2016年10月24日月曜日

20161024 北海道からの転勤、南紀での勤務、さらなる転勤・・

A「本日は少し帰宅が遅くなりました。
さて、昨日のブログ記事の続きとなります。
私の就職後初めての赴任地とは北海道の札幌市の近郊であった。
無論、これは私にとって初めての北海道での在住経験であったが、北海道とは、冬が寒く、日射量が少なかった。
そして、この時に日光の精神に与える影響の重要性および自身が北海道を含む寒冷地に対し体質的に向いていないことを強く認識した。
とはいえ、ここで2年間在住した。
この2年間の在住期間を通じ、特に価値観が大きく変化することはなく、ただ漠然と東京を含む首都圏に戻ることを望んでいた。
そして、その次の転勤先とは和歌山、南紀であった。
東京、首都圏を通り越し、はるか遠く、和歌山、南紀が転勤先であったことは、当時の自身にとって決して嬉しいものではなく、むしろ強く落ち込む要因となった。
とはいえ、この地に赴任し、最初に感じたことは、日射量が多いということである。
また、それによりいくらか萎縮気味であった自身の精神が膨らみ、そしてほぐれていくというような感覚をおぼえた。
しかしながらこうした、しばらくの期間、日射量の少ない寒冷地に在住した後、日射量の多い温暖な地域に転居した場合、こうした現象が生じるのは特に珍しいことではないものと考える。
さらに、この南紀での在住期間を通じ、山奥のダム湖でのバス釣りをおぼえ、夏の暑い盛りに一人釣行し、ボートの上から釣糸を垂らしているのは、なかなか風情があり、また、魚が掛かった時の興奮とは、それまでに味わったことのないものであった。
私はこの南国的ともいえる南紀の横溢とした自然風土が徐徐に好きになっていった。
また、それと同時にここではサイクリングもよく行い、南紀白浜から中紀の御坊市まで日帰りで行ったことも何度かあった。
そしてまた、近隣地域を無闇に走り、迷ってしまうことも度々あった。
そうした折、目にする珍しい地名をいくつも憶えたが、これらは不思議なことに、後に当地の雨乞いに関しての研究を行った際、よく出てきたように思われる。
また、その地名のいくつかとは銅鐸の出土地でもあり、それら(珍しい地名、銅鐸の出土)の関連性とは、未だ判然としていない。
とはいえ、やはり何かしらの関連性があるのではないかと今でも考えている。
以上のような経験、経緯により、当地の歴史、文化に対し漠然とした興味を抱き、それらに関する書籍を能動的に読みはじめた頃、東京の事業所への転勤の辞令を受けた。
当初望んでいた東京への転勤がこの時期に為されることはなかなか皮肉なことであった。
そして、東京転勤の後も、この思いは終息することはなく、また当時実家近くにいたこともあり、以前より相談に乗って頂いていた方々に会い、そうした思いを述べ、相談し、やはり、かねてよりの望みに従い大学院に進学した方が良いのではないかと考えるに至った。
この時、相談に乗って頂いた方々は、特に賛成、反対することもなく、ただ、その方法に対して具体的な質問をするのみであった。
ただ、この時兄が、それまでの経緯を知ってくれていたことから、賛成してくれた。
その後、会社を退職し、必要であると思われる勉強を行い、いくつかの大学願書を入手し、必要書類を作成、入手し院試に望んだ。
また、この時期は幸いなことに、丁度、会社勤務時代に貯めていたものの価格が急騰をはじめた時期でもあり、これによりおおいに助かった。

受験した大学院は全て関西、近畿圏に立地するものであり、それぞれの先生方に事前に連絡を取っていたが、その感触とは、よく分からないものであった。

そして、結果的に二つの大学院に通り、このうちの自身が研究を望む地域により近い大学の方が良かろうと考え、そちらに進学することにした。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本での大地震、そして昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


0 件のコメント:

コメントを投稿