2016年5月25日水曜日

20160524 社会が巧妙に仕組んだワナ、創造性について・・

先日のブログ記事にて記した「燃え尽き症候群」とは、今考えてみますと私にもそれに類するものがあったのではないかと思われます・・。

そして、それは学位取得後の時期であると考えております。

その当時はアタマの中ではさまざまな考えが浮かぶのですが、それを上手く言語化、文章化することがまったく出来ないといった状況でした・・。

そうした状況がある程度継続すると、多少なりとも精神に失調をきたすのではないかと思われますが如何でしょうか?

ともあれ、そうした状況を経て現在、少なくとも以前よりかは(ある程度)楽に文章が書けるようになったのではなかと思われます・・。

そして、それは遅々たる、漸進的な治癒、寛解の過程を経た結果であり、同時に今後また如何なる状況に遭遇することになるかはわかりません・・。

しかしながら、あの文章がまったく出ない時期とは、私にとって心身共になかなか辛いものでした・・。

そうした時期のさなか、周囲の複数の方々の勧めに従い、ブログ記事を書き続けたことは、現在になり考えてみますと、やはり効果的であったのではないかと思います。

こうしたことから考えてみますと、どのような効果、重みによるものであるか分かりませんが、少なくとも私にとって2013年初秋に取得した「学位」とは、一面において「呪い」のような効果があったのではないかと思われます・・・。

また、現在において、こうしたことを過去の出来事として記すことが出来ているのは、その「呪い」が解けたことによるものであるかはよくわかりません・・。

しかし、とにかく何かしら自身の書くことが出来ることを書き続けることにより、大げさに云いますと現在の私とは「生きている」ことができているのではないかとも思います・・。

それ故、今後博士課程に進むことを検討されている皆様、現在では「足の裏の米粒」と評されるその結実たる学位ではありますが、これには一面において、こうした(多大なる)負(?)の効果がある可能性もまたどうぞ認識して頂きたく思います・・。

もしかすると、これは社会が巧妙に仕組んだワナであるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、その反面において、新しい事物の発見、学問的な創造性とは、こうした危険、ワナの先に存在、あるいはその展望が開けるのかもしれません・・。
そしてそれはそれで一方においては魅力的なことではないかとも思われますが如何でしょうか(笑)。

また、私は私が提示することが出来る新しい事物およびそれらの関連性を提示し尽したなどとは考えておりませんが、それでも自分なりに何かしら新しい要素を吸収しつつ、そこから何かしら提示し続けることを現在なお望んでおります・・(笑)。

そして、その様式が私の場合、たどり着いたこのブログであり、また文章ということになるのかもしれません・・。

さて、このようなことを平気が記す私とは現在なお精神に失調をきたしているのでしょうか(笑)?

あるいは、もしかすると、このようなことは自明のことであり、上記のことはいわば冗長であり、また単に私の理解の鈍さを示しているだけなのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

また、先日の熊本の大地震により被災された地域における生活インフラの復旧そして今後の復興を祈念しております