2017年3月9日木曜日

20170309 つかみの文章・情熱(基点・核として)

A「今回の記事投稿により総投稿記事数が560に到達します。

投稿記事数に関しては、つい先日、555への到達の際にも書いたばかりですので、今回の560において、また書くことに対して多少、躊躇しましたが、記事題材の着想が思わしくない現在の状況において、ある程度区切りが良い記事数(560)への到達とは、少なくとも都合の良い『ツカミ』にはなるのではないかと思われるため書いている次第です(笑)。

そして、面白いことに、こうしてある程度文章を書いていますと、そこを基点、核として、新たな関連する題材、記事の主題となるものが想起、着想することが少なからずあるのです・・。

おそらくこれは文章を書く際の技術である以前に我々が会話などの際に自然に行っていることではないかと思われますが、如何でしょうか?

そして、そこからあらためて『口語より文語が発生する』といった、ある程度普遍的ともいえる言語の発展の仕方のモデルを推量することが出来るのではないかと思われます・・。


また、そのことから文語体による硬質な文章である論文などもまた(全て)本質的には口語的に表現することが出来るのではないかとも考えます・・。

とはいえ、それらが『はじめから』口語的に表現されることにより、より多くの理解を得ることをはかれば良いのであるかというと、必ずしもそうではなく、口語的に表現されることにより、その『意味』が曖昧になってしまい、そのことから誤解が生じやすくなるものとも云えます。

それ故、内容の厳密さを重視する科学的な文章とは、文系、理系を問わず、用いる言語とその意味が厳密な対応関係にあるとされる(硬質な)文語により編まれるのではないかと考えます・・。

そして、そうしたことは先日行った(異分野間での)議論などの経験によって強く認識するところであり、実際思い起こしてみますと、かつて修士課程在籍時の自身の一つの大きな目標とは『自身の専攻分野および周辺分野の学術書、論文などを(理解しながら)日常的に読むことが出来る状態にまでもって行く』ということであり、これに関しては、ある程度成功したのではないかと思われます・・。

また、それ故、その後の歯科材料学の分野においても、どうにかなったのではないかとも思われるのです・・。

しかし、これはあくまでも主観的な認識であり、おそらく他者がそれを評価する際においてはまた偏差があるものとも考えますが・・(苦笑)。

それでもまた、こうしたことは、大きく捉えますと『書かれている事柄の内容を正しく理解、認識し、それを運用出来ること』であるとも云えます。

そして、そこに至るためには、自身の経験、観察によりますと才能、処理能力よりもむしろ、あまり合理的、カッコいいものとはいえない『ある種の能動性(情熱)』が必要不可欠であるのではないかと思われるのです・・。

そしてまた、そこを基点、核として、さまざまな創造行為が為されるのではないでしょうか・・?

また、これこそが人工知能(AI)が発達しつつある現今においてもなお、我々生身の人間のみが普遍的に持ち得る優れた要素ではないでしょうか・・?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」