2016年11月29日火曜日

20161129 「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」の微妙な兼合い、関係

A「ここ最近また一段と気温が冬めいてきました・・。
この時期になりますと、どうも書籍を身を入れて読むことが出来なくなるのかもしれません・・(苦笑)。

そのためか、先日読了した「楡家の人びと」以来、これといった著作に出くわすこともありません。

しかしながら週末には大体書店に出向き、何かしら探しておりますので、今後またしばらくしますと、自然と次に読むべき著作に出くわすのではないかと、前向きに考えております・・(笑)。

しかし、そうしたことを意識的に見ますと、この書籍などを読み「面白い!」と感じる源泉とは、一体何であろうか?と思うに至ります・・。

おそらく、この感覚とは変化し続けるものであるのでしょうが、それと同時に、各々場面の状況においても、ある程度、有意な影響を受けているのではないかと思われます・・。

また、それと同時に、昨今、いや、かねてより「書籍を読むことは大事である」といった意見は巷に流布され、また、そうした傾向が社会において生じ続けております。

しかしながら、さきに記した「書籍を面白いと感じる源泉とは何であるか?」という疑問に即し考えてみますと、同じくさきに記した「書籍を読むことは大事である」という社会傾向とは、各々場面の状況として果たして必要であるのか?と思ってしまうのです・・。

つまり「書籍を読むのが本当に好きであるのならば、わざわざ社会の傾向により読書などを促される必要性はない」ということです・・。

また、それに加え、その時々で、自身が面白いと思う書籍を探すことの方が、より一層能動性に即した行為ではないかとも思われるのです・・。

しかしその一方において「書籍を読むことは大事である」という社会傾向の継続により(本当に)書籍を読むことが好きな人が徐徐に増加していくのかもしれません・・。

これは今現在の自身が、この社会傾向により恩恵を受けているとは感じられないことから、幾分斜に構えて見てしまうのかもしれません・・(苦笑)。

いや、あるいはここにもまた、以前投稿したブログ記事にて記した「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」の微妙な兼合い、関係といったものがあるのかもしれません・・。

そして、ここで思うことは、感覚的な私見とはなりますが、様々な行為・行動をとる上で「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」の双方共に重要であったとしても、特に我が国社会においては全般的に古来より「ネガティブ・ケイパビリティ―」優位ではないかと思われるのです・・。

そして、おそらくそうしたことが、国家間の様々な文化・風習・制度の相違の根源に近い部分に横たわっているのではないでしょうか・・?

しかしながら、こうしたことはかねてより云われており、陳腐なことではあるのかもしれませんが、同時に「書籍の選択」を背景の文脈として思ったこととしては、古今類例があるのでしょうが、それなりに意味があり、また、たとえ、なかったとしても物笑いのタネにはなりますので、それなりの意味はあるものと信じ、書き続けます・・(果たして本当そうであるのか?)(苦笑)。

さて、では何故、国々の間において「ネガティブ・ケイパビリティ―」あるいは「能動・積極性」優位の社会が形成されてきたのかと考えてみますと、その理由とは単純に「その辿ってきた歴史にある」ものと考えられます・・。

そしてハナシがここに至りますと「唯物史観」「構造主義」といったコトバが脳裏に浮かんできて、さらに続いて「下部構造が上部構造を決定する」といったコトバもまた浮かんできます。
しかし果たして、こうしたハナシ(歴史、文化などの比較)とは、そこまで公式化出来るものであろうか?とも考えさせる、あるいは疑問を生じさせる「きっかけ」こそが、能動的な書籍の選択、そしてそれに続く読書の意味ではなかろうかとも考えさせられるのです・・。

とはいえ、そうであるからといって我が国社会が全般的に「ネガティブ・ケイパビリティ―」優位であると考えることに対しては未だ(能動的な)疑問を抱けないのが現状であるといえます・・(笑)。

しかし、それも決して悪いことばかりでもないのですが・・それでも悪いところが以前(昭和時代)に比べ目立つようにはなってきているのかもしれません・・。

そうしますと、これは「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」よりさらに奥、基層にある何かの変化、劣化によるものであるのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んでいただき、どうもありがとうございます。

さきの熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震より被災された地域の諸インフラの早急な復旧、そしてその後の復興を祈念します。」











2016年11月28日月曜日

20161128 色々とハナシは飛びますが・・生命力の「燃焼」の程度

先日投稿したブログ記事にて2013年9月、鹿児島からの帰郷時における原宿付近での出来事を記しました。

そして、現在ではその出来事にある行動を採ることは困難であるように思われます・・。

むしろ、現在となっては、何故、当時(2013年9月)は、そのような行動をスムーズに採ることが出来たのか?の方が不思議に思われるのです・・。

そう思い返してみますと2013年当時の私と、現在2016年の私の間には大きな相違があり、さきのブログ記事に記した状況における対応、反応に限定して云えば別人になってしまったと表してみても決して言い過ぎではないと思います・・。

また、こうしたことをわざわざ(掘り返してまで)言語化、文章化することとは、どこかしら若い頃の悪行を自嘲・自慢半分半分で語るオジサンを連想してしまい、2013年の行為、現在の(そのことを言語化、文章化する)行為、共に我がことながら、あまり感心することは出来ません・・(苦笑)。

では何故、現在私がこの過去の「愚行」を再度ブログ記事の題材としているかのかと考えてみますと、それは、過去の自身(の特に行動)が理解出来ないことは、それが夢や架空の出来事でないのであれば、かねてより当ブログ記事にて歴史(過去の実際の出来事)の重要性を力説、標榜している私としては「灯台下暗し的な盲点」として認識されることにより、もう少し、その意味を考えてみた方が良いと思われるからです・・。

それ故、ハナシは元に戻し、具体的に2013年9月と現在の私の間には如何なる「相違」が認められるのでしょうか・・?

この問いに対し即座に感覚的に思い起こされる、一連のブログ記事にて用いてきたコトバとは「D2病」です・・。

端的に云えば2013年9月の私とはD2病の真っ只中にあり、それに対し現在の私とは、少なくともそこから大分寛解しているのではないかと考えます。

そして、それが両時期の間に見られる顕著な相違であり、また現在では理解不能な程の断層を生じさせる要因であるとも思われるのです・・。

とはいえ、ここで不思議に思うことは、2013年9月の出来事も現在と同様、自身の経験・記憶でありながら、何故、前者に関しては、その行為を行わしめた背景である、当時(2013)の精神、心の現実性を感覚的に内面から理解することが出来ないのであろうか?ということです・・。

そして、そのような状況を異なる視点から考え、さらに説明可能なコトバの抽出を試みますと、そこに「憑き物」「憑依」「Obsession」といったコトバが浮かんできます・・。

また、上に示したこれらコトバも以前投稿したブログ記事にて述べたことがありますが、そうしますと2013年当時の私は何かに「憑かれていた」とも表することが出来るのではないかと思います・・。

では、何に憑かれていたのかと考えてみますと、これもまた以前のブログ記事にて述べたものではありますが「Erdgeist」つまり「地霊」のようなものではなかったのだろうかと思われるのです・・。

また、この考えから更に歩を進めてみますと、この2013年の状態が、これもまた以前ブログ記事に記しましたが、「ハレ」(ハレ・ケガレのハレ)の状態であったのではないかとも思われるのです・・。

さらに加え、それはまた「躁的状態」ともまた、大きな関連性があるのではないかとも思われます。

以上、2013年9月の自身に対し思ったことを述べましたが、この後の反動とはかなり大きなものであり、自身の生命力に少なからぬ危惧を抱く結果となりました・・(苦笑)。

もしも(一定、有限の)生命力の「燃焼」の程度に差があるとすれば、この時の私とは、相対的に見て(著しく)強く燃焼していたのではないかと思われるのです・・。

そして、再びそうした状態になった場合、今度は上手くヒット・ポイントをずらし、持続可能性を維持することが出来るのではないかと、これまでのブログ記事作成での経験を通じ何やら得たような感じがしなくもありません・・(苦笑)。

しかし、実際のところは本当にそうなのであろうか・・?

また、これも畢竟、主観的仮説の積重ねであるといえば、そうであるので・・(苦笑)
とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年11月27日日曜日

20161127 「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「積極性」「能動性」何れが先行するものであるか・・?

A「本日の首都圏は一日中グズついた天候でした・・。
また、気温も上がらず、あまり自身の活性も上がらなかったように思います・・。

さて、先日投稿したブログ記事にて「ネガティブ・ケイパビリティ―」について記しましたが、こうしたものとは、まさに本日のようなあまり活性の上がらない時に、その価値が認められるのかもしれません・・。

自身の活性の上がっている時とは、おそらく他の多くの方々もまた、活性が上がり、ブログ記事の作成を含め、何かしらの行為をするのに適していると考えられるからです・・。

あるいは、そうした活性が上がるのが他の多くの方々と異なる場合もまたあるかもしれませんが、一般的に考えてみれば、前者のようになることが多いのではないかと思われます・・。

しかし、そうであるからといって「ネガティブ・ケイパビリティ―」のみが重要である考えるのはおそらく間違いであり、さらにその深層、基層においては、何らかの「積極性」「能動性」がなければ、さまざまなことを継続することは困難であるものと考えます・・。

あるいは、当初はイヤイヤであっても、何かしらの行為を継続することを通じ、自身のより根本(深層、基層)の性質に適した「何か」を発見することが出来るのかもしれません・・。
さらにまた、それは消極的努力の継続により、自身の深層、基層にある積極性、能動性に働きかける何らかの「鉱脈」を見つけるに至るのかもしれません・・。

そして、そのように考えてみますと、消極的努力と積極性、能動性では何れがニワトリ・タマゴの先行するものであるかと考えるに至りますが、私見では、積極性、能動性の方が、各個人の内面奥に(当初より先行して)存在し、それを探し当てるための行為の継続に必要な性質が消極的な性質を持つ「ネガティブ・ケイパビリティ―」といったものではないかと考えます・・。

また、そのように考えることにより、これまでどうにか継続的に作成してきたブログ記事のことが腑に落ちる、納得することができるのです・・。

もっとも、これはあくまでも私見であり、他の方々の場合においてはまた、状況が異なることもまたあろうかとは思いますが・・。

しかしながらハナシを自身のことに戻し続けますと、自身行為の継続に必要な「ネガティブ・ケイパビリティ―」とは、ブログ開始当初より一定したものではなく、それは(間違いなく)ブログ記事閲覧者の皆様がいたことにより、保持あるいは増加することが出来たといえます・・。

つまり、全くの孤立無援の状況の中で、消極的な努力(ブログ記事の作成)を継続することは、自身にとって困難もしくは「無理なハナシ」であり、どうした経緯によるものか、読んでくださっている皆様に助けられて継続することが出来ていると表して良いと思われます・・(笑)。

また、考えてみますと、こうしたことは何もブログ記事作成に限定されるものでもなく、世の様々な行為において、こうした背景とは遍く存在するのではなかろうかと思われるのです・・。

しかし、そうであるからといって、それに寄り添うのではなく、寄り掛かることは、如何なものかと考えますので、今後とりあえず500記事までどうにか記事を作成し続けたいと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





20161126 着想が訪れない、浮かばない時には・・鹿児島からの帰郷時の出来事

本日のブログ記事投稿により投稿総記事数が491となり、目標とする500記事まで残り10記事を切ることになります。
これに対し特に感慨らしきものはなく、今後もしばらく、この調子にて投稿し続けるつもりです・・。

とはいえ、本日もまた作成記事の主題は決まらない状態にて作成をはじめ、今現在何を書こうかと、その着想が訪れるのを待っている次第、状態です・・(苦笑)。

しかし、着想を待つとはいっても、確実に着想が訪れてくれるわけでもなく、特に本日に関しては、その着想がなかなか湧かず、訪れず、多少困った状態であるといえます・・(苦笑)。

こうした状態においてこれまで採ってきた手段とは、書籍からの抜粋引用であるのですが、500記事到達が目前にあるといっても良い現状において、その手段を用いるのも、如何なものであるかと考え、今現在そうした思いを記している次第です・・。

また、こうした自身の意識の状態、流れを記すことにより記事の着想が多少は湧く、訪れ易くはなるのでしょうか・・?

