2016年7月31日日曜日

20160731 創造性、意識などについて・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達し7月の総閲覧者数もはじめて20000人に到達しました。
どうもありがとうございます。

また、その時々にて読まれている記事の傾向を見ると勉強になることが多く、同時に「今後どのような記事を作成したら面白いだろうか?」といった指針にもなります・・。

とはいいながら、これまでにそれを活かして記事を書いているとは必ずしも言い切れませんが・・(苦笑)。

しかし、それらを見て、無意識のうちに吸収している部分もまた、少なからずあるのではないかとも思います。

また、意識、無意識といえば、現代を生きる我々は、意識をより励起、明瞭化する様々な周辺機器の進化発展により、より(外部の)コトバに捉われ、その精神、心が硬直化してしまい、本来持っていたしなやかさ(?)が失われつつあるのではないかと思われますが如何でしょうか?

あるいはこういうことを「感情の劣化」というのかしれません・・。しかし一方、現在私がこのようにブログ記事を作成、投稿し、それを読んで頂いている方々がいるという状況もまた、さきに述べた様々な周辺機器の進化発展によって支えられています。

・・こうしたことから多少のジレンマも感じないこともありません・・(苦笑)。

しかし、そこで問題となってくることが「では、そこには創造性があるのか?ということではないでしょうか?

この文脈は一見唐突であると思われる方々がいらっしゃるかもしれませんが、意識を励起、明瞭化する周辺機器を使用することによって創造的なコトが為されていれば、それはあくまでも周辺機器を運用、活用していることとなり、それらに「支配されていない」ということになるのですが、一方、そうした機器の利便性のみを上澄み的に利用しているのであれば、それは時間の経過に伴い、機器に(思考、思想を)支配されるようになり、結果的に創造性をも次第に失ってしまうのではないかと思われます・・。

また、こうしたこと(創造性の有無)の峻別、認識とは、自身の内心(ここが大事であると思います。)により為される思います。

とはいえ、こうしたテーマとは、かねてより言い古されてきたことではありますが、昨今の我が国においては機器の進化発展ばかりのみ注視されている感がありますので、時にはこうした意見を記しておくこともまた、悪くないものと考えます(笑)。

また、これまでブログ記事を作成、投稿し続けている者が考える、より卑近な意味での【創造性】とは「とりあえず、これまでに書物に書かれたことのない、またネット検索しても検索されない、ある程度内容のある文章を作成すること。となります・・(笑)。

そういえばハナシは変わりますが、特に男性において、人をいじる能力(いじめっこになれる能力)により組織における序列が決まる組織、社会とは、幼児、青年期程度までは健全と評されても良いのかもしれませんが、それがそのまま大人の社会にまで延長されると、それは持続可能性、発展持続性に乏しく、速やかな衰亡に至ることが多いのではないかと思われます・・。

そして、何よりもこうしたことを何かしらの理系学問、実験等を通じ、より多くの『女性』が真剣に考えるようになると、彼女等のそして後には彼女等の子供達の社会に対する見方、認識も変化が生じ、それに伴い社会が(多少は)良くなってゆくのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

またさる四月の熊本での大地震にて被災された地域における早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」







20160730 地域性について・・

本日は気温が上がり、日中の日差しはなかなかのものであり、梅雨が過ぎて本格的に夏になったことが実感される一日でした・・。

また、このような暑い季節になりますと、私は哲学、思想系などの多少こみいった内容の著作を読むことが(大変)困難になってきます・・(苦笑)。

それ故、少なくとも私にとって、様々な分野の著作とは、それが読み易い季節といったものがあるのではないかと思われるのです。
あるいはこうしたことは、他の方々においても(多少は)当てはまるのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?

そして、ここ最近私は我が国の様々な「地域性」について記された著作を読んでおります。

こうしたトピックとは、日常的な話題とも結び付き易いため「科学的な学問、研究としては如何なものであろうか?」といった意見も少なからずあるのではないかと思われます・・。

しかしながら、こうした学問・研究こそ、現在世界各国において傾向、潮流として挙げられている国、地域レベルにおける閉鎖性、凝集性の特徴、メカニズムを認識するために重要ではないかと思われますが如何でしょうか?

また、その分野における一つの著作として挙げられる宮城音弥の「日本人の性格」などは、かなりハナシが具体的であり、また自身の経験とも大きく矛盾することはなく、そのことから、このような著作とは「現在ではむしろ書きにくいのかもしれない・・。」と考えさせられます・・(苦笑)。

私見として、地域性について記された学問的な著作である和辻哲郎著「風土」、梅棹忠夫著「文明の生態史観」などは、主に世界規模でのそれ(地域性)について記したたものであり、そこからさら
に細分化、具体化したものが、さきに示した宮城音弥著「日本人の性格」であると思われます。

そして、この著作からさらに文化人類学的色彩を濃厚にしたものが、岩波書店刊の岡正雄論文集「異人その他・他十二篇」大林太良編ではないでしょうか・・。

この最後に挙げた著作は地域学を専攻していた修士課程在籍に巡り合うことができなく、大変残念ではありましたが、こうした著作からの思索と実際の出土物に基づいて検討考察を行う考古学からの視点を複合、組み合わせることにより、また何かしら面白い発見があるのではないかと思います・・。

また、そうしたことはかねてより民俗学の谷川健一などが行っておりましたが、今後は、そうしたことがより具体的な方法論を以って研究されてゆくのではないかと思われます。

たとえば、出土遺物を試料として各種分析機器によるデータと様々な同時代の史料内容との比較・考察、すり合わせなどです。

しかし、そういったことも考古学の森浩一が既にはじめていたのではないかといったことがここに至り思い出されました・・(苦笑)。

とはいえ、このような文系と理系の学際的な研究とは今後、より発展の余地、可能性があるのではないかと思われますが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月の熊本において発生した大地震で被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年7月30日土曜日

20160729 学問間の交流の重要性について・・

これまでに作成したブログ記事も370を超え、あともう少しで400記事に到達します。

400記事といえば、特に区切りが良いというわけでもありませんので、その次は500記事まで書いてみようと思うかどうか分かりませんが、とりあえず自身の意志と着想の続く限り、途中多少の間があいたとしても、何かしら書き続けてみようと思います。

そういえば、昨日ブログを閲覧してくださった方々は、私が寝入った後、ロシアから閲覧してくださった方々が多く「もしかしたら、これは共有した動画(ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」内「狩人の合唱」)の影響によるものなのであろうか?」と思いました。

この男声合唱団とは、ロシア、モスクワにある国立原子力研究大学(以前のモスクワ工科物理研究所)(ほぼ直訳、少し間違っているかもしれませんが、大体こんな感じであると思います・・。)内のクラブであり、合唱も素晴らしく、同時に、指揮をさてれいる女性の躍動感にも感銘を受けました。

また、こうしたスタイルの合唱(しかも歌い手がおそらく皆、理系研究者)というのはなかなか我が国においては見受けることがないと思いますが如何でしょうか・・?

とはいえ、背景文化も異なるため、どちらが上下、良い、悪いとはいえず、これは単に文化の違いを示しているのでしょう。

私がこれまでに見た我が国の理系研究者あるいはそのタマゴたちの多くは、文系の同様の方々に比べ、チームワークに長け、様々な研究、活動をする上において、実に自然に役割分担が決まり整然と行動をしていたように思われます。

これには甚く感心しました・・。

そして、こうした特徴はまた、それが研究に関係のない合唱などであっても、能動的な意志によるものであれば、かなり良い方向に生かされるのではないかと思います。

その点、文系の方々とは、全般的に研究者一人一人の個性が強く、また、そうした環境により、この分野とは、研究が駆動、進展するのではないかと思います。

こうしたことはある種、芸術家などにも通じる何かがあるのかもしれません・・。

しかし一方、我が国の知的風土の風通しを良くするという目的に立ち、理系、文系双方研究者を(基本的に自身が希望する)異種(理系であれば文系、文系であれば理系)研究分野にインターンシップのように、しばらくの間在籍し、そこ(異種研究分野)で研究活動に従事するということは、実際の研究進捗にはあまり寄与することがないかもしれませんが、より長い目、広い視点で見ますと、結果的に彼等・彼女等にとって有益な経験を得ることが出来る蓋然性が高くなるのではないかと思われます・・。

こうした試みは、なかなか面白いと思われますが、如何でしょうか(笑)?

また、ハナシは少し変わりますが、理系、文系では同じ研究者とはいいましても、何といいますか、その背景となる知識、見識の相が異なるためか、発する何かが異なるように思われます・・。

極端にいいますと、種族?が違うような感じを受けることがあります・・。

科学的なハナシではなく恐縮ですが、同時にこうした特徴、性質の相異とは、何かしら存在するのではないかと私は考えております・・(笑)。

そして今後は、それをもっと上手く言語化出来ることを一つの課題とさせていただきます・・。

とはいえ、こうしたことを記していると、不図「では、これまでのブログ記事にて言語化してきた中に、ある程度普遍化することが出来る新しい事柄、知見らしきものはあったのだろうか?」と考えてしまいますが、それは少なくとも今現在の私が判断できることではないように思われます・・(苦笑)。

それ故、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月に発生した熊本における大地震にて被災された地域における諸インフラの出来るだけ早い復旧そして、その後の復興を祈念しております。





2016年7月29日金曜日

20160728 数値による評価と創造性・・原理からの理解により発生する「何か」

本日も少し帰宅が遅くなり、またブログ記事の作成を躊躇しておりましたが、それでもやはり何かしら書いておかないと思い、本日分の記事を書きはじめた次第です。

また、相変わらず現在の状態においては、特にこれといった着想、アイデアがあるわけではありません・・。

そういえば、昨日投稿したブログ記事において「各々のブログ記事の面白さを決めるものは、その閲覧者数であることは、大きな間違いではないかもしれないが、同時にそれが精確な事実を言い当てているかどうかは不明である。」といったことを記しました。

そして、こうしたことは、様々なことについていえるのではないかと思われますが、同時に現在の世界規模での思想的潮流において「数値化出来る事実のみが明晰な考えとして許容できる事実である。」といった風潮が強いように思われます・・。

これは世の中全体がある意味で理系化しているということなのでしょうか・・?

