2016年10月21日金曜日

20161020 岩波書店刊 野上彌生子著「迷路」上巻pp.319ー322より抜粋引用

「省三は幅のある机に身を乗りだして窓をあけた。生ぬるく潤んではいって来る夜気には、酒の香がほのかに漂うた。
これは家の体臭といってよかった。
それを発散させる酒倉は、下の石畳の空地の三方を取りかこみ、厚い壁と、ほんの覗き穴ぐらいの小さな窓で、城砦めいて並んでいた。
省三に父祖の古い家に帰っていることを端的に思い知らせるのは、これらの重々しい建物と酒に匂う空気であった。
父親に似てか進んでは飲む気もしないのに、場合ではいくらでも飲めて、赤くもならず、かえって蒼ざめて眼がすわって来るだけなのは、赤ん坊から酒のかおる空気よりほかには呼吸しなかったためかもしれない。
その意味ではまた乳の香にも等しかった。省三は小鼻をふくらませ、それを嗅ぐことで、子供時代の家にまつわる追想に意識的に耽ろうとした。考えまいとするひとのことから、乱れる情念を引き剥ぐには手近く、便利な方法でもあった。
九月にかかると、田舎から背中の両側に重い俵をつけた馬が、店から内所のまえの通路を抜け、それの奥まった拡がりなる下の石畳の空地に毎日曳きこまれる。
俵のなかみはまっ青な渋柿である。酒倉の端に設備された臼場の、一列の古めかしい足搗の石臼で挫かれる若い渋い果実が、梯子でのぼる大桶に投げ込まれ、酒袋をそめる大切な染料としての渋の自家製造がはじまるのが、醸造場の行事の幕開でもあった。
日増しに透明に冴えていく秋陽は、石畳や酒倉の屋根の一部にもあるコンクリートの乾場に鱗のように並べられ、染め返されるたびに渋いろを深めて行く長方形の麻袋と、酒倉の白壁との映りあいを鮮明にする。当分渋の匂がぷんぷんして、こぼされた液が、黒ずんだ血に似た斑点を石畳に撒くのもこの頃である。しかし樽屋がはいって、親桶の箍の締め直しがはじまると、渋の臭気は、鋭利な包丁の切先でぱりぱり音をたてて割られる太い真竹の、甘青っぽい匂に変る。
また大阪からとどく吉野杉で新桶がつくられる時には、酒の芳醇を増すとされているその木肌特有の香気が、かんな屑の一片にも漂い、これも梯子乗で、えんやさ、えんやさと、大槌を振う樽職人たちの掛声まではずみわたって聞こえた。
実際これ等のまっさらな親桶が、角力の横綱めいてふとぶとした青竹の大箍で、淡紅いろの胴体を幾段にも締めあげられた出来上がりは、どっかりと目ざましい観物であった。親桶が石畳に現れだすと、小学生の省三は仲間を引きつれて這いこみ、いくら叱られても、内側からを輪廻しのようにごろん、ごろん、させておもしろがったものであるが、新桶だけは流石の悪童たちも憚った。
敢えて犯そうものなら、仕込米を積みこんだ米蔵の中での戦争ごっこと同じく、老杜氏に大目玉を喰わされるのである。
主人の治右衛門でさえ「おやじどん」で、決して呼び捨てにはしなかったこの老杜氏は、もう四十年からの奉公人で、彼に劣らぬ年期を入れている弥吉番頭と並んで、店と酒倉を分権的に支配していたので、奥の小わっぱなど孫扱いであった。臍の下に猪口がのるのが自慢で、時々やって見せた彼の毛むくじゃらの偉大な布袋腹と、毎朝くばって来たひねり餅の味が、省三の記憶には切り離されない連関をもっている。
このひねり餅で、倉はいよいよ酒の仕込みがはじまったのを子供の省三は知る。またそれは米の蒸れ工合を見るために、酒屋だけで作られる特殊の餅であることもわかっていたが、どんな方法で拵えられるかは、白い米がどんな過程で酔う水に変ずるか、わからないと同じにわからなかった。そのほか酒倉のことは、昼でも場所ではまっ暗なのと、容易に人の立ち入りを許さない拒否で、一種神秘めいた蔽いに包まれていた。それに店と倉とは地球の東西に似ていた。酒醸りのおもな作業は、店の商売とは反対にほとんど真夜中に行われるからである。長い頑丈な鎖つきの大戸が、がら、がら、がちゃんと閉ざされて店が眠り、内所に集まって、雑巾さしやつぎ物の夜なべをする女中たちも寝てしまい、鼠の渾名のある小男の、眼っかちの不寝番の爺が、拍子木を叩いて廻りはじめる頃、倉は活動を開始する。表側がおきて働いている時、裏側は眠っており、それがおきだすと表側が眠る、というわけで、このずれちがいが酒倉の中の生活を一層隔絶させ、子供の幼いこころには怪しく、不可知なものに感ぜられるのであった。」


迷路」上巻

ISBN-10: 4003104927
ISBN-13: 978-4003104927