これまでのところ、こうしたことをある程度記していると、何かしらの記事主題に至る着想が自然に(この自然というものが実に曖昧であり、現在のところ、それ(自然およびそのメカニズム・作用機序)を言語化することは難しい)湧く、訪れるのですが、その自然なるものを言語にて記す、語ることを試みることにより、あたかも逃げ水のように、その(着想の)光明が遠ざかっていくものであるのかもしれません・・。

しかし、そうであるとしても、ここで言語による表出を諦めてしまうと、もとの木阿弥であり、逆にそうであるからこそ、ここで踏みとどまり、言語による表出の継続を試みる必要・重要性性があるのではないかと思われます・・。

そして、ここにブログ記事作成の継続のある程度重要なカギがあるのではないでしょうか・・?

もちろん、作成記事の着想を得るとは、何らかの主題、ネタが自身の中に言語化可能な程度に顕現、明示されることであるのですが、あるいはそれと同時に、現在のような着想が思い浮かばない状態においては、そうした意識の状態、流れを記すことによってもまた、さきに述べた着想とは「異なった経路」ではあるものの、結果的には記事の主題を得たのと、ほぼ同様の状態となるのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうした状態にて記した文章が果たしてある程度(この概念も曖昧ですが)の同意を得ることが出来るかどうかとは、また別問題ではあるのですが・・(苦笑)。

そうしますと、これはどちらかというと、単に内心の満足を得るための方便であると採ることも出来ますが・・(苦笑)。

しかしながら、そもそも、これまでに作成したブログ記事とは、以前、周囲の方々に勧められはしたものの、その作成および継続とは、全面的に自身の能動性に委ねられたものであり、何らの義務によるものではありません・・。

それ故、今回の手法により作成された記事もまた、それが内心の満足を得るためのものであったとしても、それは本質的には以前の手法により作成されたものと、そう大きな相違はないのではないかとも考えられるのです・・。

そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、その脈絡がよく分かりませんが以下のことです・・。

2013年9月に自動車(軽・鹿児島ナンバー)にて鹿児島より帰郷の折、東京に入り305号線・明治通りにて原宿を抜け走行していると、左側に東郷神社が見えたため、速度を少し緩め、神社を向いて軽く会釈をしたところ、後続の外国製SUV車にけたたましくクラクションを鳴らされ、追い抜かれました・・。

その直後、私は何を思ったか、このSUV車を追いかけ、追いつき窓を開け顔を出し、思い切り運転席の方を睨み「コラーッ!」と叫んでおりました・・。

現在考えてみますと、おそろしくバカなことをしたものであり、また、ここにその内容を記すのも(大分)気が引けるのですが、その意味において、当時の私とは、やはり多少おかしかったのではないかと思います・・(苦笑)。
(また、そうであるからといって現在はおかしくないとは言い切れないが・・(苦笑)。)

とはいえ、今現在なお、そうした気持ち自体とは、内心にて持つ限りにおいては、そこまで悪いものではないとも考えますが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島県周辺にて発生した大地震にて被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年11月26日土曜日

20161125 ネガティブ・ケイパビリティ― 消極的能力・消極的受容力について・・

A「本日も若干帰宅が遅くなりました・・。

さて、昨日投稿のブログ記事に関連して思うことはネガティブ・ケイパビリティ―というコトバであり、これは和訳すると消極的能力、消極的受容力といった感じになるものと思われます・・。

そして我が国の通史的な傾向として、多くの史家、研究者等が指摘するものに上に示したコトバとも関連があると思われる「受容性」が挙げられます・・。

この「受容性」については、今更帰納法的に様々な具体的史実・事実を取り上げるまでもないと考えますが、たしかに我が国の持つ通史的な傾向の一つとして、この性質(受容性)が挙げられるものと考えます。

今までの自身のブログ記事においては、どちらかというと、内面からの「能動性」に多くの価値を払ってきたのではないかと思われますが、しかし、その能動性が如何にして、その場その場の現実に適合、噛み合い、駆動させる形で発露されるのであるかと考えてみますと、実はそこに、こうした消極的能力、消極的受容力の価値があるのではないかと考えさせられるのです・・。

そして、その意味において、多くの試練ともいえる苦行的なもの全般の持つ価値があるのではないかと思われます・・。

しかしながら、おそらく我が国においては総じて、そうした試練、苦行的なものに「のみ」価値を払う、認めるようになり、それ(試練、苦行)をさらに締め付けたり、解放したりといった「制御」(人知に関わる)の部分に関しては概ね、その出来具合が不明な個々の精神をも含めて大らかに扱い、あるいは専ら「神の見えざる手」に委ねているのではないかと思われるのです・・。

また、これにに関しては「いじめ」についても本質的には同様な考えが我が国社会の基層に根強く存在するのではないかとも思われます・・(良い悪いは抜きにして)。

そして、そうした古来よりの人間社会をも包括した我が国の自然観、社会観とは、人間と自然を切り離す傾向が強い欧米的な価値観とは本質的いや最終的にはソリが合わないのではないかと思われます・・。

しかしながら、明治から現代に至るまでの我々の近現代史とは、反動的な傾向を持つ時代(それはいつの時代にもあった)もありましたが、それは概ね段階的な社会の欧米化であったのではないかとも思われます・・。

またそれは国内地域においても時代により濃淡があるのではないかと思われます・・。

そして、そうした視座から現代の我が国の社会を眺めて見ますと、なかなか興味深い光景が広がっているのではないかとも思われるのです・・。

また、それはさておき、ここまで記してして、今回のブログ記事投稿により総投稿記事数が490に到達することに気が付きました・・。

そうしますと500記事まで残り10記事ということになりますが、全くそうした感慨もなく、おそらく500記事に到達しても、何かしら書き続けることになるのではないかと思います・・(苦笑)。

そしてそれが私なりの深層からの能動性により惹起せられた消極的能力、消極的受容力といったものではないでしょうか・・(苦笑)。

いや、案外これが大事であるのかもしれない・・(笑)。

何れにせよ、今後も気負うことなく、思ったことを記し続けようと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

さる熊本、山陰東部そして昨今の福島周辺にて発生した大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」






2016年11月25日金曜日

20161124 文章の率直さと、その持続・・循環論法、トートロジー?

本日は帰宅が若干遅くなりました。
また、天候の方も昨日の天気予報通りとなり、首都圏では珍しい11月での降雪となりました・・。
降雪とはいっても、決して嬉しいものではなく、私は概して寒い季節が好きではありません・・。
とはいえ、こうした傾向とは特に昔からという訳でもなく、かつてはむしろ夏の暑さを冬の寒さよりも毛嫌いしていたように記憶しております・・。
しかし、同時にその時期とは、まさしく夏の盛りに屋外にて盛んに運動(部活動)をしていた時期でもあり、むしろ暑さの耐性に関しては当時の方が強かったのではないかとも思われます・・。
こうしたことも考えてみるとなかなか不思議なものです・・(笑)。
また、そのように考えてみますと、現在継続して作成している一連のブログ記事の文章、文体とは、現在に比べ比較的文章がよく浮かんでいたと思われる以前の時期(2012~2013)に比べ、果たして上達しているのであるか?という疑問に結び付いてくるのです・・。
しかし、以前の文章がよく浮かんでいた時期とは同時に、あまりにもその記す内容が率直に過ぎ、その意味において、ある種の賢明さを欠いていたのではないかと思われるのです・・(苦笑)
【もともとそしてまた現在においても賢明さは少ないかもしれないが・・(苦笑)】。

そして、私見ではありますが、そうした(率直過ぎる)文章を記すことが出来る期間とは、あまり持続するものではなく、さらに、それらをSNSなどで公表するという行為は、かなりの危険を伴うものであったとものと思われます・・(苦笑)。

また、その詳細な様相の変化を記すことは現在の私には難しいのですが、これを異言すると、上記のような率直過ぎる文章での発露とは、感覚的には、定量入った水タンクから最大限に開栓した状態にて内部の水を放出するようなものであり、そのことから、持続しないのではなかろうか?と思われるのです・・。

その意味において、これも私見且つ感覚的なハナシではありますが、現在記している一連のブログ記事とは、内容の率直さにおいてはかつて程ではないものの、ある大きな一つの主題に対して、様々な視点から記述を試みているといった感じを受けることが多く、これが時折面白く感じ、また何よりも継続的なブログ記事作成に少なからず寄与しているのではないかと思われるのです・・。
しかし、その一方において否応なく認識することは、自身が記すことの出来る内容、主題の有限性であり、世の中には私がいくら頑張ってみても記すことが出来ない内容・主題の存在です・・。
とはいえ、こうしたことは嘆いてみてもどうにもなりませんので、自身は自身の掘れるだけの範囲を出来るだけ丹念に掘り続ける以外ないものと思われます・・。
そして、そうこうしているうちに、何かしらの機運に恵まれたならば、そこから生じ得る自然な変化らしきものが訪れるのではなかろうかと思われるのです・・。
そのためには、自身が適当な目標として定めた500記事到達までは、このようにブログ記事を作成し続けるほかはないものと考えますが・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」


2016年11月24日木曜日

20161123 呉爾羅(ゴジラ)から思ったこと・・生贄・人身御供

A「首都圏および関東地方においては本日夕刻より雨が降り始め、これが明朝にかけては降雪に変化するのではないかとのことです・・。

ここ最近若干この季節にしては温暖と思える日が続いた後、突如こうした天候、気温になるのは、正直あまり嬉しいものではありません・・。

とはいえ、その一方で少し嬉しかったことは昨日投稿したブログ記事が投稿翌日ではあるものの、少なからぬ閲覧者数を得たことです。

興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます・・。

そして、本日はそうした状況に促され、ブログ記事作成をはじめた次第といえます・・(笑)。

さて、以前もブログ記事にて記しましたが、ここ最近映画(DVDを含む)を観る習慣を無くしておりましたが、昨日、何を思ったか、かなり久々に映画作品をDVDにてレンタルして観ました。

その映画は1954年(昭和29年)に公開されたモノクロ版の「ゴジラ」であり、この作品は、以前何処かで観た記憶がありましたが、最近色々と話題になっておりますので、その元祖、原点を観てみようと考えた次第です・・(笑)。

さて、この作品からの所感、感想とは、先ず、出演されている俳優陣(エキストラを含む)の顔、身体の動きが21世紀の現代と随分異なるのではないかということです。

次いで、作中内のセリフの背景に古来よりの我が国の民俗を(強く)感じさせるということです・・。

一番目につきましては、各々作品をご覧頂いて判断されるのが良いと思います。

また、二番目につきましては、具体的には、ゴジラが当初「大戸島」(架空の島、伊豆七島あたりがモデル?)の漁船を沈め、また不漁が続く状況にて村の古老が
「これは古い言い伝えにある呉爾羅(ゴジラ)の仕業に違いない・・」といったところ、島の女性が「また爺様のゴジラがはじまった(笑)」と返し、それに対し古老が「古い言い伝えをバカにしていると、今にお前ら「あまっこ」(女性)を呉爾羅(ゴジラ)の生贄として差し出さなければならなくなるぞ!」と怒気を含んで言い返していたところです・・。