しかし、同時に本当の理系学問分野のスゴイ方々からよく聞かれる意見として「あまり効果が望めない(金にならない)基礎研究にこそ、もっと力を注ぐべきだ」といったものがあります。

私はスゴイ理系の人間ではなく、そもそも理系の人間であるかどうかもかなり怪しいのではありますが(苦笑)、それでも、この意見とは、決して付和雷同あるいは知的虚栄心からでなく、あるいはまた、その背後の理屈は多少異なる可能性もありますが、自身の実感、経験に基づき賛成します。

我々日本人はかねてより、その物真似、吸収といった受容的才能に富んだ国民であると各国より評され、また、それは我々自身が認識する強い此岸性、実際的傾向と強い親和性があるものと云えます。

こうした性質とは、国全体の経済面での見通しが明るくなく、またこの先の更なる低迷もまた予測される現在および今後の状況においては、ますます増強・促進してゆくのではないかと思います・・。

その結果として、さきに述べたような実際的でない(無駄・コスパが悪い)と考えられる基礎研究などに費用を投じることは無駄なことではないかと考えるのが自然になってゆくのではないかと思われます・・。

しかしながら、これまでで一言も触れていなかったものが「創造性」です。

創造性とは、乏しい私の経験から述べさせて頂きますと、どのような分野であれ、一見無駄とも評することが出来る行為の積重ね、蓄積を通じて知覚、体得された、ある物事、事柄に対する原理からの理解により発生する「何か」ではないかと思われます・・。

そして、出来るならば、こうした創造性を持った(特に若い)人々が多くいた方が、その国における未来には好ましいのではないと思われますが、もしかすると現今の我々の状況とは、そうした若い方々を食いものにしている部分もまた少なからずあるのではないかと考えさせられます・・・・。

あたかも太平洋戦争後期、末期の我が国のように・・・。

あまり、いや決して認めたくはありませんが、もしかすると我々とは、たとえ無意識にではあったとしても、こうした傾向を精神のどこかに秘めているのではないでしょうか・・?

そして、ここまで記していますと、不図、以前抜粋引用した北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」中央公論社刊pp.284ー294からの内容を想起しました・・・。

以下「」抜粋引用部です。

トーマス・マンは詩人を定義して、自分自身のことだけを述べてそれがそのまま全世界を述べていることになる人のことだ、という意味のことを書いているが、同じように、元来個人的な、閉ざされたものである「夢」を解きはなち、普遍性、社会性を付与したものが芸術であるといってもよいだろう。マンの名前がでたついでに、この辺で固苦しい話からはなれて、ジイドが比べるものがないと呼んだ彼の長編「魔の山」をひもどいてみることにする。

この小説の主人公ハンス・カストルプは単純な「人生の厄介息子」であり、低地から隔絶されたダヴォスの療養所にはびこる「病菌」の実験材料にすぎない。
対立した教育者たちは、この青年をそれぞれの自分の陣にひきいれようとする。
だがあるときカストルプは吹雪に迷い、雪のなかで美しくも怖ろしい夢を見た。はじめ彼の前には、明るい霧雨のヴェールの下から、深い紺青の南海があらわれる。
海浜の砂地の上では美しい太陽の子らが、楽しげに子どもっぽい、同時に品位にみちてつつましく、馬に乗ったり弓をひいたりして遊んでいる。それは見ていても胸がふくらみ温かくなるような光景だった。
だがやがてカストルプは背後の神殿で行われているむごたらしい饗宴にも気づく。
そこでは魔女のような老婆が白髪を乱し半裸体で、野蛮な落着いた様子で嬰児を裂いて食べている。
彼はもろい骨が老婆の口の中でくだける音を聞き、醜悪な唇から血がしたたるのを見た。
そこで彼は目ざめるが、それらの光景をどこかで知っているような気がする。

「僕は一体どこで見たことがあったのだろう?
誰も自分の心だけで夢を生むのじゃなくて、めいめい思い思いの見様はしても、本当は無名で共同で夢を見るのではなかろうか。
ある大きな塊があり、それが僕という一小部分を通して、僕は僕なりに、いつもその魂がひそかに夢見ている事柄を夢見るのだろう」。
そしてカストルプは人間の地位と本領を考え、はっきりと彼の「陣」をとる。
「僕は人間の地位を夢に見、また人間の礼儀正しい聡明な恭謙な社会を夢に見た。
その後ろの神殿では凄惨な血の饗宴が行われていることをひそかに考えているから、太陽の子らはあのように礼儀正しく麗しくいたわりあうのだろうか?」
「死の冒険は生のなかにあって、それがなかったら生は生でなくなるだろう。
そしてその真中、冒険と理性との中間こそ人間の位置すべき場所である。
その真中の位置にあって、人間は上品にやさしくうやうやしく自己を遇さねばならない。
なぜなら人間だけが尊いのであって、対立する考え方が尊いのではないからだ。
対立しあう考え方も人間があってこそ存在するのだ。
だから人間はどんな対立よりも尊いのだ。人間は死よりも尊く、死に耽溺するには尊すぎる。
知性の自由を持つからだ。
また人間は生よりも尊く、生に耽溺してしまうには尊すぎる。心に敬虔な気持をもつからだ。
なんだこれは詩のようだぞ。
人間についての夢の詩のようだ。僕はこれを覚えておこう」。
その通り、忘れさられたように見えたこの夢は、彼の魂の底ではずっと生きつづけていた。だから彼は「大きな無感覚」から目覚め、魔の山をくだるようになるのである。」

さて、何かしら関連性はあるのでしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月に発生した大地震によって被災された九州、熊本地域の早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年7月27日水曜日

20160727 文章の質の向上と相変態 分裂と統一

A「大分前に投稿した記事が何故であるかわかりませんが、突然閲覧者数が増加する現象が時折生じます。

こうした現象を見て、その記事を読んでみますと「おそらく現今記している一連の記事よりもよく書けているのではないか?」と考えさせられます・・(苦笑)。

そして、直近のそうした記事とは昨秋に記した「迦微、神、カミについて・・」であり、何故であるかよくわかりませんが1日で閲覧者数が急激に上昇しました。

また、そのことを不思議に思い、その記事を読み返してみますと、たしかにここ最近ほぼ日課のように記している一連の記事に比べて内容が深いように思われます・・(苦笑)。

また、そこで述べている考えについては、現在なお特に大きく変化しておらず、何れ機会があれば続編らしきものを書いてみようとも思います・・。

さて、そこまで記していると、これからのブログ記事作成の新たな手法として、これまでに投稿した記事に対する加筆訂正、そして、それら内容の更なる検討、考察を行うのもまた、悪くないのではないかと思いましたが如何でしょうか?

とはいえ、そうしたことも、今後ある程度記事作成を行った後にしてみようと思います・・(笑)。

そして、その具体的な「ある程度」とは、区切りの良い400記事ということにします。

ブログ記事作成をはじめて1年以上が経過し、投稿記事数も400に近く(370)なってきましたが、そうした状況においてもよく分からない、判然としないのは、果たして自身の作成する記事、文章の質が(多少は)向上しているのかということです・・(笑)。

さらに一体何を以って「文章の質が向上しているのか」といえるのでしょうか?

これを単純に閲覧者数として認識、考えることも出来ます。
また、たしかに「閲覧者数が多いブログ記事の方が、少ないそれよりも面白い」という蓋然性は高いと思われます。

しかし、それは決してイコールというわけではありません。

そして科学全般の弱味の真髄とは、もしかしたら、ここにあるのかもしれません・・・。

いうなれば、それ(ブログ記事における閲覧者数)とは、あくまでも指標に過ぎず、そのものの実態を絶対的な精確さで評価、表現しているというわけではありません・・。

さらに、振り返って考えてみますと、こうしたことは、実験等を行っていた際に度々考えていたことであり、あるいは、そうした思考のある程度の蓄積の先に、何かしら意識における相変態・相転移といった現象が生じるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、そうした現象がこれまでに実際に生じていたか、生じていなかったか、あるいは、今後生じるか、生じないかとは、今もって分かりませんが、とりあえず出来ることとして、以前よりかは更に肩肘を張らず、力まずにを意識しつつ(・・しかし意識してそうするのもおかしなハナシではありますが(笑))またしばらくブログ記事の作成を継続しようと思います・・(苦笑)。

暗中模索とはこうしたことを示すのかもしれません・・(笑)。

そして、ここまで書いて突然、昨日のブログ記事の概要である「意識、タマシイが分裂している状態である方がそれが統一されている(感動している)状態に比べ、文章などを記す際においては適しているのではないか?」といった主張とは、もしかすると渡辺美里の「My Revolution」の歌詞にも近いのではないかと思うに至りましたが、如何でしょうか(笑)?

そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の九州・熊本における大地震で被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」













20160726 意識の統一と分裂 ナンセンスの暴走そして氾濫

先日記した記事において「何かしら文章などを作成している時の自身と日常生活における自身とは少なくとも、その意識表層の次元において異なり、この時、双方は分離しているのではないか。」と記しました。

では、それとは反対の状態つまり、自身の意識が統一されている時とは、如何なる状態であるかと考えてみますと、それは一つに何かに感動している時ではないかと思われます。

こうしたことを書きますと、そういえば、小林秀雄がどこかで「人は感動している時はタマシイが一つとなり誰であれ自分自身になっている。」といったことを述べていたことを思い起こさせます・・。
また、それは自身の経験、実感より、たしかにそうではないかと思われます。

さて、これらの想起、思い描いたことを前提として、もう少しハナシを進めてみますと「では、文章を記しているときの自身とは、自分自身になり、感動を以って記しているのではなく、意識、タマシイが統一されていない分裂した状態にて記しているのであろうか・・?」と考えさせられますが、これは確かに間違いではなく、少なくとも現在の私の場合とは、感動している状態にて何かしら文章を書くことは、かなり難しいといえます・・。

文章を書く際において、意識上に想起される様々な観念、事象などを意識的に留意し、さらにそれらの取捨選択を為し、その適当な配列、配置を検討し、とりあえず書きはじめ、そして、ある程度記した段階において、それがハナシ、物語としてどうにかカタチになっているか、筋が通っているかを実際に読み検討し、さらに推敲、加筆訂正を行うといった行程の繰り返しを辿ることが多く、その場合、さきの「感動」とは、この一連の行程作業を行う上において(積極的に)あまり歓迎されるものではありません。

しかし一方、そのようにして作成された文章を誰かが読み、時として感動するということは、なかなか面白い現象ではないでしょうか・・(笑)。

あるいはそれと関連しているかどうか明確ではありませんが、ゲーテがイタリアに赴いた際、法王庁の誰かに言われたコトバとして「人は決して一つのことを考え続けてはなりません、そのようなことをしているとおかしくなります。人は常時様々なことを心のなかに浮かべておくべきです。」といったものが記録されております。
あるいはこれもまた、何かしら、さきに述べたことを支持する内容を含んでいるのではないかと考えさせられますが、如何でしょうか?

とはいえ、同時にそこにはまた、限度、センスあるいはコトバのニュアンスといった微妙且つ重要な問題もまた存在し、短絡的にハウツー本の要領で鵜呑みにして真似すれば良いというものではないと思われますが如何でしょうか?

そして、何かを学ぶということの真髄とは、こういった感覚の認識、知覚にあるのではないかとも考えさせられます・・。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月の九州、熊本における大地震で被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


Hyoe-Murakami [Japan the years of trial 1912-52] Kodansha America, Inc (1983/8/1) pp.64-65

「Ishihara addressed the group in a friendly manner,
explaining the aims of the central authorities and
expressing his own hopes that the Kwantung Army would
show prudence.
This prompted Lieutenant Colonel Muto, the staff officer
in charge of operation in Inner Mongolia, to ask with a
smile, Are you merely voicing the opinions of your
superiors or do you yourself truly believe what you are
saying?
That’s enough!
Ishihara retorted, his voice suddenly stern.
I’m opposed to any operations whatsoever in Inner
Mongolia.
Just when the building of Manchukuo is finally under
way, you want to risk stirring up trouble with Russia and
China with these clumsy plots.
Doesn’t common sense tell you what the results will be!
You amaze me, Muto said, the smile still on his lips.
At the time when you were so active in the Manchurian
Incident, Imamura and I were working at General Staff
Headquarters.
It was your actions then that opened our eyes; we admired
you.
We are only putting into practice in Inner Mongolia what
we learned from you.
The staff officers laughed in unison when Muto finished,
as if to voice approval of what he had said.
Ishihara, shocked into silence, turned to Itagaki, but his
old friend and ally made no move to speak.
A sudden chill fell over the meeting.
Assistant Chief of Staff Imamura stepped in to act as
mediator.
What do you say sir-he said, addressing Chief of staff
Itagaki, it’s time to eat, so why don’t we discuss this
further tomorrow, when there’s more time…Yes, Itagaki
agreed, greatly relieved, let’s move to the dining room and
relax.
The following day Ishihara reiterated the aims of the
central command to the commander, Itagaki, and
Imamura, but he was fully aware they were not listening
in earnest to what he had to say. It was Ishihara himself,
together with Itagaki, who had created these headstrong
tendencies
in the Kwantung Army.
Now he was partaking of the bitter fruit of a tradition he
had helped create. It was like preaching to a blank wall.
For the first time in his life, Ishihara tasted defeat.
When Imamura saw him off at the airfield, it seemed to
him Ishihara was a different man from when he arrived,
that a shadow of forlornness had fallen upon him. 」


ISBN-10: 087011610X
ISBN-13: 978-0870116100







2016年7月26日火曜日

20160725 文語と口語との関係について、語り得ぬものとは・・

本日は若干帰宅が遅くなり、既に366記事は作成したので、ブログ記事作成は止めて早めに寝ようかと思いましたが、日常性もしくは慣れというものはなかなか恐ろしいものであり、こうして本日分ブログ記事の作成を始めていました・・(苦笑)。

ともあれ、こうして記事を作成していますと「さて、では次の目標は400記事にしてみようか・・。」と考える私が他方におります・・(笑)。

そうしますと「ここでブログ記事を作成している私とは、日常生活を送っている私とは、また別の相にいるのではないか?」と不図考えてしまいます・・(笑)。

これを異言しますと、文章を書く相の私と、日常生活を送る私とは、その基層の部分においては同一であるものの、その表層(?)においては分離しており、あるいは分離しているように見え、このことは、さきに抜粋引用したエルンスト・ユンガーの記した文章と何かしら関連があるのではないかとも考えさせられます・・。

また、この主題ににこだわっているようにも見受けられるかもしれませんが、それは、こうした文章を記す私がはじめて経験していることであるからと云えます。

また、こうした経験とは、通常文章を記す際において書き著すことがないのが通常であるのかもしれません・・。

いや、あるいは、こうした経験とは、特に普遍性を持つものではなく、私自身がそうした経験をしているように他者に対して見せるために記しているだけという可能性も否定できません・・(苦笑)。

そして、こうした、いわゆる精神内部の動態、状況をできるだけ精確に書き記そうという行為とは、そもそもが徒労に終わることの方が多いのかもしれません・・。

それ故、様々な宗教および宗派が併存しながらも、その平和的な相互理解があまり進まず、それとは逆にそれらの間での観念上の対立が実際の闘争にまで至るのではないでしょうか?

まあ、こうした意見とは比較的陳腐なものではあるのですが・・(苦笑)。

ともあれ、「では、そうした精神内部の動態、状況の精確な記述を妨げているものは一体何であろうか?」と考えた場合、おそらくそれはコトバでいうと割合簡単であり「自己欺瞞」といったものではなかろうかと思います・・。

もちろん自身を含め、我々とは、この自己欺瞞を日常的に行っているのではないでしょうか?

そしてそれは、様々な事物に対して自己欺瞞を思考のなかに置かないようにする学問が再現可能性・普遍性を重視する理系学問分野一般の特徴ではないでしょうか?

それ故、理系的な哲学の著作ともいえるヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」の最終章、結語において「人は語り得ないものについては沈黙するほかない。」という結論にたどり着いたのかもしれません・・。

とはいえ、後年著者は自身で、この結論を含め、この著作での主張を撤回しております。

それはつまり、新たな創造・思索を行うために我々人間とは、語り得ない対象についてもコトバを用いて認識あるいは認識の共有を試みなければならならないという現実が、沈黙することよりも有効であるという考えに達したからであると思われます・・(我々日本人はこの認識がイマイチ苦手であるのではないだろうか?)。

また、たとえ、認識の共有が図られず、逆に対立に終わったとしても、まだそちらの方が持続可能性・発展持続性があると考えたのかもしれません・・。

そして、このように記していると「日常生活における自身と文章を書く自身の相が少なくとも表層においては分離しているのではないか?」といったさきの意見も、たとえ、それが無意識的な自己欺瞞によるものであるとしても、少なくとも、故意にその現象を歪めようとする意図に基づかないという意味においては、まあ、許容されても良いのではないかと思われましたが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月の熊本における大地震によって被災された地域の今後の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。







2016年7月25日月曜日

20160724 さまざまな地域性に対して思うこと・・ 

A「昨日(20160723)投稿した記事により投稿記事総数が366となり、1年分として適当な量に達しましたが、本日現在も相変わらず記事を作成しております・・(苦笑)。

物事、行為の日常化とはなかなか恐ろしいものです・(笑)

あるいは、様々なことについて生じる「中毒」もまた、これと何かしら類似したものがあるのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。

とはいえ「文章作成中毒」なるものは、これまでに聞いたことがありませんので、もし、そういったものがあるのであれば、一度かかってみたいと思わなくもないです・・(笑)。

さて、ハナシは変わりまして、昨日のブログ閲覧者数もおかげさまで1000に到達することが出来ました。
1年分として良い区切りであった昨日にこうした結果となり大変嬉しく思います。

また、ここまでブログ記事作成を継続するエネルギーの源泉となった和歌山、鹿児島、福岡の自然風土、地域社会、文化そして、より具体的にはお世話になった方々どうもありがとうございます。

・・しかし、よく考えてみますと、以上のことは以上のことで変わりはないのですが、それに加えて、これらの地域にてお世話になった、刺激を受けた方々とは、全て皆土着、地元の方々というわけでもなく、私同様、各地方から移り住んでいる方々が多かったことが思い出されます・・。

それでも、その範囲にはある程度の限界といったものがあるようで、和歌山であれば、大体地元を含めた近畿・関西圏、遠くとも瀬戸内、東海圏そして鹿児島であれば概ね九州一円そして遠くとも近畿・関西圏からであり、福岡では概ね全国からいらっしゃっていたようですが、それでも大半は九州を中心とする西日本の方々であったように記憶しております・・。

