2016年9月26日月曜日

20160925 波、流れとそれを認識する何か・・

A「本日は特に降雨もなく、また気温も例年のこの時期並みに上昇したのではないかと思います。

また、ブログ記事の作成も今回の投稿によって430記事となります。

つい先日400記事に到達したものと記憶しておりますので、そこからここに至るまでの記事の増加とは、感覚的には、なかなか早いものであったと思います・・。

しかし、その増加する一つ一つの記事作成においては、決して「楽なものである。」と表現することはできません・・(苦笑)。

いえ、時によっては比較的スムーズに記事を記すことが出来たと思うこともありますが、ここ最近は季節の変わり目であるためか、どうもスムーズに記事を記すことが困難であるといえます・・。

とはいえ、こうしたことは以前にも幾度かありましたので、書き続けていくうちに再度スムーズに記事を記すことが出来る時期が訪れるのではないかとも思いますが、さて如何でしょうか・・(笑)?

何れにせよ、こうしたことにはおそらく他の様々なことと同様に波、流れのようなものがあるのではないかと思われますが、ただ、それが如何なる要因により、惹起、駆動しはじめるのかとは、未だに判然としないことです・・。

それに加え、こうしたものは個人、個別的な要素が強いものではあるのでしょうが・・(万人に共通ではない、普遍性がない)。

とはいえ、こうしたことを精密に考え、そしてある程度通用する普遍性を持った(応用し得る)見解を見出せるのであれば、それはそれでかなり有益なことではないかとも思いますが・・。

また、そうしたことの価値とは、現今流行している実践的な心理学、ハウツー本などと比して、少なくとも遜色のないものであるとも思いますが、如何でしょうか・・?

ともあれ、そうした波、流れのような目に見えなく、また分析機器などによっても測定できないものを説明する場合において極めて重要なことは、その説明の仕方つまり、表現、たとえ、文体、コトバなどではないかと思われます。

さらにそれに加えて図、イラストなどを併用し説明することにより、その理解はより一層浸透するのではないかとも思われます・・。

しかしながら、その一方、図、イラストを多く用いることにより、その記述様式とは徐々にマンガ様式に近づいていくのでしょうが、明らかにマンガとして分類される様式にまで行きますと、今度はどうもハナシが異なってくる、おかしな方向に行ってしまうのではないかとも思われます・・。

私は我が国の世界に誇る文化であるマンガに対し敬意を持っており、特に敵意を持っているわけではありません。

しかし、現今の「世界に認められた日本文化であるマンガ、アニメであるから、そのお家芸に則り、何でもマンガ様式にするのは良いことだ。」といったような風潮に対してはどうも賛同することができません・・。

こうした昨今見受けられる風潮とは「案外マズイことなのではないだろうか・・」と思っております・・。

そして、実際、様々なマンガによる知識、思想とインターネット検索に用いる種々装備を合理的、利便性の高いものとして装備した人々と、そうでない昔ながらの実際の様々な書籍の読書により知識、思想を獲得、練磨してきた人々の間では『何か』が違うのでしょうか?

あるいは、違いと云えるような違い(有意差)は見いだせないのでしょうか?

こうしたことはしばらく先にならないと、その答えは見出せないのかもしれませんが、私個人としては、その間には何かしらの違いが存在するのではないかと仮定します。

そして、その違いとは、さきほど述べた「様々な事象において存在すると思われる波、流れ」といったものに対する認識の仕方、深さ(おそらく想像力の一種)といったところにあらわれるのではないかと思います。

それ故、現今の我々よりさらに機械文化に接することの少なかった古の人々とは、それこそ妖怪などを現代を生きる我々が波、流れといったものを認識するように認識していたのではないかと思われるのです。

また、それと同時に、そうしたことは廻り回って、ある大きな思想、考えを紡ぎ出すという行為を為す能力、つまり歴史意識の祖型とも云うべきある種の観念の生成に対し(少なからぬ)影響を及ぼすのではないかと漠然とではありますが、考えております。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」




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