こうしたやりとりとは、現在では(おそらく)あり得ないのでしょうが、おそらく昭和20年代においては(地域によっては)自然なものであったのではないかと思われます・・。

あるいは、それは1933年(昭和8年)のアメリカ映画「キングコング」の舞台設定とも類似する部分があるとも思われますが・・。

何れにせよ、科学知識が発展する以前、さまざまな自然現象の作用機序が分からない状態において超自然的、人知では解決不能と思われる災害現象が発生した場合、広く我々人類とは、その現象を支配する存在を何かしら見立て、それに対し様々な種類の祈願・祈祷を試み問題解決を図ってきたようです・・。

そして、その中の一つが人身御供つまり生贄です・・。

以前、私はそうした祈願・祈祷の一つである「雨乞い」について調べたことがありましたが、そこでもこうした種類のハナシには少なからず出くわしました・・。

とはいえ「雨乞い」において何かしらの生贄を捧げる場合とは、概ね一地域にて数段階に種別される「雨乞い」手段・方法の中でも、最終段階近くにて用いられる、いわばとっておきの手段・手法であることが多かったです。

そして、そうした意味からも、この映画内状況(大戸島の漁村)での呉爾羅(ゴジラ)による被害の大きさが示されるのではないかと考えられます・・。

また一方、私は今年公開された「シン・ゴジラ」は観ておりませんが、作中にこうした民俗あるいは土俗性と結び付ける要素は見受けることは出来ないと考えております・・。

とはいえ、そうした要素とは作中に描かなくとも困ることはありません。

しかし、そこで危惧されることは、かつて我々もまた、こうした祈願・祈祷の手段・手法を採っていたことを忘れてしまうことにより、今後、未知の災害現象が発生した場合、(忘れてしまっているので)再び無意識的な歴史での記憶に則り、現代では常識から考えて無意味ともいえる生贄・人身御供を捧げるような始末になるのではないかということです・・。

時折、我々にはそうした傾向が強くあるのではないかと思うことがあります・・。

それ故、さきに記したゴジラ作中内、大戸島の古老の怒気を含んだコトバに関心を持った次第でもあります・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部での大地震および昨今の福島周辺における地震にて被災された地域の早期の復旧そして復興を祈念しております。」








2016年11月22日火曜日

20161122 本日発生した地震から思ったこと・・「歴史の価値」とは・・

本日早朝に福島周辺を中心として再度、大規模な地震が発生したとのことでした・・。今年に入り熊本、山陰東部、そして今回の福島周辺と、大規模な地震が幾度か発生しておりますが、これで打ち止めとなって欲しいものです・・。

そして上記一連の大地震にて被災された地域の早期の復旧およびその後の復興を祈念します。

また、それと多少関連するかもしれませんが、そこから思い起こされたことは、昭和18年(1943年)から4年連続(鳥取、三河、南海×2)にて発生した一連の大地震のことです・・。

これら大地震とは、我が国において、ある程度周期的に発生しているとのことですが、今回の一連の大地震に加え2011年3月11日に発生した東日本大震災とは、さきに記した昭和18年からの一連の大地震と周期的に何かしら関連があるものか分かりませんが、何れにしても、現在の情勢とは、これら地震以外においても不安感を惹起・助長する要素が散見されるものと考えます・・。

また、そのように考えてみますと、どうもその「周期」というものに対し興味をおぼえるのです・・。

私はこれまで記したブログ記事にて歴史上の出来事を記す際「こうした出来事とは周期的に生じているのではないか?」と幾度か述べてきましたが、これは特に理系学問分野で使われる厳密な意味での「周期」といったものではなく、どちらかというと、記した内容理解促進のための便宜的な語の選択であり、一方、歴史とは、その本質において「周期」(循環して生じる現象の繰り返し)ではなく、あるいは歴史学とは、繰り返し反復されない出来事、現象を科学的に取り扱う学問であるともいえます・・。

また、それに加え思うことは、たとえ歴史が周期的にある出来事、現象が循環して生じるものであったとしても、それを我々が認識、概念化(内面化)することにより、それ(広く概念化・内面化された歴史)が予防接種、ワクチンの様な役割を果たし、未来に生じる出来事、現象を改変(良くも悪くも)することが出来ているのではないかということです・・。

そして「学問」としての、いや「認識される歴史」の一つの大きな価値とは、そうしたところに存するのではなかろうかと思われます・・。

故に歴史を軽く扱うことは避けた方が良いと考えるのです・・。

とはいえ、その一方において、これら認識される「歴史の価値」とは、世界的に見て「地域性」らしきものがあり、我が国のように四季がある程度明瞭に巡り(循環し)、また大地震が周期的に生じるような自然風土の環境においては、自然環境からの影響による周期的な循環を打破・分解するような概念・内面化された歴史観は成立し難く、むしろ、そうした自然環境に慣れることにより、ある意味、逆転した意味にて、そうした自然環境を馴致したという認識を得るに至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした考えが以前ブログ記事にて記した和辻哲郎著「風土」における我が国をも包括する「モンスーン型文化風土」であり、また同時に、それはベン図において、大きな重複領域を中尾佐助の生活文化分類における「照葉樹林文化」と共有するのではないかとも思われます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


そして、繰り返すようではありますが、これまでに生じた大地震(熊本・山陰東部・福島)により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。







2016年11月21日月曜日

20161121 「研究の進化・深化・未来そして「語るに落ちる」・・

本日の首都圏は夕刻より雨が降っております。
また、現在は小降りにはなってきておりますが、このまま明日早朝までは降るとのことです・・。

さて、昨日投稿の記事により総投稿記事数が485に達しました・・。

そして500記事到達まで残り今回の投稿記事含め15記事ということになりますが、ここに至ってまた、不図考えたことは以下の通りです。

「たしかにその通りではあるのだが、その一方で、あまり芳しくない出来と思しき記事も中には少なからず存在するものと考えられる・・これらに関しては、それら記事を削除するよりも、そのままにし、更なる記事の投稿を以て、実質的な意味で500記事到達にすれば良いのではないか、そして、それ以前にとりあえず目標としている、全体としての500記事到達を目指す方が先決はあるまいか・・?」

と考えるに至り、勇気をもって棚上げし(笑)以降、記事作成を続けることにしました・・(笑)。

そういえば、先日の「楡家の人びと」読了以来、大きな著作、長編には手を出しておりませんが、先週末に不図、朝永振一郎著の「量子力学と私」を読んでおりましたら、ついつい引き込まれてしまいました。

無論、そこに記されている専門的な概念、用語などは分からないものが数多くありましたが、それでも我が国の量子力学の黎明期である昭和初期(大学にその研究を教えることが出来る先生がいなかった)に著者を含む若い知性等が文字通り泥縄式に様々な手法を試み、互いに切磋琢磨し、徐徐にその学問(量子力学)を我が国に確立していく様が感じ取れ静かな興奮をおぼえました・・。

また、それと同時に今現在の未知の分野に挑んでいる方々も、おそらく表層からはあまり分からないのでしょうが、この著作に記されているのと類似した状況にあるのではないかと思います・・。

また、これが文系学問における研究となりますと、ハナシは多少異なってくるようであり、何と言いますか「自身が研究している内容に世の中の動きが追いかけてくる」といったところがあるのではないかと思われます・・(笑)。

このようなことを記しますと「それは単なる勘違い、迷信である!」と仰る方々が少なからず出てくるのではないかと思います・・。

また、自身も他者の研究にて、そうした現象を何度か認識、発見する以前は、概ねそのよう(勘違い、迷信)に考えておりました・・(自身もそうした錯覚(?)らしきものを感じたことはあります・・(笑)。)

そして、こうしたことを記しておりますと「何か世の中の重大な秘密を漏らしているのではないか?」といった幾分誇大妄想的な考えが湧いてくるのですが(笑)、果たしてこれは、そこまで重大な「秘密」であるのでしょうか・・?

あるいは単なる勘違い、迷信といったものであるのでしょうか?
ともあれ、それは何れであっても構いませんが、ただ思うことは、々人間とは、何かに継続的に無心に打ち込んでいる時に得ている不可知の感覚により、半ば無意識的にではあるのかもしれませんが、一時的に少し先(未来)の集合的無意識の世界への視野が開かれるのではないでしょうか・・?

しかしながら、これを記していて不図思ったことは、こうした感覚を得ることは、何も文系学問に限らず、理系学問においても同様に生じており、また、さきに挙げた著作「量子力学と私」に描かれている内容の一側面も実はそうしたものではないかということです・・(笑)。

「語るに落ちる」とは、こうしたことかもしれません・・(苦笑)。

ともかく、そのように考えが落ち着いてきますと、私は「文系学問とは・・・」と、その重要性や特徴を述べながらも、次第にその内容が広がり、文系のみに適応する内容ではなくなるといった傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。

これは、よく云えば内容に普遍性があるのか?あるいはベッタリとして特徴がないということになるのか分かりませんが、しかし、それでもこうした考えを文章として記しておくことは、未来の笑いのタネを提供するかもしれないという意味においては、わずかに有益であるものとします・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


さる熊本、山陰東部の大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」



2016年11月20日日曜日

20161120 伝統・文化 「肌あるいは骨身に知る」

これまでに幾つかの地域にて在住した経験から、それら地域での文化、価値観と、現在住んでいる首都圏のそれとで異なっていると感じたことが少なからずあります。その中の一つについて、先日ある機会により思い起こしましたので、それを記そうと思います。
首都圏あるいは我が国を代表する伝統芸能として「歌舞伎」が挙げられます。そして、特に首都圏などの都市部においては「歌舞伎」の観劇とは、どちらかというと高級な趣味とされているのではないかと思われます・・。またそれに伴い、歌舞伎役者もまた、どちらかというと、通常の俳優、役者とはまた異なった種類の有名人として認識されているのではないでしょうか?こうした価値観に対し、首都圏以外での在住経験のない頃は、特に疑問を持つこともなく、ただ、当然・所与のものとして受け入れてきました。しかし、これまでに住んだ幾つかの地域での生活、日常会話などにおいて時折、そうした自身が所与の、当たり前の価値観としているものについての相違が認識されることがありました。その中で印象的であった一つが「歌舞伎」についてです・・。

A「君の実家はたしか千葉県の市川市のようですが、何故幼稚園から中学校まで東京の学校に通っていたのかね?」

B「ええ、やはり同じ公立校とはいっても都心部の学校の方が色々と進んでいると云われていましたし、また、祖父母の家がそちらにありましたので、当時千葉県の市川市に住んではおりましたが、実際に育った場所は、その半分は都心部であるといっても良いのではないかと思います・・。まあ、それでもあくまでも出身は千葉県ではありますが・・(笑)。
しかし、それら都心の公立校においては、私のような生徒は少なからずいましたので、そこまで珍しいことでもないように思いますが・・。」

A「ふーん、B君の祖父母は東京の人なのですね、それでその方々は東京には何時頃から住んでいたのですか・・?」

B「父方は明治以降に上京してきたようですが、母方は明治以前から、つまり東京が江戸であった頃から住んでいたようでして、聞いたハナシに拠ると日本橋人形町あたりで商家を営んでいたようです・・。ですから、祖母などは現在考えてみますと着物の着方から様々な趣味に至るまで、江戸からの文化を受け継いでいたのではないかと思います・・。」

A「・・・そうですか・・それで、その江戸からの文化の趣味とは、具体的にはどのようなものですか?」

B「ええと、そうですね・・祖母は歌舞伎の観劇が随分と好きな方でして、私も幼い頃連れられて何度か観に行った記憶もあります・・。」

A「はああ・・歌舞伎ですか・・それが東京での伝統的な江戸文化なのですか・・?」

B「まあ、現在では様々な地域、地方で興行されるようですが、そういっても良いのではないかと思いますが・・。」

A「しかし、君、歌舞伎とは元々、なんだね、君も知っているとは思うけれども、あまり良いとされる文化ではなかったし、現在でもそれは基本的には変わっていないでしょう・・?梨園といったって、あれは要するに疑似皇室みたいなものではないかと思うよ・・。まあ、昨今は、マスコミの話題作りの一環で随分もてはやされてはいるようですがね・・。」

