2017年5月31日水曜日

20170531 文章作成を向上させるものは・・不可知な感覚?

A「昨日投稿分の記事は前二記事ほどではなかったものの、割合多くの方々に読んで頂けました。

また、これまでに気にしていなかったことですが、自身の苗字を著名な検索エンジンにて調べてみますと、ほぼ1頁目に、このブログが掲載されていることが分かりました。

とはいえ、こうしたことは普段使用しているパソコンが使用者の検索のクセなどを加味して、さきの結果になっている可能性もありますので、今後更なる検証が必要であるのかもしれませんが・・。

またそれに加え、もとより自身の苗字はあまり多く見受けられるものではないことから、その検索結果の1頁目に当ブログが掲載されているからといっても、それは特に喜ぶほどのことではないのかもしれません・・(苦笑)。

ともあれ、今後もあまりそういったことを気にせず、考えずに書き続けて行こうと思います・・(笑)。

また、そうこうするうちに、あと数記事の作成、投稿によって総投稿記事が640に到達し、とりあえずの目標である650記事も、あまり先のことではないように思えてきます・・(笑)。

そして、もしも首尾よく650記事まで到達することが出来たなら、その次は700記事目を指すことになるのでしょうか・・?

また、それに関連して時折思うことは『自身の場合、どの程度記事を作成し続ければ、あまり苦もなく1000~2000字程度の(ある程度中身がある)文章を作成することが出来るようになるのであろうか?』ということであり、これに関しては、以前よりかは、多少楽になりつつあることを感じますが、それでも決して簡単というわけでもなく、時折は半ば朦朧としながら作成しているのが現状であるといえます・・(苦笑)。

そして、それに関連して思い出したことは、以前文系の師匠と話していた際に『そうだね、調子の良い時は一晩で4000~5000字程度書けることがあるね・・。」と聞き、それに対し『どうしたらそのように文章がスラスラと書けるようになるのですか?』と尋ねたところ『・・う~ん、決してスラスラというわけではないれれども、他の似たような作業を行う職種の方から聞いたところによると、どうやら創造の神ミューズ、ムーサのようなものがいるのかもしれない・・とのことであるから、自分なりにそういったことを考えてみれば良いのではないかな・・?』とのことであり、あまり明確な回答ではありませんでしたが、こうしたことは、あくまでも個々で異なることから、各自で色々と試みるのが良いのだと思われます。

また、たしかに自身の場合においても、さきに述べた通り、以前よりかは文章が書き易くなっている感はありますので、未だコトバにならない、いわば『不可知な感覚』といっても良いものであるのかもしれませんが、それでも多少は何かを掴みつつあるのかもしれません・・(笑)。

そして、こうしたことを書いておりますと、今度は以前に読んだ森見登美彦著『恋文の技術』という書簡体の小説を思い出します・・。

この作品においても主人公がさまざまな手紙をはじめ文章の作成に呻吟する様子が描かれており、これは概ね笑いながら読んだ記憶がありますが、その主題とは、なかなか深いものであったと現在となっては思われる次第です・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」









20170530 20170527・28の続き

どうしたわけか、昨日投稿の記事もまた、投稿翌日にしては割合多くの方々に読んで頂けたようですが、それ以前に投稿した学会行きの連作記事が多くの方々に読まれていたことから本日投稿分の記事はまた、先日来の続きを書いてみようと思い立ちました・・(笑)。

ホテル到着後、我々は早々にチェック・インを済ませ、用意して頂いていた夕食代わりの軽食を食べ、明朝の朝食会場に行く時刻を決め、各自の部屋に入り休むことにした・・。

案内されたホテルの部屋は、単身の宿泊客にとって聊か広すぎるものであり、またベッドもセミダブル程度のものが二つ置かれていたと記憶している。

部屋に入り荷物を自分なりに所定の場所に置き、旅装を解き、バスルームでお湯が十分出ることを確認した後、旅の垢を落とすつもりで割合長時間入浴した・・。

11月とはいえ、当地では少し以前より雨季に入っており、夜間であっても決して涼しいとは云い難く、どちらかというと蒸し暑いくらいであった。

入浴を終え、歯を磨き、空港にて購入したミネラルウォ―ターを飲みながらしばらく呆然として、少し我にかえり、テレビを点けてみたものの、あまり意味が分からないことからすぐに消し、独り予演を二回くらい行った頃に適度に眠くなり床に就いた。

この時、はじめての慣れない土地での就寝にもかかわらずスムーズに寝入ったと記憶していることから、やはりそれなりに旅の疲れがあったものと思われる・・。

翌朝、ホテルロビーの待ち合わせ場所に行ってみると装飾が施された鍵盤打楽器の演奏が行われており「なるほど、ガムランの国に来たというわけか・・。」と一人合点したものの、どうしたわけかそこで思い出されたのは、アニメ映画の「AKIRA」の冒頭シーンであった・・(苦笑)。

ともあれホテル食堂にて朝食を摂り、大学側が用意してくれたバスに乗り、学会場に向かった。

学会場は大学の大会議室のような場所であり、歴代の学長らしき方の肖像画が壁面に並んで掛けられていた。

また、階下のホールでは、いくつかのグループの学生さん等が石製の床に直接座り話し合ったり、ノートパソコンを操作していた。

おそらく気温の高いこの地では、ヒンヤリとした石製の床は心地よく、勉学も捗るのかもしれない。

しかしまた、我々がその床に靴のままにて入ってしまうことに多少の戸惑いをおぼえたことを憶えている・・。

学会初日は一般発表はあまりなく、招待講演などが多かったと記憶しているが、また我々の発表本番がその翌日であることから、この日、他の方々の発表は、あまり余裕を持って聞くことができなかったのかもしれない・・(苦笑)。

それでも、この日に先日空港にて声を掛けてこられた先生の講演が為され、自身には分からない専攻分野であったにもかかわらず、その講演内容説明の上手さに秘かに感銘を受けたことは憶えている・・。

学会初日の発表が終わり、次は宿泊ホテルにてレセプションが開催されるとのことで、来た時と同様にバスにてホテルに帰り、一通り身支度を済ませ、会場に向かった。

会場には既に開催地であるインドネシアをはじめ、インド、東南アジア、韓国、中国といった、まさしくアジア各国からの参加者が集まっており、壮観と評して良い景色であったと思う。

我々は日本からの出席者が集まっているテーブル区域の一つのテーブルに着いた。

テーブル上には招待状が置かれており、そこにはインドネシアの宮廷式料理が供され、また伝統的なが舞踊が演じられる旨が英語にて記されていた。

概ね出席者も席につき、開宴時刻になると、先方大学の男女の学生さんが、見事な英語で、招待客一つ一つのテーブルに廻り『何処から来たのか、何を楽しみにしてるのか、このレセプションを楽しんでください』といったことを述べて各々の紹介とした。

正直この時の料理のことは憶えていないが、その後で演じられた舞踊が見事であり、またその踊り手が皆、開催大学の学生さんであったことには驚かされた。

そして、この時、かつて師匠がインドネシアを招待講演にて訪れた際に見た踊りの踊り手が開催大学の学生さんであったことを驚きをもって我々に話されたことが想起された。

レセプションは夜半過ぎ(21:00頃)閉会となったが、はじめて飲んだ現地のビールに気をよくした私は、閉会後に独りでホテルから出て、近隣のコンビニ?何でも屋?のようなお店に行き、ペットボトルの飲料を数本購入し、部屋に戻り風呂に入って少し酔いを醒ましてから、昨日と同様、独り予演を何回か行った後、歯磨きをして床に就いた。

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。