲の支え)など考えず、省みず内面から湧き上がる力によって活動的でいられるのでしょうが、おそらく我々とは『そのどちらか一方の状態のみが続く』といったことはなく双方の期間を順繰りに経験することによって世の中、社会といったものを実地に学んでいくのではないかと思われます・・。

そして、こうした世の中、社会を実地に学んでいく経路・手法には、ある程度の普遍性があるのではないかと漠然とながら思うところではあるのですが、他方、その学ぶ対象となる世の中、社会といったものの種類が多岐に渡り、おそらく、そのことが多様な価値観といったものが生じる所以ではないかと思われます。

また、この価値観の多様性とは一般的に都市部にて看取されるということは、それだけ多くの世の中、社会の縮図としての会社、組織(ある程度の閉鎖性を持った人の集団)が存在することに因るものと考えられます。

このことはもう少し考えてみると面白いのかもしれませんが、今回の記事はこのあたりで終えます。

今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございました。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』