B「はあ、なるほど・・・しかし、ここ***では、そうした観劇文化自体があまり盛んでなかったことから、そのようにお考えになるのであって、江戸、東京においては、そこそこの歴史があり一般的に伝統芸能と認識されているものと考えますが・・。」

A「・・ふうむ、まあ、たしかに、此処には昔からあまり観劇といった文化自体があまり盛んではなかったし、また歌舞伎といっても、地方巡業に来るような旅芸人一座の一種として認識されているのかもしれないね・・。それでも東京では歌舞伎が立派な伝統芸能とされているのがよく理解できないね・・。」

B「しかし、地方巡業でしたら相撲なども行いますけれど、あれはかつて盛んに行われた地域の村相撲などとは、また別のものとして認識されますよね・・?」

A「いや、相撲は歌舞伎とは違うよ、あれこそまさしく伝統ではないかね・・?だから、村相撲には村相撲の良さみたいなものがあって、大相撲にはまた別のそれがあるのだと思うのだが・・。」

B「それでしたら歌舞伎もそれと同じように考えれば良いのではないでしょうか・・?」

A「まあ、それは理屈としてはそうなのかもしれないが、実際にそうした文化を肌身に知らないと、いくら君が力説・説得したところで、こちらは納得できないよ・・(笑)。」

B「ええ、それは仰る通りであると思いますし、またそれ(肌あるいは骨身に知ること)が文化そしてそれを認識する価値観にて不可欠なことであるとは思いますが・・。
かといって、これ以上、この話題では、あまり有意義な進展は望めないようですね・・(苦笑)。」

こうした経験とは、実際には往々にして、もう少しナマグサイものでしたが、それこそ数多くあります。しかし、現在では貴重な経験をさせて頂いたと考えています。

少なくとも、都心部の文化、価値観が「絶対」ではないということは肌あるいは骨身に知り得ました。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本の大震災、山陰東部での大震災により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。







2016年11月19日土曜日

20161119 根源的な変化と継続的な文章の作成の関係について・・

これまでに480記事以上を既に投稿しているため、本日に関しては特にブログ記事の作成、投稿を行わないでも良いのではないかと不図考えましたが、あとになり500記事到達を前にして書けなくなる可能性も否定できないため、とりあえず何か書きはじめようと思いたちました・・(苦笑)。

しかし、このような、いい加減ともヨコシマともいえる考えに基づき書きはじめてみても、何かしら書いておりますと、それなりに主題、テーマは思いつくようです・・(笑)。

さて、そういえばここ最近は映画をレンタルDVDをも含め観ていないことに気が付きました・・。

以前の鹿児島在住時は週末によく映画をDVDにてレンタルして観ておりましたが、その後からは不思議なことに、その習慣がほぼなくなっておりました・・。

しかしそれは「日常の生活が映画よりも面白いからである」といった考えには結び付きません・・。

それとは異なる次元にある、自身の根源的な「欲求」において何かしら変化が生じたからではないかと思われます・・。

また、こうしたことは、ある程度の年齢になりますと、頻繁に生じることはないように思います。

そして、変化が生じた後になると、むしろ変化以前の状態、嗜好を不思議に思ってしまうようなところもまた、あるのではないでしょうか・・?

そして、このような現象を「憑き物が落ちた」と表するのではないでしょうか?

そのように考えてみますと、現在、どうにかブログ記事を継続的に作成を出来ている状態とは、「何かに憑かれているのではない!」と断じ切るのは困難であるように思います・・。

加えて、昨春に強烈に感じた「文章を書くことが出来ない!」という思いは、さらにそれ以前の、ある程度文章を書くことが出来ていた時期と比べた結果であり、それは正直なところ、精神的な圧迫・苦痛を伴うものであり、漠然とした生命力の枯渇を感じさせる自身としては極めて恐ろしいものでした・・。

そして、その当時に比べますと、現在の状態とは、どうにかブログ記事として継続的に文章の作成が出来ていることから、かつてほど強烈な危機感(生命力の枯渇)を感じさせる状態ではありません・・。

とはいえ、あくまでも、これまでの継続的なブログ記事作成とは、その次(大学での研究支援、コーディネーターなどの職に就くこと)に目標を据えた、創造力の枯渇を防ぐためのものであり、その目標とは今現在、残念ながら達しておりません。
あるいは、今後それを達した場合においても、何かしらの方法に依り、こうした文章の作成そして発信を継続したいと考えております・・。

そして、それは、克己心といった積極的・前向きな性質のものではなく、どちらかというと、自身の鹿児島在住時における週末の散歩のように、自身の精神衛生を保つための消極的、防御的な性質のものであると判断されます・・。

しかし、そこで面白いと思うことは、こうした消極的・防御的な手段に拠って積極的といえる創造性の保持を図っているということです・・(笑)。

とはいえ、こうしたことは、さまざまな運動などの練習目的においてもいえるのでしょうが、このように、その「流れ」をこれまでの文章の流れにより書いてみますと、なかなか面白いものであると感じると同時に、命題、反対命題の止揚・揚棄により(創造的な)新たな統合された意見を得るといった考えにも一脈通じるのではないかと思われることです・・(笑)。

しかしながら、これもまた一つの仮説ですので、その実相とは、今後更なる検証を通じ判断していくのが良いのでしょう・・。

また、最後に不図思ったのは、もし今現在のブログ記事の継続的な作成が、何かに憑かれて為し得ているのであるとすれば、それは一体何に憑かれているのでしょうか・・?

あるいは、それは単に自己の行ってきた結果、自然に付随するものであると判断しても良いものであるのだろうか・・?

また、そうであると判断出来る自信とは、どこに由来するのであろうか・・?

しかし、現時点の自身としては何れでも構わず、とりあえず500記事まで作成するのみではあるのですが・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部での大地震により被災された地域の今後の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。










2016年11月18日金曜日

20161118 惰性・日常、無意識化による変化が上達?

昨日投稿したブログ記事は投稿翌日にしては閲覧者数が伸びました・・。

また、正直これまで500記事近くブログ記事を投稿してきましたが、一体どのような記事が、より多くの閲覧者を得ることが出来るのか、未だ現在イマイチよく分かりません・・(苦笑)。

とはいえ、たとえそれが分かったとしても、そうしたことをねらい記事を書く、書き続けるのも、あまり面白くないのかもしれません。

もし、そうしたことを自分なりに理解、意識していたとしたら、ここに至るまで記事作成、投稿は出来なかったのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、そのように考えてみますと、案外と上手い具合にここまで書き続けることが出来たのではないかとも思えるのです・・(笑)。

それに加え、これまでのブログの炎上が生じることがなかったのも、幸運であったのかもしれません・・。

いや、あるいはこれは単に、これまで作成したブログ記事が衆目を集めるに至っていない、つまり、あまり面白くないことによるものであるのかもしれませんが・・(苦笑)。

しかし、これ(面白くない)は意外と良いことであったのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、何れにせよ、そうした思いにあまり振り回されることなく500記事に到達できることが現在の目標であるといって良いと思います・・。

また、記事作成に関しては、今回もそうであるように、感覚的に半分以上惰性にて作成している感がありますが、実のところ、この「惰性」あるいはもう少し聞こえの良い表現を用いますと「記事作成の日常化(無意識化)」により、これまでどうにか記事作成を継続出来ているものと考えます・・。

そのように考えますと、如何なる種類の訓練であれ、何かしらの行動、行為の日常化(無意識化)こそが、その継続そして上達への大切な要素ではないかと思うに至ります・・。
(意外と命題、反対命題の生成過程に似ているのかもしれない。)

しかし一方「下手の考え休むに似たり」ともいいますが・・(苦笑)。

もとい、では現在継続して作成しているブログ記事以外、これまでに私は如何なる行動、行為を日常化(無意識化)してきたのかと考えてみますと、それは書籍、文献を読むことではないかと思われます・・。

これに関しては特に自信といったものはありませんが、多少の断続はあるものの、おそらく20年以上は継続してきたと思われます・・。
(しかし、それは努力というよりも、欲求といった側面の方が強いと考えますが・・。)

そして、それがこれまでのブログ記事作成の基盤であったのならば、もう少しは継続することが出来るのではないかと思われるのです・・。
(何せ20年以上と1年半ですから・・(笑)。)

とはいえ、これもあくまでも希望論であり、実際のところは直近の未来においてすら、何が生じるか分からないといった状況にて毎回記事作成を行っているのが現状であるといえます・・(苦笑)。
(しかし、そのような中でこそ、ある行動、行為の日常化(無意識化)といったものが進行し、第二の天性のように精神に定着していくのかもしれない・・?)

そして、そうした(不安定ともいえる)状態にて、ほぼ毎日記事を作成し、ブログの更新を行ってきたことに、どのような効果があるか、あるいはどの程度の変化が望めるかとは、まったく見当がつきませんが、何かしらの効果、変化といったものは精神の深層において生じているのではないかとも考えることが出来る、あるいは考えたいと思う部分が(少なからず)あるといえます・・(笑)。

まあ、それでも、それ(のみ)を期待しつつ毎回記事を作成しているわけではありませんが・・(苦笑)。

それに加え、これまでの習慣を支えている何かしらの精神的要素が何時まで継続するかも分かったものではありませんし・・(笑)。

そして、ここまで書いて不図、思い起こしたのはゲーテの「ファウスト」にてファウストが聖書のヨハネによる福音書の冒頭部を訳している以下の記述です・・。

「こう書いている。
「初めにことばありき!」
ここでわしはもうつかえる!
だれかわたしを助けて先へ進ませてくれないか。
わしはことばというものをそう高く値ぶみすることはできない。
わしは霊の光に正しく照らされているなら、別に訳さなくてはならない。
こう書いてある。
「初めに意味ありき!」
ペンが先走りせぬように
第一行をよく考えよ!
一切を作り出すものは意味だろうか。
こう書いてあるべきだ。
「初めに力ありき!」
しかしこう書きつけているうちに、もうこれでは済まされないと警告するものがある。
霊の助けだ!不意に思いついて
安んじてこう書く。
「初めにおこないありき!」」

では、ことばを用いて何かを記すことは「おこない」なのであろうか?
あるいは、あくまでもそれも「ことば」なのであろうか?
と、考えてしまいました・・(苦笑)。

ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。











20161117 継続的な着想、(循環論法・トートロジー)、弁証法について・・☆☆☆

総投稿記事数も480に到達し、500記事まで残すところ20記事未満となりました。

そこで少し前を振り返ってみますと、直近の適当な区切りであった450記事到達から現在に至るまでは思いのほか早いものであったと思います。

そして、このままのペース(1日1記事)にて書き続けることにより来月12月初頭の500記事到達が予測されます。

とはいえ、この先如何なることが生じるか分かりませんので、とりあえず500記事到達までは「継続的な着想」が枯渇しないように書き続けようと考えております・・。

さて、その「継続的な着想」ですが、これは昨日投稿のブログ記事にて扱った「循環論法」あるいは「トートロジー」(これも以前ブログ記事にて扱った)と深く関連するものであり、さらにこれらは特に文系学問分野における思考方法に類縁関係を持つのではないかと考えます・・。

その一方において、文系学問分野における思考法として即座に思い浮かぶのは「弁証法」(ヘーゲル以降)ですが、この弁証法において定義される命題、反対命題もまた、その各々(命題・反対命題)の生成過程を考えてみますと、おそらくさきの「循環論法」「トートロジー」に拠るものが多いのではないかと考えられます・・。

そして命題・反対命題であれ、それらの生成過程とは、その次の段階ともいえる弁証法による議論よりも、内面性が強く、明らかにされることが少ない、無意識のうちに生成が為される部分が多いのではないかと思われます・・。

「循環論法」「トートロジー」とは、本質的にそうした性質を帯びていると私は考えます。

そして我々は日常において、そうした思考の回転(「循環論法」「トートロジー」)の様相を言明、記述の何れであれ、明示しようとはあまり考えません・・。

むしろ、そうしたことを試みるのは「変」であるとされるのが通常ではないでしょうか・・(笑)。

また、この点について、我々日本人とは、相対的にその傾向が強いのではないでしょうか?

