2017年7月2日日曜日

20170702 先月6月6日の続き【インドネシアでの出来事】

翌朝、目を覚ましてホテルロビーに行ってみると、どうもただならぬ様子であったので、既にこの場所におられた先輩に事情、状況を尋ねてみると
『いや、前々から懸念されていたムラピ山の本格的な噴火が起きてね、この周囲も相当灰が降っているよ、うん、これはさすがに桜島の降灰とはワケが違うね・・もしかしたら、帰りの飛行機にも影響が出るかもしれない・・。』
とのことであり、この先の我々の予定に、まさしく暗雲が垂れ込みはじめたのであった・・。

また、ホテルロビー周辺では、アジア各国からの出席者たちが概ね、国毎のグループを成して集まり、携帯電話やタブレットを用いて何やら情報収集を行い、帰国の策を講じていることが見て取れた・・。

私も既に居合わせていた同行した先輩等と予定通りに搭乗便が離陸するかをホテルフロントを通じ空港に問い合わせたところ、それはかなり絶望的であり、おそらく少なくともここ数日程度は【大規模な降灰および上空の視界不良から】飛行場の使用は無理であろうとのことであった・・。

この事態にはさすがに驚き『どうしたら良いだろうか?』と話し合ったところ『我々と同じ便にて離陸予定の他の日本人グループもいるだろうから、その方々と相談してみよう。』という結論に至り、各自散らばり他グループへの問い合わせを開始した・・。

丁度その頃、他の日本人グループ等も我々と同じようなことを考えていたようであり、また、そうした状況を察してか、急遽、ホテルロビーに机、椅子が置かれ情報の集積および指示所らしきものが設置されていた。
その実際の対応、処理作業を行っていたのが**大学の**教授であった。

我々もここに赴き、現状を指示所の陣頭指揮を執っておられた**教授に状況をお伝えすると、ノートパソコンにて何か(皆の状況?)を入力しつつ『そうか、君等**大学組はこの調子だと悪くすると一週間程度は足止めされるかもしれないね・・帰りの便をジョグジャカルタからデンパサール発に変更して・・そこまで行けば火山噴火の影響はかなり小さくなっているからね、そこからええと、関空まで行ければどうにかなるかな・・?』

『ええ、おそらくデンパサールでは今現在、特に発着便の乱れはないとのことですが、しかし、どうやってここからデンパサール空港のあるバリ島まで行けばいいのでしょうか・・?』

**教授はこの質問を予期していたようでありノートパソコンから目を離し、我々の方を向いて以下のような返答をされた。

『ええ、それは先程問い合わせにいらした**大学のグループも君等と同じ様な状況であるようなので、現地の**先生に尋ねてみたところ『バンを数台チャーターして陸路にて行くことが出来る。』とのことで、今その所要時間や経費を問い合わせているところです。
それ故、もうしばらくしたら新たな情報が入って来ますので、それまで待機していてください。』

その迅速且つ適切とも云える対応に我々は感服し、礼を述べて早々にその場を離れた・・後にも我々と同様のグループが控えていたからだ。

そして、しばらくすると、さきの**教授が未だ騒然としたロビー全体に聞こえるような声で『**大学の皆さんおよび**大学の先ほど来られた方々【我々のこと】新たな情報が入りましたで、こちらに来てください。』との通知があり、我々はすぐにさきの指示所に向かった。

すると**教授は手に持った紙片に時折目をやりながら『かなり急なハナシで申し訳ないですが、本日22時半頃ここを出発する自動車に乗り、バリ島、デンパサールに向かえば、十分に皆さんの搭乗予定便に間に合う目算が立ちます。費用は一人頭***ルピア、日本円に換算すると大体***円(数千円ほど)ですが、これが今現在採り得る最適な移動手段であると思われますが、皆さん、この自動車を正式にチャーターしますか?』とのことであった。

我々は一も二もなく、これに同意し、めいめいの費用をいつの間にか**教授の傍らで事務、会計的な補助をされていた方にお渡しした・・。

我々は費用を支払い、大まかな帰国準備、パッキングのためホテル自室に向かう途中『急なハナシではあったけれども、これでデンパサール空港から予定の便に乗れるのであれば、まあ結果としてはそこまで悪くはないかもしれませんね・・。」と話し合った・・。

この日予定されていた観光は火山噴火のため、目的地はホテル近郊に変更されたものの行われた。
我々はバスに乗り銀細工にて有名とされる町の工房を見学し、近隣のレストランにて昼食をとった・・。

