2017年4月16日日曜日

20170416 2006年(和歌山在住時)のメモ帳が出てきました・・

A「本日の日中は天気も良く、気温も上昇したことから久しぶりに部屋の整理を行いました。

そうした中、偶然、ある荷物の中から2006年、和歌山在住時のメモ帳が出てきましたのでこれを少し読み入ってしまいました・・。

その内容とは、現在読み返してみますと、あまり文章化はされておらず、さまざまな思い付きのようなことが記されておりました・・。
とはいえ、その中で、ある程度文章としてまとまっているものを一つ挙げますと以下に示すようなものがありました・・。

2006年11月1日(水)
『朝、自転車で出る。大学に行く。昨日の雨嵐のため大学祭は中止になっていた。その後夕方**に行く。その頃から再び雨が降り始める。自転車で紀の川大橋を渡っていたら雨粒が顔に当たり大変痛かった。あんなのは久しぶりだ。修論の練り直しはまだ必要だろう。あと自転車の手入れも。ずぶ濡れの状態でメッサオークワに着く。人によって違うのだろうが、その時その時で注意を払っていることがある。これが人によって違うから色々な相違が生まれた。(言葉により)
それは争いを生み、文化を練磨し、議論を楽しくする。議論において、自分を絶対化する事は特に悪いことではないと思う。いつもいつも自分を監視し続けている方がよっぽど自分に対し無理を強いているのだと思うのだがどうか?
(他者の声によって知らされる真実もしくは本質の多面性に気が付かされるのだ。)
しかし、それでも見る対象はあくまでも人に属するもの、あるいは人そのものなのだと思う。
また、あくまでも議論とは、勝ち負けではなく、自分がある程度自信を持って言えることを言う場なのだと思う。ただただそれ故、それまでに何も観察し、学ばない人、本を読み学ばない人はコケにされるのだろう。
しかし、自分が知っていることは言葉で表現できるというのがそもそもの誤解なのかもしれない。』

これを見てタイピングしている最中、多少恥ずかしくも思われましたが、自身としては、この時期2006年に比べれば、いくらか文章の質、文体などは向上、洗練しているのではないかと思われます・・。

一方、あまり変わりがないと評価されても仕方のない部分、良く云えば、この期間(2006~2017)を通じて貫く『何か』もまた少しはあるのではと思われます・・(苦笑)。

また、このメモ帳(2006・11・01)に書かれた内容とは、これまでに幾つか投稿した、この時期を題材としたブログ記事内容とも、特に大きな矛盾はないのではと思われるのですが如何でしょうか?

さて、ハナシは変わりまして、昨日は休日ということもあってか、昨日投稿の記事は思いのほか多くの方々に読んで頂けたようです。

また、その後に認められた反応もまた大変興味深いものでしたので、早速活用させて頂きました。
どうもありがとうございます。

ともあれ、さきに述べたこととも関連しますが、昨日投稿記事をあらためて読んでみますと、そこで述べられていることは意外にも、さきに引用した2006年11月1日の日記の内容とも重なる部分があるのではないかと思われましたが、これも如何でしょうか・・?

目標とする600記事まで、もう間もなくではありますが600記事に到達しましたら、しばらくの間、出来るだけパソコンに向かない時間を(積極的に)増やしそうと思います(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」


20170415 深層意識の駆動を齎すものとは・・?

A「600記事到達まで残り5記事未満の投稿となりましたが、これまでと同様、心境の変化などは特に認められません・・。

また、おそらくこうした心境の方が平穏のうちに600記事に到達することが出来るのではないかと思われますが、その反面において、もう少し何かしらの変化が内面に認められれば面白いのですが・・(苦笑)。

どうやら、こうしたことは自身の意識上ではどうにもならないものであるようです・・(苦笑)。

またさらに、現在継続しているブログ記事の作成なども、おそらく自身の意識(の力)だけでは叶わなかったのではないかと思われます・・。

これには、もう少し意識の深いところの『何か』が変化、駆動しなければ、どうにもならないような気がするのです・・。

とはいえ、この深層の意識とは、一体如何なる外界からの影響、効果により変化、駆動するのかとは、今もって自身のことながら、よく分からないところです・・(苦笑)。

さらにこうした深層意識の変化、駆動を齎す影響、効果とは個々人のそれまでの経験により異なる(食べ物の好き嫌いなどと同様に)と考えられるため、科学的な分析そして普遍化することは困難ではないかと思われます・(ある程度までは出来るのかもしれないが)。

それ故、こうしたことは結局のところ時間をかけ、苦労をしてでも自分自身で探し求める以外ないのではないかと思うのです・・。

つまり、そこにはマニュアルといったものはないのです・・。

そして、その代わりに、さまざまな過去の事例である歴史、あるいはそうした歴史を抽象化したものとしての思想、哲学といったものがあるのではないかと考えます・・。

そうしたことから、上記のような歴史、思想、哲学といったものは本質的に個々人が能動的に取り扱う、取り組むことによってのみ、はじめて何かを開示してくれるのではないかと思われるのです・・(時によってはとんでもないことが分かると聞きますが、その内容の価値とは個々人で大きく異なるため、あまり明言されることは少ない、しかし示唆的に語られることはある・・)。

いや、こうした本質的とも云えることに関して、本来は文系も理系も関係ないのかもしれませんが、理系学問とは概ね、その知識を能動、受動であれ、とりあえず保持していれば、職業に結び付き易く、ひいては生活がし易くなるといった性質があるため、さきに述べた『時間をかけ、苦労をしてでも』といった意味合いが若干異なってくるのではないかと思われるのです・・。

こうしたことは、一見些細且つ微妙ではありながら、実際にそれぞれの分野にて研究に従事されている方々をある程度広く比較してみると、それなりに大きな類型(ステレオタイプ)の相違といったものに結び付くのではないかと思われるのです・・。

また、こうしたことは、地域間、国際的な比較を通じ、更に大きな類型の相違といったものが看取されるのではないかとも思われますが、そこまではとりあえず、現在の自身では手に余るものがあります・・。

とはいえ、そこでまた大事であるのが、さきに述べた各々地域、国々の持つ土着の歴史、思想、哲学といったものではないかと考える次第です・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」