そして、それらの場所に在住した私が記す一連のブログ記事が、一体どのような方々に、どのように読まれているのかとは、なかなか興味深いところではありますが、こうしたことを追究するのは、もう少しそれらの具体像が見えるようになってからにしようと思います・・。

とはいえ、読まれている記事の内容を随時追っていきますと、おそらく、それらを記した私よりも深く読まれているのではないかと考えさせられることが度々いや、多々あり、そのことから、やる気と共に「あまり変なコトは書けないな・・。」といった感じを強く与えられます・・(笑)。

また、さきに記した具体的な地域に関してですが、私の場合、修士課程在籍時に地域学という、地域性についてある程度調べる機会を持つことができたため、そうした見方、考え方については、基層に存在する、それら地域に対する好意、肯定といった感情に基づきながらも、何かしら具体的な知見が得られ、そして、そうしたことを述べる、記す必要性がある場合、客観的(純粋客観的とは無理ですが・・)な意見を述べることが出来るのではないかと多少僭越であるかもしれませんが考えております・・。

それに加え、過去に著された地域性に関する名著といえるものも割合多く存在しておりますので、それらを随時参照し、与えられた現象と比較検討し、その関連を考察するといった方法もまた採ることが出来るのではないかと思います・・。

そして、ここまで記していて思うことは、さまざまなセンスの良い、洗練された文物を生み出す西欧諸国の文化を愛好することは、我々日本人としては極めて自然なことであるとは思いますが、その他面において、自国の(ホンモノの)文化風土を知ること、いや能動的な関心そしてそこから発生する知識、見識を持つことは思いの他大事であるのではないかということです・・。

とはいえ、それと同時に思うことは、少なくとも我々日本人とは、如何なる理由によってであるかわかりませんが、自国の歴史、文化、風土を知る場合においても、直接的に知ることがどうも困難であり、一端西欧、欧米等異文化へのある程度の理解を経て、自国のそれの関心、理解に回帰することが多いのではないかと思われますが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

またさる四月の九州、熊本での大地震により被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年7月24日日曜日

20160723 366記事到達・・

今回のブログ記事投稿で投稿記事総数が366記事となります。

しかしながら、特に大きな心境の変化などはなく「とりあえずプロフィールの写真でも変更しておこうか・・。」といったところです。

以前プロフィールに用いていた写真は2011年秋に撮影したものであり、今回新たに変更したものは2010年秋に撮影したものです
(その後再度2011年秋に撮影したものに変更)。

このほぼ1年間(2010~2011)の間に多少、顔貌は変化したようではありますが、果たして、どちらがいいかとは、よくわかりません・・(笑)。

このことから、自身の顔写真についての評価とは、なかなか難しいものであることが分かりました(苦笑)。

また、直近に撮影した履歴書などの応募書類に用いている顔写真はアップしておりません・・。

それは「こうしたものは、ここで用いるのはどうかな・・?」と考えるからです。

さて、履歴書といえば、ここ最近は公募サイトを見ておらず、今回のブログ記事投稿でキリのいい366記事まで到達したこの後、再び折を見て公募サイトを閲覧し、自身に向いていると思われる職種があれば応募してみようと考えております。

応募を試みる職種は大学での研究支援業務を専門に行うリサーチ・アドミニストレーター(URA)といった職種になると思われます。

また、こうした職種は現在、任期付がほとんであり、安定した将来の展望が持ちにくく、今後処遇の改善を希望しておりますが、それでもやはり、少なくとも私の場合、和歌山、鹿児島を含む、気候が温暖な地域の大学にて、さきに述べた職種に就いた方が持続可能性、発展持続性があると考えております。

そして、その際、これまでに作成した一連のブログ記事が何かの役に立つか分かりませんが、少なくとも、ここまでの一連の行為とは、自身に対する何らかの証にはなったのではないかと思います・・。

しかし、このようなことを記しますと「証を立てたのであれば、以後ブログ記事作成を止めるのでは?」と思われる方が、いらっしゃるかもしれませんが、投稿するペースは今後、多少変わるかもしれませんが、ブログ記事作成自体は継続するつもりです。

といいますのは、1年以上(ブログ記事作成を)継続しておりますと、今度は(大抵毎日)記事を作成することが日常に近くなってきた部分も(少なからず)ありますので・・(苦笑)。

とはいえ、この日常を成立することが出来た主な原因とは、繰り返すようですが、これまで決して面白いものばかりとはいえない私の記したブログ記事を読んでくださった方々が(私にとって)少なからずいらっしゃったことです。

これまで一連のブログ記事を読んで頂いた国内外の皆様、どうもありがとうございます。

今後もおそらく記事作成を行う所存ですので、引き続きどうぞよろしくお願いします。

そしてまた同時に、作成した記事の中から何かしら新たな知見およびそのヒントを得られた方々がいらっしゃったのではあれば、それこそ私にとって僥倖であり、今後も何かしら、そうした新たな知見の発見あるいはそれに寄与できるよう、継続的にインプット・アウトプットを行うつもりです。

さらにそうした自身の性質に合致したものとして、さきに述べたような職種が挙げられるのではないかと思いますが、如何でしょうか?

そして、さる4月に大地震が発生した九州、熊本での被災地の早急な諸インフラの復旧そしてその後の復興が速やかに為されることを祈念します。






2016年7月23日土曜日

20160722 エルンスト・ユンガー、ロバート・グレーヴス、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインについて・・

心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックといった人間の心、精神における現象(?)と理系学問分野における様々な物質の相変態・相転移の現象が類似しており、さらにそれがエルンスト・ユンガーがその著書「労働者・支配と形態」にて述べている「技術と人間の結びつきとは間接的である方が良い。」ということに何かしら関連があるのではないだろうか?といった内容を先日のブログに記しましたが、これは現在になり考えてみますと、我々人間にとって奥が深い主題であるのかもしれません・・。

また、そのように考えてみますと、エルンスト・ユンガーと同時代の異なる戦場にいたイギリスの詩人ロバート・グレーヴス著の岩波書店刊「さらば古きものよ」からも同様に、上に記した内容に近い要素が何かしら看取されるのではないかと思いましたが如何でしょうか?

私見とはなりますが、この当時(20世紀初頭~第一次世界大戦)のイギリスをはじめとする西欧社会の歴史的背景、価値観を知るうえでこの著作はかなり有益であるのではないかと考えます。

とはいえ、この著作とはトーマス・マン著の「魔の山」ほど著名でもありませんので、この著作とは少なくとも我が国においては「隠れた名作」という評価が適当であるのではないかと思います・・。

また、当著作文量は上下巻に分かれていますが、おそらく「魔の山」の6・7割程度であると思われます。

興味を持たれた方々、是非一度手に取って読んでみてください・・(笑)。

あるいは、時代的にもタイムリーであるのかもしれません(そうでなければ本当に良いですが・・)。

そして、ここまで記していて、不図思い出したのが、ほぼ同時代人のオーストリア・ハンガリー帝国に出自を持つ哲学者ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインです。

彼もまた前掲二者同様、第一次世界大戦の激戦に身を置いた一人であり、その著作「論理哲学論考」内の思索の多くは、戦地での勤務にて為されたということです・・。

たしかに、この二者(エルンスト・ユンガー、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン)には相通じるものがあるように思えますが、如何でしょうか?

おそらくヴィトゲンシュタインの方が普遍的、科学的な現象面により注視し、端的には理系的な発想、著述の色彩が強く、そのことから、理系学問優勢の我が国における両者の知名度の相違を決しているのかもしれません・・。

さて、ハナシは変わって、今回投稿する記事により投稿記事数が365となりますが、特にこれといった変化はなく、また同時に今現在そういったものを望んでいるわけでもありません・・。

しかし、次回の投稿により、閏年である今年を挟んだ一年分の記事数として適当な366記事となります・・。

とはいうものの、おそらく次回(明日)の記事投稿においても特に何かが生じるということもなく、ただ自身のケジメとして「ああ、一年一カ月程度でようやく一年分として適当な記事数を作成したな・・。」ということになり、ある程度の達成感を感じる程度ではないかと思います(笑)。

ちなみに明日記す予定の記事とは今現在においてもこれまでと同様何も考えておらず、またその時になりはじめて考えると思われます・・(笑)。

そして、その意味において、明日が休日(土曜日)であることは、まことに好都合であるとは思います・・(笑)。

しかし、一体何時になると私の文体における相変態・相転移らしきことが生じるのでしょうか?(笑)。

あるいは、こうしたことは突如生じるといったものではなく、徐々に生じ、進行してゆくものなのでしょうか?
とはいうものの、そういしたことに実感が伴わなければ判然としませんので、もしかすると、以前記したように私とは(少なくともこうしたことに関しては)相当鈍感であるのかもしれません・・。
また、これはあくまでも可能性のハナシではありますが・・(苦笑)。

ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月の九州、熊本を中心とする大地震により被災された地域の出来るだけ速やかな復旧そしてその後の復興を祈念しております。


2016年7月21日木曜日

20160721 歴史から学ぶ・・【昨今の我が国について思ったこと】

ここ二日間ほど人間の精神における相変態・相転移について書いてきましたが、こうしたことは、ある程度大きく考えてみますと国・地域などによっても存在するように思われます。

たとえば、ある国が経験した大きな出来事(戦争・革命など)の前後において、その国の文化(の様々な面)が如何なる変化を遂げたかということを観察し考えてみますと、そこに最大公約数的に見たその国の精神における相変態・相転移の際の特徴、傾向などが見受けられるのではないでしょうか?