それ故、我々には「常識」といった感覚はありながら、議論により構築された汎用性を持つ「哲学」といったものに未だ持つに至っていないのではないかとも考えられます・・。
あるいはそうしたものが苦手であるのかもしれないです・・。

これを別言すると、個別的ともいえる思考の回転(「循環論法」「トートロジー」)と「弁証法」の議論の間に大きな溝がありながら、論理的な議論に対し何らかの知的な理解を示さなければならない場合においては、感情的な能力ともいえる「共感」の(名人的ともいえる)駆動により、どうにかその場をやり過ごすことが多いといった感じです・・。

これはたしかに一種のユーモアではあるのかもしれませんが、そればかりではやはりダメであると思います・・。

とはいえ、それでも「循環論法」「トートロジー」といった議論、思想のタネともいえるものが大事に扱われないのは、それらが持つ一種の悩んでいるような感じ、暗さとも見られる鬱屈した感じからではないでしょうか・・?

そうしたものよりも、それを表層的なユーモアにていじり倒す方が余程「見ていて」気持ちがいいことは間違いありませんが・・(笑)。

しかし、それだけでいいのでしょうか・・?

あるいは、実のところそれが(我が国における)適当な価値の配分であるのでしょうか・・(苦笑)。

また、国民性とは、こうしたところにも表れるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


さる熊本における大地震、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

2016年11月17日木曜日

20161111 「楡家の人びと」から「迷路」「神聖喜劇」などの長編について・・☆☆

A「昨日は風が強く、またそこそこ寒いなか、屋外にいる時間が長かったためか、風邪をひいてしまい、今現在多少頭が重く、体全体が気怠い感じがしております。

それ故、本日の記事更新は止めにしようと考えましたが、これまでに培った習い性とは、意外と強いものであるようで、こうして本日分の記事作成に取り組んでいる次第です・・(笑)。

また、面白いもので、一旦記事作成に取り掛かりますと、多少頭の重さ、気怠さも忘れるか、軽減されるようであり、こうしていくうちに、何かしらの主題が見つかるのではないかと思われます・・。

さて、先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は、残すところ第三部のみとなりましたが、これは明日早々に購入し読んでみようと考えております。

そして、おそらくこの調子にて読み進めますと、来週中には全巻読了に至るのではないかと思われます。
そうしますと、また久々に野上彌生子著「迷路」以来の長編読了ということになりますが、この比較的新しい読書記憶に基づき、両著(「楡家の人びと」、「迷路」)を比較してみますと、後者前者に比べ思想的あるいは内面の情緒的な記述の分量が多く、そのことにより、著作内容の理解が多少困難となり、また、そのことから読み進む速度においても相違が生じるのではないかと思われます・・。

あるいは、これはあくまでも私見ではありますが、各々著作に対象年齢を設けるとすれば「迷路」の方が、多少その年齢層が高くなるのではないかとも考えます。

また、そのような視点にて考えてみますと、我が国の長編小説の一つの金字塔?ともいえる大西巨人著「神聖喜劇」は一体どのような扱い(対象年齢)となるのでしょうか・・(笑)。

この著作に関しては端的、一言にて感想を述べることが困難であり、ただ「面白く、大変勉強になると思いますので機会、興味がありましたら、是非読んでみてください。」といった感じになります・・。

また、私も機会がありましたら、この著作全巻をもう一度読み、そして、その面白いと思われる部分をタイムリーに抜粋引用してみたいとも考えております・・。

しかし「迷路」にても、そうした傾向はあると思われますが、特に、この著作(「神聖喜劇」)に関しては、そうしたことを行っていると「何かしら問題が生じるのではないか・・」といった危惧もまたありますが・・(苦笑)。

そして、その危惧を含めて、この著作を大変魅力的なものにしているとはいえますが・・。

また、何といいますか、我が国の社会、歴史の深層、古層からの問題点を作中にて抉り出し、あからさまに提示しているという意味において「神聖喜劇」、「迷路」とは類似した要素を持っているともいえます。

とはいえ、前者の方がより強烈であるとは思いますが・・(笑)。

そして、そこから正直なところ「神聖喜劇」は女性向けの著作ではないと考えます。

また、そのよう考えてみますと、不図疑問に思ったことは、加藤周一著「日本文学史序説」下巻にて野間宏著「真空地帯」という「神聖喜劇」と類似した主題を扱った著作に関して割合長く述べられているのに対し「神聖喜劇」には一行も触れられていないのは、一体何故であろうか・・?ということであり、これは単純に双方の出版年度によるものなのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

先日の博多駅前の道路陥没事故の復旧、さる熊本での大地震、山陰東部での大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」



2016年11月16日水曜日

20161116 循環論法・堂々巡り・変化について・・☆☆

A「昨日から、この時期にしては比較的温暖な日が続いたと思います・・。

ブログ記事の作成も480記事に到達し、今後も500記事到達までは、とりあえず現在の1日1記事投稿のペースにて継続していこうと考えております・・。

しかし、500記事到達前の現在、心配するのもおかしいのかもしれませんが、それでもここ最近不図思うことは「今後500記事に到達した場合、その後、このブログ記事作成はどうなるのであろうか?」ということであり、単純に記事作成を全く止めるということは、現状では逆に難しいのではないかとも思われるのです・・。

無論、書く題材がないということでしたら仕方がないのかもしれませんが、以前もブログ記事に記した通り、ブログ記事いや、こうした文章といったものは、少なくとも自身にとっては、書き続けることにより、何かしら書くことが出来ているのではないかとも思えるのです・・。

それ故、500記事到達後、記事作成を止めた場合、自身が記事を書かないでいる状態を(半ば生理的に?)許容できるのか?とも考えてしまうわけなのです・・(苦笑)。

とはいえ同時に500記事とは、自身にとってそこそこ大きな区切りであると考えますので、その(500記事到達)後、たとえブログ記事作成を継続する場合においても、記事作成のペースは500記事到達以前に比べ、多少、投稿の間隔が長くなるものと考えます・・。

また、そうしたことをも含め、果たしてこのブログを作成している自身とは多少なりとも良い方向に進んでいるのであろうか?とも時折考えてしまうのです・・(苦笑)。

以前はそのようなことをあまり考えませんでしたが、500記事到達が可能に見えるようになった昨今、そうしたことを考えるようになったことは、なかなか面白いことであり、また同時にそこから一種の不安感らしきものをおぼえることがあるのです・・。

しかしながら、ハナシを元に戻しますと、未だ現在500記事まで到達しておりませんので、とりあえずは、そうした迷い、不安感などについては考えず(しかし一方、それ自体はブログ記事の題材にはなるのですが・・(苦笑))500記事到達まで残りの20記事あまりを作成していこうと考えております・・。

そして「ハナシは全てその後」と割り切って考えた方が諸事都合がいいのではないかと思います・・(笑)。

ここまで記しており、不図思ったことは、まさしくこうした想念とは「循環論法」なのではないかということであり、また、それは往々にして「堂々巡り」ではあるのでしょうが、それでも、こうしたことを繰り返していくなかで、おそらく用いる言語・コトバのわずかな変化により、それまでの想念、考えのニュアンスもまた若干変化し、そして、それが上手い具合に行けば、言語化された納得出来る解決というものを得ることが出来るのではないかとも思われます・・。

しかしまた、そうしたことには、ある程度客観的な評価も必要ではあると考えますが・・。

そして、進化であれ退化であれ、変化自体を惹起するものは、既存要素内部のわずかな変化であり、そこから生じる全体への伝播、影響が、少なくとも「変化」全般の一側面であるといえるのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」










2016年11月15日火曜日

20161115 時代毎の好まれる職業および個人の資質・家系などに関して・・ ★★★

本日は多少風邪気味であり日中に気温があまり低くならなかったことには救われました・・。

さて、先日知人と話しておりましたら、そのハナシの中で何度か「医者の家系」というコトバが出てきました・・。

思い返してみますと、以前にも何度か肯定・否定何れの意味合いであれ、このコトバを聞いたことがありました。

またかつての自身とは、このコトバがあまり心地いいものとして聞いておりませんでした・・(苦笑)。

もちろん、それは現在なお同様ではあるのですが、しかしながら、自身に関しては、周囲の親類およびその系譜について考えてみますと、このコトバが適用されないものであることが明確と認識されるのです・・。

また、そうした考えがより強くなった要因とは、文系学問分野の研究者であった叔父が、こうした考え(医者の家系云々)をとるに足らないものと広言していたことに大きく因ります・・。

叔父は「もともとうちの家系などは大したものではなく、近代以降たまたま医者になった者が数人いたとしても、それは以前からの文化的背景ともいえる文字、文章を読むこと、書くことを、どうにか日常的な行為態度としていたことに因り、そのように考えてみて、はじめて家系の持つ何かしらの傾向、あるいは不思議な意味合いといったものは認識、理解出来るのではないかな・・。」といったことを述べておりました・・。

さらに加えて「それ故、別にA君はそうした考えに捉われることなく、何れの学問分野であれ、自分なりにがんばればいいのだ・・。」とハナシを結ばれておりましたが、これはおそらく当時そして現在の私が納得出来る、最善ともいえる考えであり、また同時に、それが最も事実に沿った考えではないかとも考えます・・(笑)。

とはいえ一方、そうした古くさい家系のハナシとは関係なく、昨今の我が国社会においては不景気故にか、医療系資格の取得により多くの若い方々が向かっているではないかと思われます・・。

たしかに医療系資格の有無により、その手にすることの出来る収入および得られる安定性とは大きく変わってくる可能性は決して低くありません・・。

しかし、そうであるからといって医療系資格(ばかり)がエライというわけでもないとも考えます・・。

とはいえ、こうした医療系の資格とは、社会においては大変有益であり、少なくとも一般的な意味で普通に職務にあたっていれば「けしからん!」といった対象には(ほぼ絶対に)なりません・・。

あるいはまた、こうした社会において広範に認められる、あるいは意識すらされない一般的(過ぎる)ともいえる価値観を起点として、さまざまな時代における社会での凝集性、傾向(ある程度長期的な流行・ブーム)といったものが惹起されるのではないかとも思われます・・。

それは1931年~1945年に至るまでの陸海軍軍人がそうであったかのように・・。

そして、現代におけるそうした対象職種がおそらく医療系資格ということになります。

とはいえ、それは決して悪いものではなく、さきに記した1931~1945のそれと比較すれば、大分平和的(自衛隊は平和的でないという意味ではない)ともいえるのではないかと思われます・・。

では、そこの「何が問題であるのか?」と考えてみますと、それは、そうした時代時代の価値観(それ自体は悪くない)が社会全体に浸透し、そこから同調圧力らしきものが生じ、その価値観「のみ」が正しく、そうでないものは正しくないと判断される(同調圧力をも含めた)情動あるいは認識の(短絡的な)経路、構造、メカニズムそれ自体ではないでしょうか・・?

