2016年11月6日日曜日

20161105 文章、文体、認識の枠組みについて・・

A「先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は第二部の200頁まで至りました。

こうした長編小説とは、ある程度期間のインターバルを設けて読むと、読書の進行が多少早くなるものであるのかもしれません・・(笑)。

また、この著作は自身の感想としては大変面白く、おそらくこの土・日曜日の間に第二部もまた読了に至るのではないかと思われます・・。

そしてその後さらに第三部(最終部)読了に至ったならば、今度は同著の英訳版を購入し読んでみようと考えております・・。

英訳された日本の小説とは、著作によっては(私にとって)大変高価なものもありますが、幸いなことに、この著作については比較的手頃な価格にて求めることが可能であるようです。

また、以前投稿したブログ記事においても記しましたが、この著作は、現代の若い方々が読まれると何か面白い、不思議な感覚、認識を得ることが出来るのではないかとも思います。

いや、こうしたことはむしろ一般的であり、あるいは論理一辺倒の科学的な論文などにおいても同様であるのかもしれませんが、我々とは、何かしらの著作、文章を読むことにより、肯定的、否定的であれ、そこから様々な感覚、認識を惹起します。

そして、その(感覚、認識の)蓄積、そしてそれらの精神内部における経時的な反応、化合等に加え、実際の経験を積むことにより、より大きな観念、思想といったものの核が徐徐に形成され、それが様々な形で文字、言語を以て表出されることにより、明瞭化、体系化された観念、思想と称するに堪えうるものとして顕現に至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした営みとは無意識である場合も多いのではないかと思われますが、何れにせよ殆どの方々が日常的に行っていることであると考えます。

ただ、そこで特に重要であると思われることは、実際の経験とは、各人各様に日常生活を送る上にて得ているのでしょうが、それ(経験)を認識するための、あるいは認識の枠組み(言語化、評価)を形成するための基盤、母材(マトリックス)として、何かしらの文章そしてその文体の果たす役割の大きさということです。

そして、これが各人各様である経験をある一定の方向へ収斂するものであると同時に、その個性、特徴を発揮する基盤でもあるということは、なかなか面白いことであると思われます・・。

その意味において広告、出版業界とは、依然として、ある程度大きな影響力を我々の社会に対し有しているのではないかと思われます・・。

しかしその一方、さきのブログにおいても記した通り、昨今、インターネットの普及により、膨大な情報が容易に広く入手可能となり、これまでのマスメディア、新聞、出版業界が関与、把持してきた認識の枠組みの重要性が希釈されつつあるということもまた事実であると思われます。

とはいえ、この認識の枠組みの重要性とは本質的(人間に付随する能力としての価値)には希釈される性質のものではないと考えます・・。

それ故、訪れつつある新しい時代においては、おそらく我々と文章そしてその文体(認識の枠組)の間にもまた、何かしら大きな変化が生じる、いや生じつつあるのではないかとも思われるのです・・。

それが如何なるものであるかは分かりませんが、あるいはこうしたこともまた、歴史の進行およびその方向性に対し、大きく関与しているのではないかと考えます。

また、それが古来より云われている「言霊」に関連するものであるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震、昨今山陰東部にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」