そして、こうしたことは様々な優れた著述家が既に述べられているので取り上げませんが、現在の我が国の状況とは、過去のどの時代に類似しているのかと考えてみた場合、もしかすると「白村江の戦い」の前の時代に似ているのではないかと思いましたが如何でしょうか?

しかし、であるからといって、今後絶対に戦争が勃発するというわけではなく、ただ古来より東アジア最大の国、中国(呼び名は色々ありますが)が熱を帯び膨張をはじめますと、それは否応なく周辺諸国に影響を与え、そこには多分に緊張が含まれるのではないかと思います。

そして、そこで生じた緊張とは、必然的にその国の同時代の精神あるいは集合的無意識などにも影響を与え、そして文化もまた変容してくるのではないかと思われます・・。

そして、こうした文化の変容は、特に都市部において容易に看取、観察することができるのではないかと思います。

また、特に具体的な個別の現象について記すことは控えますが、そこから1920年代~30年代の我が国社会の変容なども、同じようなモデルに則っていたのではないかと考えさせられます・・。

さらに、現代がさきに記したようなモデルに則っているとすれば、この時代(1920年代~30年代)を実際に生きた著述家等が概ね寿命により世を去った時代(現代)に社会の変容が生じているということもなかなか興味深いことではないかと考えさせられますが如何でしょうか?

そして、このように考えてみると「歴史から学ぶということは、少なくとも我々日本人にとっては、なかなか難しいことであるのかもしれない・・」とも考えさせられます。

さらに、ここまで記していますと、これまでの一連のブログ記事にて、その文章を抜粋させて頂いた様々な著述家の方々が現在の我が国に生きているとすれば、見るとすれば、彼等・彼女等は一体どのような感想を現在の社会に持つのであろうか・・?と考えてしまいます・・。

たしかに我々日本人とは19世紀半ば過ぎにいち早く西洋的な近代化を成し遂げ、当時膨張しつつあった西欧列強の植民地となることを免れ、また、その後の大敗を喫した太平洋戦争の後においても驚異的な復興を成し遂げ、世界に名だたる経済大国にはなりました・・。

それは、たしかに我が国民の、ある面での優秀性を如実に示すものではあるとは思います。

しかしながら他面において、それはあくまでも突貫工事的にある程度機能する組織等メカニズムを組み立てることの優秀さであり、その後の社会、組織における持続可能性、発展持続性を考慮したものではなく、むしろ、その後は、そうした組織等メカニズムに組み込まれ、あるいは単に生活を成り立たたせるための機構となり、持続可能性、発展持続性を保持するためのある種の熱意、精神(いや良心かもしれない・・。)を見事なまでに閑却するか、あるいはエピゴーネン的な換骨奪胎、再生産に終始してしまうような特質を持っているのではないかと不図考えてしまいます・・。

こういったことが単なる見当違いの妄想、杞憂であれば良いのですが・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月に発生した熊本での大地震による被災地での諸インフラの早急なる復旧そしてその後に続く着実な復興を祈念しております。

2016年7月20日水曜日

20160720 人間と技術との間接的な結び付き および 相転移・相変態について・・

昨日ブログ記事にて書いた内容とは、後になり考えてみますと、以前抜粋したエルンスト・ユンガー著月曜社刊「労働者・支配と形態」の下に示す内容とも関連がるのではないかと考えさせられます・・。

『しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。
つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。
人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。
この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。
この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。さて、技術を、労働者の形態が世界を動員する方法として理解すべきであるとするならば、まず、技術がこの形態の代表者、すなわち労働者に特に適合しており、その意のままになる、ということが証明されなければならない。』
上掲抜粋文中に記されている『人間と技術が直接的でなく間接的に結び付けられている』とは、通常の状態において人は自身の専門における特有の言語、言語体系そして、それらによる形而上学を意識上に顕現させた状態ではないものの、何らかの必要性、契機により、突如それらが意識上に顕現し、それを行使することになるということではないでしょうか・・?
そして、この顕現のきっかけとなる必要性、契機といったものが、性質は(おそらく)異なるものの、心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックの現出(顕現)のメカニズムと類似しているのではないかとも考えられますが、これを読まれている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?とはいえ、無論、このことにより心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックが好ましいものであるとは短絡的には考えませんが・・。
しかし、同時にこの著者(エルンスト・ユンガー)のように数々のホンモノの戦場を潜り抜け・危険な状況を生き延びてきた方が上掲内容の文章を記す背景においては、心的外傷、フラッシュバックという言語を用いなくとも、あるいは同様の人間の精神、心のメカニズムを示しているとも考えられるのではないでしょうか?
また、さらにこのことに異言を試みますと、こうした現象、メカニズムとは物理、化学用語でいう相転移、相変態などにも何かしら類似した要素があるのではないかとも考えられます・・。
そして、このように記しておりますと、以前抜粋した井筒俊彦著、岩波書店刊「意識と本質 精神的東洋を求めて」および、それを補完する目的にて抜粋した「岩波理化学辞典」第5版の「相転移」の説明が想起されるため、これら両著の主要抜粋部分を下に示します。
井筒俊彦著 「意識と本質 精神的東洋を求めて」
「思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果たすことができないというわけだ。されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も粗も、あますところなくそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」
「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ一つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万理に貫通することができるのでしょうか」。伊川は答える、「たった一つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万理に貫通することができよう」。だが、と彼は付け加える、そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。先に引用した一文(「遺書」十八)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積ると、突然、自らにして貫通体験が起こるのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起こる、というのである。ということは、しかし、「窮理」の最終的目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることの出来る意識のあり方を現成させることの方が、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在世界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。」

「岩波理化学辞典」第5版
相転移
相変化(phase change)ともいう。温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化によって物質が異なる相に移る現象。
原子、分子などミクロの構成要素の相互作用による協力現象である。
相転移には第1種相転移と第2種相転移がある。
固体の融解、同素変態(→変態)、液体の気化などは第1種相転移に属し、鉄などの強磁性体がある転移点(キューリー温度)で常磁性に変るのは第2種相転移の例である。
1) 第1種相転移(phase transition of the first kind).
熱平衡状態として2相の化学ポテンシャルμ1,μ2が等しいという条件で定まり、温度T,圧力Pによるそれらの1次導関数は不連続となるので、1次相転移(first order transition)ともよぶ。この場合、エントロピーや比体積は不連続であり、転移熱(潜熱ともいう。それぞれの場合、融解熱、蒸発熱などという)が伴い、P-T面における2相共存線についてクラウジウス―クラペイロン式が成立する。相1から相2への転移には新しい相2の核の生成が必要なので、準安定な過熱あるいは過冷却として相1が転移点を越えてある限界まで存続し続けることがある。
2) 第2種相転移(phase transition of the second kind).
化学ポテンシャルの1次導関数が転移点で連続で、転移熱(潜熱)はなく、また比体積の不連続もない。2次導関数は不連続で、比熱や磁化率などが転移点で不連続となるので、2次相転移(second order transition)と呼ばれる(3次以上の導関数の連続性を論じることによって、より高次の相転移を定義することもできる)。比熱が転移温度の上下でギリシャ文字のラムダのように発散する場合が多いが、それをλ転移という。このタイプの2次相転移は臨界現象と呼ばれ、一般にある秩序変数に関する秩序―無秩序転移であって、合金結晶中の原子配列規則化、磁性体における種々の磁気的秩序の生成(磁気転移)、常伝導状態から超伝導状態への転移、液体ヘリウムの超流動状態への転移など、重要かつ興味ある多くの例がある。

2次相転移の理論は非常に進歩し、臨界点付近の異常性について深い理解が得られている。→臨界指数
これらを再度抜粋し、読んでみますと、私も含め、我々は人間の精神に対する理解が未熟であり、あるいは、前著に述べられている古の儒教伝統の方が、現代の我々よりも人間精神に対する賢明な見解を持っていたのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の九州、熊本を中心とする大地震にて被災された地域のできるだけ早期そして着実な諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。

20160719 3年前のこの日(7/19)の記憶から・・

本日は帰宅が若干遅くなり、日をまたいだ7/20に昨日にあたる7/19の記事作成を開始しました・・(苦笑)。

7/19といえば、3年前2013年のこの日、学位審査が行われました・・。

この時のことは、現在になり思い起こしてみても、何とも落ち着かない気分になってきます・・。
しかし、当時の私とは、もっと落ち着かず、自分なりに必死にそれ(落ちつきのなさ)を抑えていたような記憶がウッスラとあります・・(苦笑)。

また同時に、そこに至るまでには、さまざまなことがあり、それは嘆いてもはじまらないことではあるのですが、一方、当時の私は、それら全てを消化、納得できていなかったのではないかと思います・・。

いや、そのように考えてみますと、それは現在においても未だ、全ては昇華、納得されていないのではないかとも思います・・(苦笑)。それ故、このことを思い起こすと、さきほど記したような落ち着かない気分になってくるのかもしれません・・。

また、一般的に、このような現象をトラウマ(心的外傷)ともいえるのかもしれません・・。

しかし、そうした過去の出来事にばかり注視することも現実的ではありませんので、実際の生活において、こうしたことは、何かそれを想起する契機を受けた時、瞬間的に、そうした(大量の)記憶の波(?)に呑み込まれるといった感じになるのではないかと思います・・(フラッシュバック?)。

このように書いておりますと、こうした過去の記憶の波が押し寄せる現象のメカニズム、作用機序とは、何も心的外傷およびそのフラッシュバックのみならず、少なくとも私の場合、いくつかの学問分野における知識、言語の相が、日常生活における何らかの契機により、突如押し寄せるといったことにも類似しているのではないかと考えさせられました。

こうしたことは、これまで読んだ書籍等に記されていた記憶がありませんが、これを読まれた皆様の中に、この現象を理解していただける方が少なからずいるのではないかと思われますが、実際のところ如何でしょうか・・(笑)?
ともあれ、人間の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。

そして、ここまで記し不図思い出したことは3年前の7/19の前後(特に後)、どうしたわけかジブリアニメの「千と千尋の神隠し」および「紅の豚」を好んで何度も観ていたということです・・(苦笑)。

また、それぞれの主題歌「いつも何度でも」「時には昔の話を」はそれ以来、とても好きになりました。
こうしたことから、楽曲の好みなどは、当たり前のことですが年齢に係らず、経験により進化発展してゆくものなのでしょう・・。

さて、それはさておき、この時にお世話になった皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる四月に発生した九州、熊本の大地震によって被災された地域における復旧活動が速やかに進み、そしてその後の復興が為されることを祈念しております。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。





2016年7月18日月曜日

20160718 揺れる心と呪術、科学について・・

A「書き忘れておりましたが、昨日の投稿した記事で投稿総数が360に到達しました。
これまでに1年1カ月程度ブログ記事を作成してきましたが、その間に何か大きな変化はあったのでしょうか?