おそらく、こうした傾向もまた、以前の時代に比べれば大分良くはなったのかもしれませんが、それでも案外根強いものであるように思われます・・(もちろん我が国だけではないと考えますが)。

また同時に、自身もそのように考え、判断していると認識されることが少なからずあります・・(苦笑)。

また、こうした行為態度(同調圧力に同調する、便乗する)を社会の中においては常識的ともとらえられることに果たして普遍的な意味合いあるいは創造的な価値とは幾分かでも存在するのでしょうか・・?

あるいはまた、そうしたことを記すことすらも、いわば天に唾をするような行為として認識される傾向がある社会におけるコトバ、言語(就中、解像度の高い)の根源的な意味、価値とは、どのようなものであるのでしょうか・・?

いや、少なくとも我が国とは、古代における様々な遺物が示すところから考えてみても「はじめにコトバありき」といった状態ではなかったようにも思われます・・。

今回もここまで興味をもって読んで頂き、どうもありがとうございます。

おかげさまで今回の投稿により総投稿記事数が480となります。

さる熊本での大地震、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。












2016年11月14日月曜日

20161114 未知の土壌に対する掘削・・賭け?

本日の首都圏は気温はこの時期にしては上昇しましたが、夕方前あたりから雨が降りはじめ、現在もなお降り続いております・・。

久しぶりの長編を読み終え、現在は特に新しい長編を読むという気分にもならず、これまでに手持ちの書籍をいくつか拾い読み、斜め読みしているような状態です。

そういえば、先日11月8日に投稿した記事「コトバ・言語の解像能および詩、普遍とは・・」は、おかげさまで、思いのほか閲覧者数が伸びました。

そうしたことから、このコトバ・言語の解像能といったことに対し関心を寄せている方々が少なからずいるのではないかと推察されます・・。

また、これは私にとっても大変重要なことであり、特に何か新しいことを習得するにあたり、その初期にぶつかる壁が何れの分野であれ「コトバ・言語の体系」ではないかと思われます・・。

そして、この壁を超える方法とは、とにかく、その分野について記された著作、文献を出来るだけ多く読んでみということではないかと思われます。

その中で、その分野における『常識らしきもの』が徐徐に見えてくるようになり、またそれに伴い、自身もそこで得た常識を用いて、何かしらの発信が可能になるものと考えます・・。

そして他者との、その分野についての議論・対話を行うことにより、さらにまた、その分野のコトバ・言語の体系が明瞭になるものと考えます。

そして以上の過程を通じて得られる精錬された認識の体系を再度発信、他者との議論・対話を行うことにより、その体系とはさらに精錬され、徐徐にその本質を(自分なりに)理解できるようになるものと思われますが、さて如何でしょうか・・?

こうした視点にて考えてみますと、これまでどうにか継続的に作成している一連のブログ記事とは、議論・対話の過程が抜けているため、その精錬の度合いについては、かなり大きな疑問が残りますが、基本的には、そうした試み、たとえていうと円錐状(先端)の掘削機(ドリル)にて何やら未知の土壌(らしきもの)を少しずつ掘り返しているような感じを受けることがあります・・(笑)。

そして「掘り返している」という実感を受けるのが、かつて文章化して表現することができなかった事柄・主題に対し、どうにかそれを著すことが「出来た!」と思う時です・・。

とはいえ、実はその著したい内容、主題とは、本来(自身の中では)さらに複雑なものであり、それを文章化することが出来たと感じること自体、何といいますか、その時点での自身の文章による解像能の限界であり、ひいては思考の限界でもあるのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。

そうしますと、ヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」内の『語り得ぬものについては沈黙せねばならない』という言説に対し、幾分か、その意味の重みを認識することが出来るのかもしれません・・。

とはいえ、そこに留まり続けることには進化・発展といったことは望めず、それこそ回遊魚のように動き続けなければいけないのかもしれません・・(苦笑)。

そして、それがさきに述べた掘削機(ドリル)の駆動とも関連し、それにより(未知の土壌を)少しづつ掘り返すことを可能ならしめているのかもしれません・・。

あるいは、そのようにでも考えないことには、一連のブログ記事の継続的作成に対し、何かしらの意味を付与できないといったいくぶん切羽詰まった事情もまたあるのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、これもあくまでも主観的な考えであり、また幾分かブレーズ・パスカルの「パンセ」内に記されているパスカルの信仰に対する賭けに類似した構図でもあり、無意識のうちにそれを私が借景しているのではないかとも思えてくるのです・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の今後出来るだけ早期の復旧および復興を祈念いたします。

20160810 身体性と創造性 歴史との関りを保つ精神について【書籍からの抜粋引用あり】☆☆☆

昨日のブログ記事を記して投稿した直後、それと深く関連する内容の既投稿ブログ記事が多く読まれていることに気が付かされました。
この指摘とは、それが為されなければ、自身でも気が付くことができなかったと思いますので、いたく感心した次第です・・。
「世の中にはスゴイ人がいるものだ・・。」といった感じです・・。
また、それと同時に、記した一連のブログ記事を(私よりも)深く読んで頂いている方(方々)がいることに対し、いくらかの驚異(脅威?)をもおぼえました・・(苦笑)。

とはいえ、それにより萎縮してしまうことは、おそらく読んで頂いている方々の望むところではないと思いますので、ただ、こうしたことがあったこと「のみ」注視し、今後もこれまでと同程度に発信内容の偏向等に気を付け、自身の興味が赴くことを記し続けようと考えております(笑)。

さて、昨日投稿したブログ記事においても我が国の古代、あるいは神話に関する内容でしたが、その内容を記したことにより、後になり不図、和歌山市在住時、数人で自転車にて昨日ブログ記事に記された有田市まで行ったことを思い起こしました・・。
これは距離にすると、おそらく片道20キロメートル程度であり、また和歌山市街から南隣の海南市に至るまでは、概ね平坦な道が続き比較的楽であったのですが、そこから有田市に至るまでにいくらかアップダウンがあり、これに多少苦労した記憶があります。

また、同様に万葉集の歌からも7世紀半ば頃、紀伊国の南下行において、現在の海南市の藤白あたりが一つの区切りであり、ここから一端しばらくは道が険しくなることが示されております・・。

このようなことは、自身の体を用い、その場所に赴く経験を持つことにより、身体の記憶としてのこり、後日何かしらのきっかけが与えられると、上記のように関連する事柄をも含め想起することが出来るようになるのではないでしょうか?

さて、こうした身体性に付随する記憶の仕方とは昨今進化発展が著しい人工知能においても可能であるのでしょうか・・?

そして、ここまで記しておりますと今度は、以前に幾度か抜粋引用させていただいたエルンスト・ユンガー著 月曜社刊 川合全弘訳 「労働者 支配と形態」からの一節を思い起こしましたので、下に示します。
PP.77~78
過ぎ去った時代の粉々に砕けた象徴を包み込む沈黙の中から、その時代の物音が、あたかも寄せては返す波に晒されてきた貝殻の中に海の全体が包まれるような仕方で、大きな隔たりを越えてなんとはなしに耳に迫ってくるように思われる
その名前さえ忘却の淵に沈んでしまった諸都市の遺物を鍬で掘り返すとき、我々がじっくりと聴き取ろうとするものは、まさしくこの物音なのである。
木蔦の下や荒野の砂中に埋もれるこれらの石は、権力者たちの力の記念碑であるばかりでなく、名も無き労働の、ここに費やされたごくささやかな手仕事の記念碑でもある。
これらの石のいずれにも、忘れ去られた石切り場も喧噪、はるか昔の陸路や海路の危難、港町のごった返し、職工長の構想、賦役の重圧、遠い昔に消え失せた種族の精神や血や汗が染み込んでいる。これらの石は、稀にしか明かされることのない生のより深い統一性の象徴なのである。
それゆえ歴史との関りを保つ精神はいずれも、自らが、これらの場に魅せられるのを感じる。
それらを前にするとき、悲しみと誇りとが不思議な仕方で入り混じる。
すなわち、あらゆる努力の儚さに対する悲しみと、それにもかかわらず自らが不滅なるものに属することを繰り返し自らの象徴において表現しようとする意志への誇りとが、それである。このような意志は、しかし我々の心と活動の中にも生きているのである。

さて、ここまで抜粋していますと、さらに今度は再び「ここにきて、また自身の作成した一連のブログ記事の意味について述べようとしているのではないか?」そして、それとは別にEnyaの楽曲「Anywhere is」(特に後半部)および我が国の童謡「椰子の実」が想起されましたが、あるいは上に示したエルンスト・ユンガーの一節とは、こちら前者楽曲の方により関連があるのかもしれません・・。
ともあれ、これを読まれた皆様は、どのようにお考えになるでしょうか?
そして、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域における早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。








20160805 文体の進化とは・・☆☆

A「本日はどうしたわけか体調がすぐれず、また頭も重かったのですが、これまたどうしたわけか、知人二人から連絡がありました・・。

こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。

しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。

こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?

とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。

ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。

そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。

そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?

しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?

・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。

あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?

何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?

とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。

そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。

あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」

20161113 北杜夫「楡家の人びと」読了 歴史を扱った長編小説の面白さ・・

『ついさきほど「楡家の人びと」第三部を読了しました。

この著作の読了後の充実感もなかなかのものであり、直近に読みました野上彌生子著「迷路」の読了感に近いものがありました・・。

また「楡家の人びと」の結末部での記述からは、これまでの著作、映画などにおいてよく見られる「戦後社会での希望の芽吹き」などよりも、どちらかというと、一つの時代精神、価値観の崩壊および、そこから否応なく生じる混乱、虚脱といった要素の方が強く描かれているように思われます・・。

そして、それ故にこの著作を現在なお読むに値するものと為し、また同時にこのことは「迷路」(「迷路」は具体的な戦後社会までは描いていないにしても、そうした予感については言及している)についても、ある程度共通していえるのではないかと考えます。

また「迷路」に関しては、その描かれている時代精神、価値観がさらに古い江戸時代をも包括しているという点から、作中に描かれる歴史の重層性あるいは反復性、関係性といったものがより明示され、そこから、この著作を面白く、味わい深いものとしているのではないかと考えさせられます・・。

そして、その伝で考えていきますと、近現代を扱った様々な著作において、こうした特徴(歴史の重層性あるいは反復性、関係性などが示唆されている)を持つものとは、思いのほか少ないのではないだろうか・・?と考えてしまうのですが、如何でしょうか・・?

