2017年2月20日月曜日

20170220 主に二著作からの抜粋引用「海底二万里」および「発掘から推理する」

本日の首都圏は特に風が強く、町中にて設置してある看板が風により転倒している光景が数例見受けられました・・。

とはいえ、こうした風の強い日が少し続き、そして徐徐に春めいてくるのではないかとも思われますので、寒い時期ももうしばらくで過ぎて行くのではないでしょうか・・?

さて、当ブログについてですが、昨日投稿記事も本日の日中も含め、思いのほか読んで頂いており、作成者としてはとても嬉しく思うところです・・(笑)。

興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
それら記事の中でわずかでも共感出来たり、考えさせられる要素が認められるのでしたら、こちらも作成した甲斐があるというものです・・(笑)。

とはいえ、本日作成のブログ記事に関しては、主に書籍(二点)からの抜粋になることを予めお伝えします。

まず、唐突ではありますが、古事記の日向を舞台とするハナシにおいて登場する豊玉毘売とは、大きなワニの化身であったと描かれております。

また、同様に、出雲神話での大国主の関連するハナシに因幡の白兎がありますが、ここにもワニが登場します。

しかしながら、いかにハナシの舞台が古代であり棲んでいる生物も現代と若干異なるとはいえ、我が国に在来生物としてワニが棲んでいたということは眉唾ものです・・。

それ故、これらの神話に登場するワニとは実はサメ、ウミヘビなどを含めた『海神を象徴するもの』というのが、どうやらそれら神話の解釈における通説のようです・・。

また、これらの神話と類似するハナシとは中国南部、東南アジアに分布しているため、おそらく何れかの経路により、それらハナシのスジが古代の我が国にもたらされたものと考えられております・・。


そして、これらのことを前提として、以下に二編の書籍からの抜粋引用を試みます。

岩波書店刊 ジュール・ヴェルヌ「海底二万里」上巻p.365より抜粋引用

「一月一三日、ネモ船長はチモール海に到着し、東経一二二度に位置する同名の島を確認していた。
この島は表面積が一六二五平方里、ラジャ(インドの王、王族)に支配されていた。
それらの王族は、みずからがワニの子孫、つまり人間の起源としてもっとも気高い先祖から生まれ出たものどと自称している。
それゆえ、この島の河にはこれら鱗の生えた先祖たちが多数あり、特別な崇拝の的となっている。ワニは保護され、甘やかされ、褒めそやされ、養われている。若い娘が餌として与えられることもあるし、よそ者がこの神聖なるトカゲに手をかけようものなら、たいへんな目にあう。」

岩波書店刊 金関丈夫著 「発掘から推理する」pp.65ー66より抜粋引用

「日本でシッポのあった部族は、豊後の緒方一族が、「平家物語」以来有名になっている。
緒方は尾形で、この一族の人びとには、からだに蛇の尾の形や、鱗の形があったという。
鱗形のほうは、自族が海神すなわち竜(蛇)神の子孫だ、という伝承が強くのこっている。
緒方は大神氏の一支だが、この氏族や、伊予の河野や越智一族の家紋は鱗形だ。
鱗を家紋とするものは、平氏の一族にもあり、伊豆、相模の北条にもある。
平氏の厳島、北条の江ノ島は、九州の宗像の女神のわかれで、江ノ島の弁財天が竜女であったことは、「太平記」の時政榎島参籠のくだりで有名だ。
シッポは消失しても、宗像神をまつる部族は、家紋に蛇の鱗をのこすものが多い。
宗像は古くは胸形で、胸形とは胸に鱗形のあったことだ、と私はみている。
三角形、つまり鱗形のいれずみだったと思う。」

各々著された年代は大きく異なる(前1870・後1975)ものの、それらを統合する風習、観念が何かしら存在するのではないかと考えられるのですが、さて、如何でしょうか・・?

また、世界各地の民俗風習記録の集大成とも云える「金枝篇」は「海底二万里」刊行から20年後の1890年に刊行されました。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」