記したブログ記事に関しては、特に大きな変化は見受けられないのではないでしょうか?

いや、むしろ、初期に記した記事の方が内容的には(相対的に)深い洞察に基づいているものが多いのではないでしょうか・・(苦笑)?

それ故、今後無事に366記事に到達しましたら、ある程度日数の間隔を置き(実験的に)ブログ記事を書いてみようと思います(笑)。

そちらの方が良い記事が書けるという保証はどこにもありませんが・・。

しかしその一方において「366記事に到達し、一度休んでしまうと「怠け癖」のようなものが生じ、ブログ記事の作成自体を面倒に感じるようになってしまうのではないだろうか?」といった危惧もまた心の何処かに存在しています・・(苦笑)。

そして、始終緊張している方々とは、案外こうした考えにとらわれていることも少なからずあるのではないでしょうか(笑)?
とはいえ、こうした考えを心底から笑うことができないのもまた事実です・・。

さて、このようなことを記しておりますと、不図シェイクスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」そして「ヘンリー五世」内のこうした「揺れる心」を表現したセリフを思い起こさせます(笑)。

それ故、シェイクスピアの劇の面白さの一つとは、こうした「揺れる心」に(世界規模で)普遍性が存在するからではないかとも思われますが如何でしょう?

そして、こうした心とは、通常の場合、その後に好ましい展開を望む傾向があり、それが、フレーザー著の「金枝篇」に描かれている古今東西様々な呪術、風習などとして古来より縷々発露しているのではないでしょうか・・?

その意味において、果たして現代の我々とは、この「金枝篇」に描かれている様々な呪術、風習が存在していた時代を超克しているのでしょうか?
私見として、それは超克されていないと考えます。

ただ、その呪術、風習を為さしめていた、背骨となっていた宗教など諸観念が科学に取って代わられただけではないかと思います・・。

しかしながら、こうした意見もかなり以前から言い古され、陳腐化したものではあるのですが・・(苦笑)。

とはいえ、この科学とは、ある程度データに基づき、かつての宗教に比べ、より多くの人間に適応可能であるとされることから、より広範囲に拡散、定着することが出来たといえるのかもしれません。

その意味において、我が国において本格的な西洋的近代化(科学技術面を主とする西洋化)がはじまった直後、九州を中心として勃発した「神風連の乱」、「西南戦争」などは興味深い出来事であるのではないかと思います・・。

また、それと同時に複数の史家、戦史研究家が指摘する太平洋戦争末期の南方戦線での帝国陸軍の(悲惨な)動向と西南戦争時、薩軍の九州内での敗走の動向が酷似することとは、何かしら現代を生きる我々にも示唆する要素があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
あるいは、このようなことこそ「歴史からの呪詛」ではないでしょうか?
それ故、歴史を表層で祭り上げ、深層においてはその逆を態度をとるといった、いわゆる「如才ない」態度をとることは、かなり危険なことではないでしょうか?
そして、進化とは一体何でしょうか?

さる四月に発生した熊本を中心とする大地震により被災を受けた地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」



2016年7月17日日曜日

20160717 銅鐸および師匠について・・

おかげさまで昨日も1日の閲覧者数が1000人に到達しました。
これまで興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。

また、昨日記した記事は、これまでに記した記事のなかでも1日の閲覧者数が多い方でした。
昨日の記事はどちらかというと題材がマニアックであったとも思われますので、この現象には多少驚かされました(笑)。

とはいえ、こうした古代の墳墓をも含む古の建造物、製作物などは、それが当時の人々のどのような思い、思想を具現化したものであるかと考えてみると、なかなか面白く、またそれが当時の(ホンモノの)歴史を知る自然な第一歩目にもなることも(少なからず)あるのではないでしょうか?

そうしたものの中で、未だにある程度統一された見解が得られていない謎が多いものとして、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸が挙げられます・・。

かつて修士課程在籍時、紀伊国、和歌山の地域性を考えるうえで、一つの題材、切り口として銅鐸は適当であると考え、ある程度、銅鐸について書かれた著作を読み、県内でそれが出土した場所(複数)を実地に訪ねてみました。

結果として、いくつかの傾向、特徴らしきものは見えましたが、それがその後の時代、つまり3世紀以降の古墳時代にどのように結節しているかが分からず、とりあえず、大雑把には、室町時代と江戸時代の間に戦国時代があるように、弥生時代と古墳時代の間には倭国大乱(三国志の魏志倭人伝・後漢書東夷伝、倭人の条)の時代があり、その間に、あるいはその結果、銅鐸を用いて祭祀を行っていた主に西日本在の諸集団は、敵対する集団に屈服し、その祭祀およびその象徴であった祭器(銅鐸)を遺棄あるいは自然(土)に埋納したのであろう。といった認識に至りました・・。

また、以上の経緯を示す神話が出雲の大国主による(天孫族に対する)「国譲り」であると思われます。

その意味において出雲(現・島根県雲南町・加茂岩倉遺跡)から国内最多(39口)の銅鐸が出土していることは、大変興味深いことではないでしょうか?

また、この時期に銅鐸のことを記しておりますと、昨年丁度この時期に亡くなった一人の師匠を想起します・・。
この師匠とは、師匠であると同時にごくごく近い親戚でもあり、以前当ブログにて数度記したことのある松山在住の方がそれです。

鹿児島在住時に何度か松山に行き、そして当ブログにて度々登場した大分県臼杵市に立ち寄ることになりましたのも、考えてみますと、この師匠を訪ねたことが原因でした・・。

この方は、私のそうした(一見しょうもない)歴史ネタに対して、とても関心を示してくださり、また、私の主張に対して、さまざまな疑問をぶつけてくださったことにより、その一連の会話とは、私にとってかなり有益なものになりました。

また、追記しますと、一連のブログ記事での、少なからぬ対話形式のものは、この方との対話をモデルとして作成しております・・。
さらに、私が昨年6月よりブログ記事作成をはじめた(大きな)理由の一つとして、この方に勧められたからということが挙げられます・・。

一連のブログ記事とは、この師匠にあまり顔向けできるような面白い、良い記事ばかりではないと思われますが、とりあえずは(多少は苦しみ、そして楽しんで)継続しておりますので、まあ許容範囲内であるのではないかと思います・・(苦笑)。
(はたして本当にそうなのだろうか・・?)

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。


また、さる4月の熊本を中心とする大地震による被災地の復旧、そしてそれに続く復興が速やかに為されることを祈念しております。





20160716 金峰町、金峯山・支石墓、甕棺墓から・・

唐突ですが、首都圏にて再度暮らしてから一年以上が経ってしまいました・・。

私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。

現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。

しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。

それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。

しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。

また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。

さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。

鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。

私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。

しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。

そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。

さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。

しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。

しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?

さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。

また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。






2016年7月15日金曜日

20160715 はじめての原稿 芸の肥やし・・? 

本日は朝から頭が痛く、往生しました・・。
薬を服用し大分楽にはなりましたが、現在なお多少痛みが残っております。

とはいえ、これまで継続してきたブログ記事作成を中断することもまた、自身にとっては痛いことであるため記事の作成をはじめました・・(苦笑)。

さて、昨日のブログ閲覧者の傾向を見てみますと、大変面白いことに、既に私が寝入った後での閲覧が多く、結果的に通常の平日よりも大分多い閲覧者数(800~1000)となりました。

また、ここでの閲覧者の多くとは、時間帯も時間帯であるため、時差のある海外(特にアメリカ合衆国)の方々が多く、読んで頂いたことに対し感謝すると同時に「一体私の書いたブログ記事がどのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた生じてきました・・。

とはいえ、一連のブログ記事において、特にアメリカ合衆国を(感情的に)論難、非難したことはないと考え、また個人として特に同国に対し悪感情を持っているわけでもありませんので、引き続き興味を持って読んでくださることを願うばかりです。

読んでくださっている国内外の皆様、どうぞよろしくお願いします。

さて、私がはじめて何かしらの記事を書くということになったのは在和歌山時代からのことであり、以前ブログの記事にも記した「紀州鉈について」という記事、文章が自分の書いた文章で何かしらの報酬を頂いた、はじめての経験であったことが思い起こされました。

また、その時の報酬でJR和歌山駅前にある近鉄百貨店にて(私としては)多少高価なハンカチを購入し、実家の母親に誕生日プレゼントとして贈りました。

その後も在和歌山、鹿児島時代を通じ、必要に応じ、さまざまな文章を作成しましたが、現在継続しているブログ記事の作成ほど長期間にわたり、文章、記事を作成したことはありませんでした・・。

「芸は身を助く」などといわれますが、イマイチよくわからないのは、現在記しているこのブログ記事とは、何かしら「芸の肥やし」になっているのだろうか?ということです・・(苦笑)。
(それ以前に私の芸とは一体何であろうか・・(笑)。)

しかし一方、そのように何かしら能動的な(多少は有益と思われる)行為といったものを継続していないと、何も良いことは生じないとも思われます。

卑近な具体例として、これまでブログ記事を継続して作成したことにより、私としては望外に多くの閲覧者数を得ることができました。また同時に、それがこれまで記事を書き続けることが出来た主な理由であるともいえます。

この場合、どちらがニワトリ、タマゴであるか考えた場合、はじめにあったのは能動的なブログ記事の作成・投稿であると思われます・・。

それ故、「はじめにコトバありき」からはじまる新約聖書のヨハネによる福音書の一章一説とは、なかなか深い意味があるのかもしれません・・。

さて、先日電話にて知人と話し、その中で「もちろんAさん特有の文体はありますよ・・多少古めかしい感じがしますけれど・・。」といわれました。
私見として、自身の文体というものは、なかなかその特徴を言語化して表現することが難しいのですが、不思議なことに、他者のそれに対しては、比較的容易に表現、評価することが出来るように思われます・・。
こういった我々の持つ性質といったものもなかなか興味深いと思われますが如何でしょうか?