その一方において、現在の我が国社会において「手軽に歴史を認識しよう、あるいは、したような気分になろう」といった、傾向が少なからず存在するのではないかとも考えさせられます・・。

こうした傾向とは、あるいは本職の史家、社会学者などの方々からしますと、噴飯ものであるのか、あるいは自身の仕事を増やし、その重要性を(一時的にではあれ)高めるものとして便乗するに悪くないものであるのかは分かりませんが、私見として、そうした傾向とは、本質的にはあまり良いものではないと考えます・・(特に現今の我が国の場合)。

それに加え、歴史の認識を面白いと感じる方々というのは、どの時代を通じてあまり多くはなく、さらには若い頃の情熱により、それを面白いと感じたとしても、その情熱がホンモノであるかどうかとは、ある程度の年月を経てみないと判然としないとも考えます。

また、自身についても、こうした著作を読むことに関しては特に問題なく、また同時に如上のようなことを記す程度においては特に問題はないのかもしれませんが、では実際にそうしたことを専門とする学問分野の研究者と伍することが出来るのか?と問われると、それはいささか躊躇してしまいます・・(苦笑)。

では何故、これまで少なからず「歴史」を主題としてブログ記事を作成、投稿してきたのかと考えてみますと、おそらく素人、アマチュアなりに表出したい主題が、この分野に集中しており、また、その表出の文体、語彙などにおいて、これまでの経験にて、どうにか間に合わせることが出来たからであると考えます・・。

その意味において、これまで作成し続けている一連のブログ記事とは、自身の文体、語彙を再認識あるいはそれらを精錬する上において一定の寄与をしているものと考えます・・。

また、それと同時に、これまでの記事を如何なる思い、興味によるものか分かりませんが(自身としては)比較的多くの方々に読んで頂いていることが、ブログ記事作成の主要な動力源となっております。

そして今後、特に何ごともなく500記事にまで到達することが出来ましたら、その次は一体どうなるのであろうかと最近不図思ってしまうところではありますが、こうしたことはあまり深く捉えず、500記事到達までは、ただ一記事ずつ作成投稿し続けるのみではないかと考えております・・。

そして、当初の主題から大分ずれてしまいましたが「楡家の人びと」は三部構成の長編ではありますが、我が国の近現代史上での具体的様相を知りたい方々、何か面白い長編を読みたいと考えている方々にとって、大変面白く読むことの出来る著作ではないかと思います。

興味がありましたら、是非、御一読ください。


そして、これを読了されましたら、次に野上彌生子「迷路」を読むのも面白いかもしれません・・。

また、そこで「さらに刺激の強い著作を!」と望まれるのでしたら「神聖喜劇」をおススメします。

私の方はまたインターバルを置き、次なる長編小説あるいは他のそれに類する著作に挑戦しようと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本での大地震、昨今の山陰東部での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復興を祈念しております。』











20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・

本日は若干帰宅が遅くなりました。

そしてまた現在、本日分のブログ記事作成を幾分面倒に思っております・・(笑)。

それでもとりあえず何かしら書いてみようと思い立ち、ここに記しはじめました・・(苦笑)。

書籍は相変わらず色々と読んでおりますが、どうもこの季節、夏とは、以前にも記した通り、あまり込み入った思想系の著作および小説などを読むのには適していないようです・・(苦笑)。

まあ、これもまた慣れではあるのかもしれませんが・・。

そのように考えてみますと、我々が興味を持つ対象の推移とは、一般的に、おそらく先ずはじめに実体が存在するモノに対する興味にはじまり、次にそれを用いる人間の動態、つまり歴史的なものに推移し、その次にその歴史の背景に存在すると認識される大きな思考の流れ、つまり思想的なものに推移してゆくのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

また、これを異言すると、具体的な対象への興味にはじまり、徐々に抽象的な対象への興味へと推移してゆくということであるといえます。

おそらく、こうしたことは、大きく見ますと年齢の上昇に伴う現象であると思われますが、同時に、さらにその内側においても、同じような現象(具体的な対象から抽象的な対象への興味の推移)が、より小さな規模においてもまた、生じているのではないかと思われます・・。

例えるならば、円錐状の山の周囲を周りながら徐々に登ってゆくような感じではないかと思われます。

一周分上に登ったならば、前(下)の一周における同じ位置にて同じような景色が山の外側に見えるものの、それと同時に高度が一周分異なるため、そこからの視野とは前(下)の一周におけるそれとは若干異なる。

そして、そうしたことを山の周囲を周り登ることにより、繰り返してゆくと、いつのまにか、高度の上昇により周囲の植生も異なり、また山の外側の景色も雲を介在させるようになり、随分と異なった様相を示すようになってくる・・。

といった感じではないでしょうか・・(笑)。

そして、こうした感覚を具体的に得られる山が開聞岳(薩摩富士)であったのではないかと記憶しております。

鹿児島在住時、開聞岳は幾度か師匠等と登りましたが、山頂からの眺めは素晴らしく、晴れた日には、はるか南の方角に屋久島および宮之浦岳が望め、北方にはほぼ直下に巨大ウナギあるいはイッシーで有名な池田湖、遠くには桜島、霧島連山などがのぞめます。

また、その登山道は概ね(頂上付近まで)樹林で覆われており、そのため登山中なかなか山の外側の景色が望めませんでしたが、時折視界が開け、外側の景色を見て「ああ、このくらい登ったのだな・・。」と実感することができるのも、これはこれで面白く、味のある登山道の一つでした・・。

さて、そのようなことを記していると不図「期せずして、これは私の作成し続けているブログ記事のことを寓言でもって語っているのではなかろうか?」と思うに至りましたが、果たしてこれは偶然なのでしょうか(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」






2016年11月12日土曜日

20161112 記憶の最大公約数化 歴史感覚 時代精神について・・★★★

A「本日作成、投稿する記事により総投稿記事数が476となり、直近の一区切りであった450記事から25記事以上の投稿となり、500記事到達までの半分以上に至ります。

今後もスムーズに500記事到達に至るまで記事作成を継続出来ればと考えております・・。

さて、先日より読んでおります「楡家の人びと」は第三部を読みはじめ、現在200頁近くにまで至りました。

第三部になりますと、太平洋戦争の戦況も悪化の一途を辿り、主要登場人物が亡くなる、怪我を負うといった陰鬱な気持ちにさせるような描写が多くなってきますが、こうしたことは、おそらく我々日本人の多くが、同様、類似したものを、その父祖の記憶として持っている、知っているのではないかと思われます・・。

また、この著作に関しては、その著者が首都圏の御出身であることによってか、自身がかつて祖父母および親戚から伺った太平洋戦争での記憶と類似、重なる部分が幾つかありました・・。

その一方において、そうした記憶とは、地域、地方によっても幾分か最大公約数化出来る傾向らしきものがあるのではないかと考えさせられます・・。

無論、一つ一つの記憶もまた、それ自体で大切なものであるとは考えますが・・。

とはいえ、その地域、地方において最大公約数化出来るような歴史の流れにおける傾向・特徴を認識することもまた「歴史」認識においては重要であり、そこから認識される観念、感覚といったものが、様々な歴史を題材とした映画、物語などの大切な軸となっていくのではないかと考えます。

また、それと同時にそうした観念、感覚とは、学問としての「歴史」とも深く関連するのでしょうが、それは歴史感覚、時代精神の一つの側面から見た異名ではないかとも考えられます・・。

そして、そのように考えてみますと、我が国とは、かつて(少し前・10~20年前迄)は、そうした感覚を比較的明晰に保持されている方々が各界におられ、またそれらの方々が社会に対し一定の影響力を有していたのですが、現今の我が国社会とは、そうした存在を、あまり見受けることが出来ないのではないかと思われます・・。

さらに、こうした状況とは、世界各国においてもまた、同様の傾向を示しているのではないかとも考えさせられるのです・・。

そして、こうした様々なレベル、規模における世代間価値観(歴史感覚、時代精神)の共有が為されず歴史が進展していきますと、そこから様々な波風、軋轢が生じるのではないかとも考えさせられます・・。

とはいえ、こうしたことは『おそらくこれまでの歴史上幾度も繰り広げられてきた一つの現象ではあるまいか、それ故、特に現在こうしたことを悲観してもどうにもならないのではないか・・?』
とも考えさせられますが、しかし、そこで達観を装い、あるいは波風の立たぬよう、見て見ぬふりをし、言語として表現、何かしらのカタチで発信をしないこともまた、如何なものかと考えますので、本日のブログ記事は、こうしたことを題材として記すに至りました・・。

さて、これを読んで頂いている皆様はどのように考えますでしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、そうもありがとうございます。

先日の博多での道路陥没事故の早期の復旧、そして、さる熊本、山陰東部における大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年11月10日木曜日

20161110 凝集性の強さ?

本日の首都圏は幾分風が強く、また気温も特に日が沈んだ後は寒く感じました。

さて、昨日投稿したブログ記事の主題であった「我が国に移入された異文化由来の事物が、我が国にて定着する過程において、大きくその原型から変質していく」ということは、宗教といった極めて観念的なものであるほど、それが明瞭に認識されるのかもしれません・・。

そして、そのように考えてみますと16世紀に我が国にもたらされたキリスト教とは、一時的にその信徒数が数十万人に達したとのことですが、それが幾つかに渡る覇権者達による弾圧、迫害により、幾度かの叛乱を経て17世紀前半あたりまでには、ほぼいなくなっていたとのことです・・。

また、この時代を描いた小説として遠藤周作著「沈黙」が挙げられますが、この小説の最終部に近いところで、棄教したかつての神父の独白する内容が大変興味深く、また、それは以前にブログ記事にて記しましたが、その内容とは「日本にはキリスト教であ何であれ、それが齎されたオリジナルのカタチにて受容、定着することはない。そうしたもの全てをこの国の土地、空気、精神風土が溶かしていき、何か全く別のものにしてしまうのだ・・」というものです。

これはおそらく我が国だけに当て嵌まるような現象ではないと考えますが、一方、我が国における、さきに述べたような特質、傾向とは、おそらく相対的に見てかなり強いのではないかと思われます・・。

そして、こうした特質、傾向を有していたが故に明治維新という突貫工事による近代化も、どうにか行うことが出来たのではないかと思います・・(これはたしかに一つの優秀さではあると思いますが・・)。

しかし、突貫工事とは、あくまでも突貫工事であり、歴史規模での経時的、自然発生的な要素などをあまり考慮する余裕?がなかったのではないかとも思われのです・・。

とはいえ、こうしたことは明治期から既に認識されており、夏目漱石の思想の主要な核の一つとして、さきに述べたようなことを基調とした諦念に近いものがあったのではないかと考えます・・。

それに加え、その弟子である芥川龍之介が徐徐に社会全般の軍事色が強くなりつつあり、また四年後に満州事変を控えた昭和二年に、かねてより抱いていた厭世的な思想により、自らの命を絶ったという夏目漱石から芥川龍之介に至るまでの一連の系譜とは、多少、単純化過剰の気味はありますが、明治以降の我が国における一つの文学および社会思想の系譜とも見ることが出来るのではないでしょうか・・?

とはいえ、こうした明治以降のどちらかという陰鬱な思想の系譜が、多くの犠牲者を出した太平洋戦争の敗戦によってリセットされることはないものと考えます・・。

それは現在もなお、我々が忘れようと、嗤おうと、いつまでも我々の社会の背後に存在しているのではないかと思われるのです・・それを明晰に認識するまで・・

そして、ここまで記していて、不図思い起こしたのは偶然にも夏目漱石の短編集「夢十夜」の「第三夜」です。

興味のある方は是非お読みください。

あるいは朗読の動画もあるようです・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本での大地震により被災された地域、昨今の山陰東部の大地震により同じく被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興に加え、先日の博多駅前の道路陥没事故の復旧を祈念しております。



2016年11月9日水曜日

20161109 ガラパゴス化 百家争鳴 歯科医療について・・☆☆

先日より言語、コトバの解像能について記してきましたが、これはなかなか大事なものではないかと思われます。

しかし、それと同時にここ数日はそうした形而上、思想的なものとは対極にあるともいえる、かつて研究に従事した歯科材料・補綴装置についてのハナシを伺うことが多かったです・・。

こうした偶然もまた、なかなか面白いものです(笑)。

とはいえ、これに関しては単純に現在仕事にて歯科医院を訪ねることが多いからであり、決して偶然とは云えないのかもしれませんが・・(笑)。

さて、現今、歯科医療にて用いられる様々な補綴物とは、概ねその発明、原案が海外(特に欧米)由来のものであり、それが我が国に移入し、歯科臨床にて広汎に用いられるようになりますと、どうもその発明、原案が保持していた、背景における意味合い、思想的なものが改変・変質あるいは除去され、あくまでも我が国における実用性、有用性に寄与するような形式に沿い、ある種独特の発展、変化の形態を辿るといった特徴・傾向があるのではないかと思われます・・。

