2016年4月9日土曜日

20160408 歴史の勉強?方法について・・

本日電車の中で野上弥栄子「迷路」上巻を読了しました。
この著作は、ここ最近読んだ書籍の中で出色の出来、面白さであると思います。

続けて、すぐに下巻に移りたいと考えましたが、とりあえず今月末くらいまでは待ち、それまで既読の上巻を再読、精読してみようと考えております。

そういえば、これまでに長編小説を読んだのは首都圏在住時に多いことを不図思い出しました。

「薔薇の名前」、「ドン・キホーテ」、「魔の山」、「ノストローモ」、「西洋人の眼に」、「神聖喜劇」、「さらば古きものよ」そして小説ではありませんが「日本文学史序説」といった比較的分量、文量の多い著作は何故か首都圏、都市在住である場合、特に苦に思うこともなく、移動時間、空き時間を利用し読了に至ります。

そして、こうしたことは、私の場合だけに適用することが出来ることなのでしょうか?

それはさておき、この「迷路」という著作は、大変面白い作品であると同時に、前に示したコンラッドの長編小説「西洋人の眼に」を少し想起させました。

そして、そのようなことを考えてみますと、私は大概の歴史についての勉強とは、学術書、資料等を片面に、そしてもう片面を小説、映画などといったものにより学んできたことを再認識します。

また、歴史の勉強がこのような複合的な手法によって為されるのであれば、もう少しその面白さが増し、伝わり、それに興味を持ち、専攻される方々が増加するのではないかとも思います・・。

私の場合、おそらく当初は偶然であったのでしょうが、その後、周囲の方々の教え、影響により、そうした手法を何となく身に着けていったのではないかと思います。

その意味において、私の師匠運というものは、かなり良いのではないかと思うことがあります(笑)。

そして、それは私の理系分野(歯学)の学問においてもまた、同様の傾向が認められるのではないかと思います。

さて、ここ数日間、前掲著作「迷路」(上巻)について書いてきましたが、その期間においてもブログ閲覧者の方々の中で、これまで作成した記事をかなり深く読まれている方(方々)がいらっしゃることが示唆されました。

こうしたことは大変ありがたく、それがブログ記事を書く意欲の主たる源泉となっております。

また、話は変わりますが、ここ最近「教養としての歴史」といった感じで様々な書籍が新刊、刊行されております。

そうした一連の書籍の中において、おそらく名著、良書も少なからず存在すると思います。

しかし一方、これら書籍をただマニュアル的に購入、読むのであれば、書店、古書店に足を向け、色々と立ち読みし、自身が内心から面白いと思える時代、歴史を舞台とした小説を購入し、それと併行して同時代を舞台とした映画作品などをDVDなどで観てみるのも前述の新刊本の読書に負けず劣らず面白く、勉強になり、また経済的であるのではないかと思いますが、如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。