また、以前ブログ記事にて記したことではありますが「自身の文体を獲得する経緯、契機とは、比較的明瞭に認識することが出来る。」と、たしか中井久夫がその著作内にて述べておりましたが、これは本当なのでしょうか?
こうしたことが未だによくわかないままにてブログ記事を作成しておりますが、そのうち、案外近い将来、分かってくるのではないかと思います・・。
また、不思議なことに、ここまで記していると、さきほどよりも多少頭痛がおさまってきたように思われます・・。

そして、これを興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、先日の九州での大雨における被害が少なく、さる四月における大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。」

20160714 パリ祭の日に思ったこと・・理系諸学問と歴史・文化・伝統

A「本日は不図フランスの革命記念日であることを思い出しました。

私は日本人であるため、フランスの革命記念日に対し、特に大きな感動、思い入れ等はありません。

しかし、それでも近代を特徴づける、民主主義なる政体が、この革命を契機として生じ、定着し、そして全世界に広まっていったということは、やはり世界史的な視点から見て意味があることなのではないかと思います・・。

しかし、そうであるからといって、我が国の皇室が18世紀末のブルボン王朝のようになることは決して望みませんが・・。

それ以前に、我が国においては、そのようなことはないと思いますが・・。

何れにせよ、それぞれの国には各々独自の歴史的発展の型、特徴、モデル、クセのようなものがあり、また、その基層にはその国特有の文化、伝統といった、より日常的な存在があり、それらは、敢えて(世界的に見て)普遍的とされる原理、原則なるものを当て嵌め、全て対応、考察できるものではないと考えます。

さらに進んで云うと、こうしたこと(一国の長く続いた文化、伝統)を、理系学問分野の背景、基層にある普遍的とされる科学的諸概念、法則などを用い考察そして何らかの決断を為すことは、大変危険なことではないかと思われます・・。

また、その意味において社会主義、共産主義そしてその背景にある社会科学的な思想もまた、有益な要素を含むと同時に危険なそれもまた少なからずあるのであるのかもしれません・・。

とはいえ、現在の我が国の社会に関しては、全世界的に見受けられる、よくわからない方向に行ってしまった感のある資本主義、個人主義、功利主義的な思想よりも、さきのような人文社会科学思想の方が「社会を良くする」という意味においては有効な部分が多いかもしれないと思うことも度々ありますが・・(苦笑)。

とはいえ、こうしたことは、ハラを決めても断言することが困難であり、理系学問での実験結果にように(ある程度条件を限定すれば)歯切れの良い物言いが出来るというわけでもありません・・

しかし、であるからといって、手持ちの歯切れの良い理系的、科学的な発想、論理に則り、社会変革を(どこまでも)行ってゆこうとすると、さきに述べたように危険な社会状態を惹起させることが多いのではないでしょうか?

その意味において、昨今特に首都圏、都市を中心において見受けられる理系学問分野の圧倒的優位とは「果たしてこれでいいのであろうか・・?」と考えさせられます。

そして、理系諸学問の対極にあるものが、国、地域に固有なものとして存在する(ホンモノの)文化、伝統といったものではないでしょうか?

我々の国、地域固有の文化、伝統とは、西洋流にアレンジしたり、横文字で飾ったりしなければ、カッコが悪く、あるいは不味くて飲み下せないものばかりなのでしょうか・・?
そして、もし、そうであるとすれば、そこには一体どのような理由があるのでしょうか?

九州方面にて大雨が降ると聞きました。

この大雨による被害が少なく、そして四月に被災した熊本を主とする地域での復旧、復興作業に支障がないことを祈念します。

また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」





2016年7月14日木曜日

20160713 「読む」から「書く」に至るまで・・

先日来より数年振りで再び岩波書店より刊行されているバートランド・ラッセル著の「幸福論」を読んでおりますが、この著作は様々な面において混迷の中にある現在の我が国に生きる我々であるからこそ、興味深く読むことができるのではないかと思います・・。

以前読んだ際(2007)もなかなか感銘を受けつつ読んだ痕跡があり、頁が折ってあったり、時折、何やらよくわからないコメントが記されております・・(苦笑)。

また、現在読む際において、当時折った頁での興味の所在に関しては大体理解、納得することが出来ます・・。
これは当時より進歩していないということになるのでしょうか(苦笑)?

また、以前も当ブログにて記しましたが、同じくラッセル著の「西洋哲学史」全三巻(みすず書房刊)は今後どうにか精読してみたいと考えております・・。

また、この著作のように以前から精読することを望んでいた著作として宮崎市定著の一連のアジア史関連の著作、そして既に読み現在尚、折を見て部分的に読んでいる加藤周一著の「日本文学史序説」などが挙げられます・・。

後者の「日本文学史序説」は鹿児島在住時(2009)に購入し、長らく積読、斜め読み状態であったものを学位取得、帰郷後に一念発起して本格的に読み始め、ある程度の期間をかけ読了に至りました。

また、この他にも日本文学史に関しての著作は多く刊行されているようですので、今後それらも折を見て読んでみたいと考えております・・。
とはいえ、何故2009年当時の私はこの著作に興味を抱いたのでしょうか?

おそらく、立ち読みにて他の同著者の著作を知り、そこから同著作に興味を持つようになったのではないかと思われます・・。

また、この著作をはじめて知った時は「ずいぶんと長い著作であり、最後まで読むことが出来るだろうか?」と感じたことを覚えておりますが、その後、さきに述べたようにどうにか読了に至り、その後、同著の英訳本に手を出すに至りました・・(これは未だ読了に至っておりませんが・・(苦笑))。

以上のような経緯から、今後「西洋哲学史」全三巻を精読することが出来るか不明ではありますが、とりあえず、そうしたことを能動的に為さしめる知的好奇心は保持し続けたいと考えております・・。

また、それと同時にこれまでブログ記事を継続して作成してきたことは、一面において、そうした能動性を保持するための自分なりの苦肉の策であるともいえます・・。

これを読まれている皆様は既にご存知であると思いますが、何かしら読み、考え続けるということは、何かを書き続けるということに強い関連性があるのではないでしょうか・・?

これは一般的に何れがタマゴ、ニワトリであるか判然としませんが、ただ、私に関していえば、おそらく読むことが書くことの先にあったのではないかと思われます・・。
そして、そこから書くに至るまでがなかなか困難な道程であったように思われます。

しかし一方、それ(読むから書くに至るまで)が困難であったからこそ、どうにか昨年6月から現在に至るまでブログ記事を書き続けることが出来たのではないかとも思います。

それ故、こうしたことはなかなか、それぞれの時期に対する評価(有益あるいは無益か)が難しいのかもしれません・・(苦笑)。

また、ここまで記して不図想起したのは、岩波新書刊の加藤周一著「羊の歌」はなかなか面白く、24・5歳あたりに読んでみると、その著作の述べるところと読者の感性がうまい具合に合致、精読に至ることが出来るのではないかと思いました。

九州にて再度大雨が降るとの天気予報を聞きました。
これによる災害が出来るだけ軽微であり、また同時にさる四月に被災された熊本を中心とする地域での被害が少なく、これまでの復旧、復興作業に支障がないことを祈念しております。

そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」

2016年7月13日水曜日

2016712 主に昨日の続き 服装、恰好と想像性、創造性について・・

本日は若干帰宅が遅くなり、もうすぐ日をまたごうとする今(23:40過ぎ)から本日分のブログ記事の作成を開始します・・。

今回の記事投稿をもって、これまで投稿した記事数が355となりますが、そうします残り10記事程度の投稿により、1年分の区切りとして適当な365記事に至るわけではありますが、よくよく考えてみますと、今年2016年とは「うるう年」であり、厳密に1年分として考えた場合、366記事作成しなければならないのかもしれません・・(笑)。

今後、そのようなことをも若干加味し1年分の記事を作成し続けてゆこうと考えております・・。

これら投稿した記事の中には、少なからず退屈であると思われる記事もあるかと思われますが、一方において、如何に面白い著作であっても、その中に退屈な部分も少なからずありますので、私のブログもその伝に倣い、退屈さをあまり気にせず、キリの良いところまで書き続けてゆこうと考えております・・(笑)。
そして、もしよろしければ、そういった記事をも含め楽しんで読んで頂けましたら幸いです・・。


