2016年8月18日木曜日

20160817 灰の降る街について・・ 

本日の首都圏は台風一過によるものか大変天気も良く、また気温も思いのほか上昇しました・・。

これは町なかを歩く際に若干つらく感じる程度のものでした。

しかし、以前より何度も記すようですが、その日差し、そして気温とは、和歌山、九州(特に鹿児島)に比べると特に耐え難いという程のものではありません。

また、九州(特に鹿児島)の日差しに対しても能動的に慣れることを試み、それを継続すれば、どうにかしのげる程度までは慣れていくことも特に難しいことではないと考えます。

いや、むしろ鹿児島(市街)の夏季においては、その日差しよりも日常的ともいえる桜島の噴火による降灰に悩まされるかもしれません・・。

この(降灰の)ため、彼の地(鹿児島市街周辺)における夏季の洗濯物は、その強い日差しにもかかわらず露天にて干すことが困難です。

これには在住当初なんともいえない矛盾を感じておりました・・(笑)。

また鹿児島市街から電車、自動車などで離れて気が付くことは、路地の隅などに(火山)灰およびその痕跡がないことです。

また、それに伴い空気も幾分かキレイになっているのではないかとも錯覚します。

たしかに夏季の鹿児島(市街)においては、シャワー、入浴の際、身体の様々な部位に火山灰が付着していることに気づき、そのことから「ここの大気とは火山灰によって汚染されているのではないか?」と感じることが往々にしてありましたが、他の(空気がキレイな)地方都市と比べてはわかりませんが、少なくとも現在の首都圏と比べますと、まだ大分マシなのではないかと思われます・・。

とはいえ、鹿児島在住時は、この火山灰により洗濯以外においても悩まされ、当時乗っていた原付の運転時におけるゴーグルとは、必需品(に近いもの)でした・・。

また、それと関連することとして、彼の地の(特に夏季における)火山灰が飛散、浮遊する状況により生じる一種独特な大気の環境とは、大気を媒質であると考えた場合、他のそうでない環境と比べた場合、より強い(場の)空気の凝集性を生じさせるのではないかとも考えられますがさて、如何でしょうか・・?

そしてそうした自然環境が、戦国、幕末およびその後において(主にその団結力の強さにより)武勇、精強さを誇った島津兵、薩摩藩の物理的な意味での(まさしく微細な!)礎の一つとなったのではないかとも考えさせられます・・。

そしてまた同時にそうした環境とは、鹿児島の女性(薩摩おごじょ)達の(女性特有の)感受性に対しても少なからぬ影響を与えているのではないかとも考えさせられます・・。

こうしたことは、鹿児島在住時には、特にあらためて言語化して考えてみることがありませんでしたが、現在、彼の地から離れ、且つこうした気温が高い日になりますと、不思議なことに、そうしたことが自然と思い起こされ、そして現在それを題材として文章を記している次第です・・(笑)。

そのように考えてみますと、当然ではあるのかもしれませんが、我々人間一般とは、畢竟、自然の所産、産物であり、そこからの影響を受けつつ何かしらものごとを考えている(考えさせられている)のではないでしょうか・・?

その意味において、日常的な桜島の噴火および降灰が存在する一種独特、特徴的な大気(媒質)の環境を持つ鹿児島とは、やはり、その風土においてもまた、良い悪いといった価値判断を抜きに一種独特、特徴的な「何か」があるのではないかと考えさせられます・・。

また、最後に蛇足となりますが、野上彌生子の「迷路」内においても幾度か記されていたことでもありますが、鹿児島人によく見られるパッチリとした瞳とは、さきに記した桜島の噴火および降灰による自然環境とは、どうも相矛盾するのではないかと思われます。

そうしますと、これ(鹿児島人によく見られるパッチリした瞳)とは、自然環境(桜島の噴火および降灰)以外の、この地の人々特有の種族的な特徴ではないかと考えられますが、私見としましては、どうもそれだけではないような感じを受けます・・。

ここから先はまだ上手く言語化できませんが、機会がありましたら、また考えてみたいと思います。

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

そして今回の記事題材の北隣の熊本において、さる四月に発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



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