そして、それが歯科医療の臨床にて傾向として認められるようになりますと、おそらく原理・守旧派、現実・改革派といった名称の付与が適当であるか分かりませんが、その構図を単純具体化しますと、海外よりもたらされた当該歯科臨床技術の移入初期に活躍された多くは海外著名大学への留学経験およびツテのある先生方と、移入以後の我が国での普及、発展期において国内にて活躍された先生方との当該臨床技術を巡る思想的な対立といった構図を示すようになるのではないかと思われます・・。

しかしながら、こうした対立とは我が国の場合、何も歯科医療の分野のみならず、他の様々な分野にもまた類似した構図を見出すことが出来るのではないかとも思われます・・。

そして、その結果の状態に付与される名称が「ガラパゴス化」といったものではないかと思われます。

また、それが工業により製造される機器であるならば、まだ妥協点を模索できるのかもしれませんが、これが人の生命・健康に対しても深く関与するものである場合、そうとばかりはいえなくなり、それこそ、さきに示した二者あるいはそれ以上の異なった思想をもつ主体、集団による、まさに百家争鳴といった事態をも招来するのではなかろうかと思われます・・。

さらに、我が国における、こうした構図の淵源について考えてみますと、それは古代における鋳造青銅器である銅鐸・銅矛あるいはそれ以前の縄文土器あたりからの系譜ではないかと考えさせられます・・。

くわえて、それらが歯科補綴物の作製に多用される鋳造技術によるものであり、また一方はこれまた歯科補綴物の作製に用いられるセラミックスであることは構図としては大変面白く、また見方によっては皮肉なものであるのかもしれません・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます

さる四月の熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。

20161108 コトバ・言語の解像能および詩、普遍とは・・

本日の首都圏は雨が降り、なかなか寒いものでした・・。
また九州の博多駅前にて地下鉄工事での何らかの異変により、道路の表面が陥没したとのことです。これにより怪我人が出なかったのは本当に幸いでした。
さて、昨日のブログ記事に記した「解像能」ですが、これは我々の用いるコトバ、言語に対しても便宜的にではあるかもしれませんが、用いることが出来るのではないかと思います・・。
つまり解像能が高い、低いコトバ、言語そして文章ということになります。
解像能の高いコトバ、言語、文章とは、それを読み、聞くことにより、その述べる、言わんとするところがスンナリと容易に理解出来るといった性質を持つものであると考えます。
そして、解像能の低いものとは、その逆です。
そのように考えてみますとコトバ、言語、文章ではありませんが、マンガとは、極めて解像能が高いといいますか、視覚即認識といったところがあるのではないかと思われます・・。
それに対し、音声言語、文字言語とは何れであれ、その内容理解に至るまでには様々な段階があるのではないかと思われます・・。
そして、本当に良いコトバ、文章とは、一見容易にその内容が理解出来るものでありながら、同時に、そこに様々な抽象度の段階における理解、認識、解釈の仕方があり、また、それが各々充実した内容を持っているようなものではないかと考えます。
そこまで考えてみますと、私には未だその価値の深遠さを理解することは出来ませんが「詩」の価値などは概ね、そうしたところを基盤としているのではないかと考えさせられます・・。
その一方において、あくまでもコトバ、言語の第一義的な解釈、あるいは多義的な解釈をあまり為さしめないコトバ、言語によって記された、いや、構築された文章といったものが論文など学術的な著作一般ではないかと考えます。
とはいえ、考えてみますと、さきのようにして構築された論文などにおいてもまた、表層のみならず深層的な意味において「詩的」な文章を持つものがあってもまた面白いのではないかとも思われますが・・(笑)。
繰り返し、私は詩に関しては門外漢ではありますが、それでも、さきに述べた「詩」の価値に基づいて考えてみますと、本当に「詩」あるいは「詩的な文章」にて充実した内容を持つと認識される要因とは、それが作成された時から長く経た後においても、何かしらの内容、意味、深さが認められる、つまり「普遍性」に関連するのではないかと考えるのです・・。
また、それは類似音、言語などの巧みな反復というような表層的、技巧的なものと少し(次元が)異なるように思われます・・。
そして、そのコトバ、文章が普遍性に触れる、貫くような(詩的な)内容、意味を持つようになるためには、個人は一体どのような過程・経験を経るのが良いのでしょうか・・?
あるいは、たとえ目指すものが普遍性であったとしても、そこに至るまでの過程、経験とは、各個人によって異なり、いわば個別性が高いようにも思われます・・。
いや、あるいは、それはいくつかのタイプぐらいには分類することが出来るのかもしれませんが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。

2016年11月7日月曜日

20161107 能動性 目標の設定 達成感の有無・強弱

A「先日より読んでいる「楡家の人びと」は第二部の読了に至り、今後、第三部(最終部)を入手、読んでみようと考えておりますが、これは週末までとって置こうと思います。

その理由は、そちらの方が比較的ゆっくりと読むことが出来、また、週末までは、これまでに読んだ第一、第二部をもう一度読み返してみることに因り、より最終部たる第三部を面白く読むことが出来ると考えるからです。

とはいえ、これまでブログ記事にて記した通り、少なくとも私の場合、ある程度の長編小説を読む場合においては、ある程度の間隔、インターバルを設けた方が、よりスムーズに読み進むことが出来るのではないかということが今回の事例により理解、認識することが出来ました・・。

また、それと同時に、これまで継続的に作成しているブログ記事も、こうしたことをリアルタイムに記すことにより、記事数を稼ぐことが出来るということも理解、認識することが出来ました・・(笑)。

やはり、インプット・アウトプットおよびその均衡とはなかなか大事なものであるのかもしれません。

さて、そのアウトプットたるブログについてですが、昨日の記事投稿により470記事に至り、本日の記事投稿により500記事到達まで残り30記事を切ることになります。

そして500記事とは、それなりにキリがいいのですが、果たしてそれで一端記事作成を止めてみると、その後、どのようなことが生じるのかとは、なかなか興味深いものです・・(笑)。

それこそ、煮物などの具に出汁の味が染込むのは、熱を加えるのを止めた後であるといった極めて具体的な事例、(物理的な)現象から鑑みますと、自身の外部、周辺の出来事でなくとも、内面における何かしらの変化といったものが生じるのではないかとも予想されるのです・・。

いや、実際のところ、そうした変化とは、現在の私が考えるよりも、より小さなものであるのかもしれませんが・・(笑)。

とはいえ、以前にもブログ記事にて記した通り、これまでに各々記事の中身の濃さ、深さは別として継続的に文章を作成したことはありませんでしたので、これはこれで自身としては多少の意味があるものと考えます・・。

まあ、それもあくまでも自己満足に類するものであることは否定出来ませんが・・(苦笑)。

しかし、そのように考えてみますと、大抵の自身の根源から由来する能動性にしたがい、はじめた行動とは、その目標達成の感覚の有無、強弱とは、本質的には自身が決めるものであるのかもしれません・・。

もちろん客観的な評価基準もまた、一面においては重要であるとは考えますが・・。

そして、そうした視座から考えてみますと、果たして今回の投稿記事数500とは、適当な数値目標であるのでしょうか・・?

こうしたことは、残念ながら判然としませんし、あるいはそれが自身の自信のなさの表れであるのかもしれません・・(苦笑)。

そして、そのように考えてみますと、以前様々な条件にて行った実験において、そのNの多さに自身がこだわったことにも、こうしたことは何かしらの基層における類似性があるのかもしれません。

また、このことを記しておりますと、丁度この時期であったためか、作成した様々な条件の試料を有機溶媒(アセトン50・エタノール50)にて超音波洗浄(5分)を行い、試料ケース(ウェル)に収納し、観察のため、電子顕微鏡室に持ち込んだことを思い起こします・・。

しかし、この時に行う試料への蒸着処理(CVD)を通例の金でなく、より細かい導電被膜が得られる粒子の微細なオスミウムを用いていたならば、より良い観察画像を得ることが出来ていたのかもしれません・・。

とはいえ、こうしたことは電子顕微鏡の解像能との兼合いであり、あの場合は金で良かったのかもしれません・・。

また、この時に観察を試みたものは、ジルコニア基材に歯科用陶材を焼き付けた接着界面であり、これは試料の作製条件によっては、高倍率(~30000)にて観察してもあまり意味あるものではなく、単純に条件間による焼き付け、接着具合の比較画像を得るためであるならば、それで良かったのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に発生した熊本における大地震、昨今の山陰東部にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早くの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



2016年11月6日日曜日

20161106 470記事到達 文学から歴史 歴史から文学

お蔭様で昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。
また、それと同時に今回の記事投稿により総投稿記事数が470に到達します。

そうしますと、残り30記事にて500記事へ到達ということになりますが、これは直近の450記事から考えてみますと、今回の470記事到達とは、割合早かったものと感じております。

そして、年内中に500記事到達までの残り30記事の投稿ということになりますが、今年は残り50数日でありますので、まあ3日に2日程度の頻度にて新記事の投稿、更新を行っていけば、特に無理なく年内中に500記事に到達することが出来そうです。

とはいえ、そこであまり気を抜いてしまいますと、後になり、しわ寄せが来ますので、出来る限り毎日に近い状態にて500記事到達まで記事作成、投稿を行って行こうと考えております・・。

さて、先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は第二部も先ほど読了しました。

第二部は昭和16年(1941年)12月の太平洋戦争開戦すなわち真珠湾攻撃のあたりでハナシが終わっており、これが次の結末たる第三部にどのように続くのか楽しみです・・。

また、こうした長編小説を母国語にて著すことが出来る歴史・文化を持つ我が国とは、やはり様々な点において優れた要素を持っているのではないかと改めて考えさせられます・・。

しかし、そうは云いましても文化というものは、おそらく発展し続けるものではありません(この著作が著された時代に比べ現代の我が国が発展しているとは必ずしもいえない)。


具体的な刺激、精神の活性ながどといった要素が減衰、欠如していきますと、それはやはり衰頽、荒廃してゆくものであると考えます。

そして、そうしたものとは経済、文化的にある程度までの発展を遂げると必ずしも直線的にではありませんが、必然的に衰頽、荒廃に向かって行くのではないかと思われます。

そして、それが様々な国家、地域などの興亡の歴史における大雑把な枠組みであるように思います。

もっとも、こうしたことは既にかなり陳腐なこととして認識されているとは考えますが・・。

ともあれ、このような興亡の歴史の流れを一つ認識し、それに対する認識をさらに深化させるという意味において、さきに挙げた「楡家の人びと」とは、適当な材料になるものと考えます。

そして、このように何か一つの題材を深化させる過程において、必然的に近現代史から文学に結節、あるいは逆からのアプローチであれば文学から近現代史に結節するというのが一般的な文系学問の研究における見取り図であるように思います。

やはり、こうした意味でのタコツボ化とはあまり良いものではないと私は考えます。

ともかく、いくつかの分野において、ある程度の認識に達しますと、何といいますか、自然とそれら分野の認識の深層の方から根が生じ、それらが深層において絡み合うことにより、何とも表し得ぬ極めて個人的な学問体系が生成するのではないかと思われます。

こうしたことは、コトバを以て説明するより、実際にそういった人物の著した著作を読むことにより判然とするのではないでしょうか・・?

その私見による具体例として南方熊楠、金関丈夫などが挙げられると考えます。

また、多少スケールが異なりますが、これまでにブログ記事にて記した私の師匠の方々もまた、皆、そうした傾向があるのではないかと思われます・・。

そして、ここまで記していて不図ゲーテの言葉を思い起こしましたので下に示します。

ユーモアは天才の一要素である。しかし、それが勝ち過ぎると、天才の代用品に過ぎなくなる。それは、芸術の下落を伴い、ついには芸術を破壊し、滅ぼしてしまう。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。