さすがに数日間日本の食事から離れていると、当初珍しかった現地の料理に対しても申し訳ないとは思いつつもあまり魅力を感じなくなっていた・・。

いや、それよりも本日の夜中に発つ自動車にてインドネシアのジャワ島を横断することへの緊張・不安からか、どうもこの時の記憶はあまり鮮明には思い出すことができません・・。

そして、ホテルに戻りおそらく無縁であろうと思われた学会の締めである閉会式、授賞式が行われる会議場に向かった。このような状況であることからか、多くの他の出席者の方々は特に改まった服装ではなかったように記憶しています。

ともあれ、本当にどうしたわけか、私はこの時に生まれて初めて学会発表にて受賞することになったのです・・。

これもムラピ山の噴火とは無縁であるとは思われますが、しかし一方において、現在考えてみますと、この出来事はさらなる波瀾を呼ぶ私にとっての2011・2012年の前哨戦であったのかもしれません・・(笑)。

さて、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨今生じた一連の熊本、山陰東部、福島県周辺での地震により被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。」











20170701 この時候になると思い出すこと・・食べ物に基づいた記憶

A「昨日投稿分の記事も投稿翌日にしては多くの閲覧者数(36)を得ることが出来ました。

読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さて、本日もまた所用にて都心部に出向き、歩いておりますと既にして若干蒸し暑く感じられ、季節が本格的に夏に向かっていることが感じられます・・。

また、こうした時候の夕刻になりますと、不図、和歌山在住時の記憶が思い起こされます・・。

現在はどうであるか分かりませんが、当時は院生研究室にて徹夜の研究、調べもの、読書といったことが行われており、殊に夏の暑い時期などは院生研究室の方が居心地が良いと感じられるため【大学が丘の上に立地しており比較的涼しい】こうしたことは一般的に行われていました。

何人かでこうした徹夜を行う場合、夕刻を過ぎた頃に誰か一人の自動車に皆で乗り、市街地まで夕食を食べに出かけ、帰り際に大型書店に寄り、書籍を立ち読み、物色したのち大学に戻り、院生研究室にて、それぞれの研究や調べものの続きを行うことになるわけですが、時折は、夕食時あるいはそれ以前からの議論が白熱し、まさに夜を徹しての議論ということになり、これにはさすがに最後の方(明け方近く)になると、疲労にて意識が朦朧とし、その日の活性は顕著に落ちていた記憶があります・・(苦笑)。

また、それぞれの研究、調べものを行いつつ夜が明けてくると、目覚まし、あるいは構内自販機にて新たな飲物を購入するため大学構内を散歩・徘徊することも多く、そうした場合、ここで、その夜の研究、調べものにて疑問に思ったこと、収穫した新しい知見などを披露し合うことにもなるのですが、ここでまた新たな議論の発端・火種が生じるというケースもありました・・(笑)。

加えて、こうした徹夜の折の夕食にて、よくお世話になった中華そば屋さんが市内南部の和歌浦・紀三井寺方面にあり、ここは近隣に和医大があることから、その学生グループとバッティングすることが往々にしてありました・・。

こうした場合、周囲にてよく分からない医学用語の混ざった会話が為されつつある中、他方で、これまたよく分からない思想、歴史、哲学関連の用語が混ざった会話が為されているといった【一種異様な】光景が現出する事態となるわけですが、そこには、現在考えてみますと大変貴重とも云える『何か』があったのではないかとも思われます・・(笑)。

おそらく、そうした光景とは、各地域毎に、ある程度共通して存在するのではないかと思われますが、私見として、地域毎に見られるそうした『場』とは、ある意味、我が国、地域の伝統文化、無形文化財と見做しても良いのではないかと考えます・・(笑)。

また、そういえば、現在仕事を行っている場所のごく近くに、都内某大学学生からの伝統的とも云える根強い人気により、全国的な知名度を得るに至ったラーメン屋さんの本店がありますが、昼時あるいは夕刻に、そのお店の前に出来る、おそらく大学生を主とした行列を眺めておりますと、それもまた何とも感慨深いものを感じさせます・・。

今回もここまで興味を持って読んでいただき、どうもありがとうございます・・。

昨年2016年に
熊本、山陰東部、福島周辺地域において発生した地震により被災された諸地域の出来るだけ速やかな諸インフラの復旧とその後の復興を祈念しています。」