そういえば、昨日のブログ記事においては、夏季における靴および靴下について書きはじめた次第ではありますが、かつて在住した鹿児島、和歌山、南紀などにおいては、こうした状況とは、より切実であり、私の場合、特に地熱により地面の温度が高いと思われる鹿児島の夏季においては靴、靴下をはくことは少なく、多くの場合、つま先が隠れる形状のサンダルをはいていた記憶があります・・。

そして、このようにして(主に西南日本にて)培われた感覚とは現在、首都圏在住時においても生きており、時折「なぜこんなに暑いのに足だけは靴下と靴にて包まれなければならないのだろうか?」といった漠然とした違和感らしきものに襲われることがあります・・(笑)。

また、この足をも含めた服飾、服装一般に関しては、おそらく女性よりも男性の方が柔軟性、融通性が少なく、特に男性が社会にて何らかの経済活動、職務等を行う場合、社会的に一般常識とされるモデルに順わなければならないといった暗黙の掟、空気らしきものが存在するのではないかと思われます・・。

そして、こうした暗黙の掟、空気(同調圧力?)といったものが相対的に小さく、希薄であると思われる場所が、理系、文系を問わず学問、研究を行う大学、大学院であったように思われます。

また、もしかすると、学問、研究を行う際に必須である創造性とは、裸足に近い状態にて為された方がその力を発揮するのかもしれません・・(笑)。 
(我が国におけるノーベル賞受賞者とは、比較的温暖湿潤な西日本の出身者が圧倒的に多い・・。)

そういえば、私が西南日本在住時において出会った方々の多くは、この点において比較的自由、進歩的な考えを持っていることを示唆する服装を夏季においてなさっていたように思います・・(笑)。

しかし、そうした服装、恰好とは、都市部(主に首都圏)での(ある程度真剣な)経済活動に従事する場合においては不適切なものと扱われるのが通例であると思われます・・(笑)。

あるいは、こうした価値観とは、時代によっても変化するのかもしれません。

そして、そうした服装、恰好に対する評価、価値観が時代によって異なるのであれば、その背景において変化する我々の通念、価値観の基層を成すものとは如何なるものであり、そしてまた、如何なる種類の刺激により、変化の過程を経てゆくのでしょうか・・?

こうしたこともまた、なかなか興味深いことであると思われますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。


また現在、九州地方を中心にまた、大雨となっていると聞き及びます。

どうぞ、御無事で、そしてさる四月の熊本を中心とする大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後に続く復興を祈念しております。






2016年7月11日月曜日

20160711 夏期の靴下と革靴・・(日本にて)

A「本日も首都圏は気温が上昇し、若干蒸し暑く感じました。

そして、この時期になりますと、靴下をはき、靴をはいていることに「どうもおかしいのではないか?」と思うことがあります。

身体の他の部分はさておき、この季節の足に靴下と靴とは、本質的に我が国の風土に適していないのではないでしょうか・・(笑)?

しかし、この一方において、常識といったものもまた世間には厳然と存在するようです・・・(笑)。

そして電車の中にいる殆どのサラリーマン達(無論、自身も含め)は、この常識を概ね所与、当然のものとしているのではないでしょうか?

このようなことは、一見些細なことのようですが、この現代における常識?の淵源とは、これもまた明治維新、文明開化による大幅な文化の変化、変動にあるのではないかと思われます・・。

そして同時に、こうしたこと(文明開化による変化、変動)は、少なくとも我が国においては、都市部を中心として周辺地域に波及してゆくような性質が強かったのではないでしょうか・・?

司馬遼太郎がこの現象をどこかで「(西洋)文明の配電盤としての東京」と記しておりましたが、こうした現象が生じるメカニズムとは、明治以降現代に至るまで、あまり変化することなく、また、我々日本人は様々なレベルにおいて、そうした状況を場面、場面に応じ器用に工夫、改変し、やりすごしてきたように思います・・。

また、そうしたことの積重ね、時代の経過に伴い、外から訪れる条件、状況に対し的確に対応、処理することを各々個人が(第二の)天性とすることを望まれるような社会が形成されていったのではないでしょうか?

しかし同時に、こうした意見とは、既に陳腐化するほど様々な場面で主張されてきたことではあるのですが・・(苦笑)。
(夏目漱石著「現代日本の開化」)

ともあれ、以上のことから、我が国社会における様々な文化の大きな変化、変動の原因とは、結局のところ、外部からの強い刺激によって「のみ」惹起され得るものなのでしょうか?

多分、我が国とは、それが微細なものであれ、何かしら実在する対象が存在する場合、その扱い、操作を通じ徐々に習熟し、国際的に遜色ない研究等が為される一方、その対象が自身の文化に属さない(精神を持つ)個人、集団そして文化である場合、その扱いを含め認識が(極めて)拙劣なものとなってしまう傾向があるようにも思えます・・。

その上で現在為されつつある理系立国的な諸施策とは、その根源において、我が国の長所を伸ばすことを企図したものであり、大変素晴らしいとは思いますが、その一方において、様々なレベルでの他者の歴史、文化などを能動的に学ぼうとする精神的姿勢の獲得もまた重要であるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

そして、そうしたことは我々の場合、なかなか難しいことなのでしょうか・・(苦笑)?

とはいえ、上に述べたことも、これまで自身について考えたことを拡大、相変化させた部分も多く、その意味では、能動性を保持するための精神的均衡、バランスらしきものもまた、大変重要であり、同時にそれが、如何なるものであれ、文章を書く際において極めて重要なものであるのかもしれません・・。

異言すると、知識、主題、着想など「だけ」でも多分、(内容、中身のある)文章とは、なかなか書き難いものではないかということになるのでしょうか・・?
とはいえ、こうしたことはなかなか「普遍的に現実に適合している」という見解が出難く、そういった意味において面倒ではあるのですが、さきに述べた内容につながり、なかなか重要な事柄ではないかと思われます・・。
さて、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

そしてここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の九州、熊本での大震災により被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



2016年7月10日日曜日

20160710 閲覧者の傾向および「文体」について思ったこと・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。どうもありがとうございます

また、最近は1日の閲覧者数が1000人に到達することが時折ありますので、閲覧者増加の傾向はいくらか強くなってきているのかもしれません・・。

それに加え、最近面白いと思ったことは、以前、ブログを閲覧されている方々のマック・ユーザー率が高いことを記しましたが、ここ最近は、それに加え特にLinuxユーザーの割合が急激に増加してきたということです。

一体、この現象とは、どのような理由、原因により惹起されたのでしょうか・・?
実際のところよくわかりません・・(苦笑)。

ともあれ、これらの方々に引き続き読んでいただけるような記事を今後も作成し続けようと考えております・・。

・・しかしながら、マック・ユーザーも含め、私はこれらOSをPCに備えている方々の特徴、傾向といったものを想像することが出来ませんので、結局のところ、これまでに作成してきた感じのブログ記事を作成することになるのではないかと思います・・(苦笑)。
また、一面において、こういったものは気負い過ぎても良くないともいいますので・・。
気が向いたら是非読んでくださいといったところでしょうか・・。

さて、ブログ記事作成も気付いてみましたら350を超え、あと残り10数記事で、とりあえず区切りが良いと思われる365記事に到達しますが、そのあとは単純に目標400記事ということになるのでしょうか・・。

出来るならば、その前にしばらく休んでみたいと考えており、また、しばらく記事作成を休息した後には、(さらに)より良い記事が書けるようになっているのかということを実地にて検証してみたいと考えております・・(笑)。

これはこれでなかなか面白い実験ではないでしょうか?
また、以前ブログ記事にて記しましたが、煮物などの具に出汁の味が浸透、染込むのは、火を止めた後であるとも云われますので・・(笑)。

ともあれ、おそらく、これまでにある程度継続的にブログ記事を作成してきたことにより、以前(大体1年前)に比べれば(多少はマシな)文章、散文らしきものを(意のままに)書くことが出来るようになったのではないかと思います・・。

また、それと同時に自身の文体らしきものもわずかではあれ獲得されたのではないかとも思います・・。

これを読んで頂いている皆様の参考になるか分かりませんが、少なくとも私の場合、この「自身の文体の獲得」とは、思うほど簡単ではなく、また同時にそれは、外部からもたらされる様な口語、文語といった刺激によっても少なからず左右されるものであり、そして、そういったものが積層し、さらにその内部での混淆、反応などにより徐々に形成されてゆくのではないでしょうか?

そして、その積層などの状態(各積層部の厚み、使用材料、焼成条件等)を外面から光で透かし観察し概ね理解、認識できるというのは歯科陶材材料の場合です。

ではその一方、文体においては、どのような行為が理解、認識のためのそれ(光で透かして観察)に該当するのであろうかとはイマイチよくわかりません・・(笑)。
しかし同時に、そうしたことが全くできないとも思いませんが・・。

ただ、それが万人に対し共通して有効な手法であるのかということも、また別問題でしょう・・・。

あるいはこういったことはもっと抽象的な語り口の方が良いのでしょうか・・。

しかし、何れにせよ、これまた感覚的なことではありますが、個人毎の文体というものはたしかに存在し、それは、何となく理解でき、存在するものであるとは思います・・。
これを読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

ともあれ、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の九州、熊本での大震災により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





20160709 お師匠について・・

本日も昼過ぎ神保町に出向き、いくつかの書店を徘徊しておりました・・(笑)。そしてまた面白そうな書籍をいくつか見つけましたが、これも今後の課題とさせていただきたく思います・・(笑)。また、現在読書中の著作もありますので・・。

さて、それとは別件になりますが、本日の東京中心市街地では、明日の参議院議員選挙投票の最後のシメであったのか、様々な立候補者の選挙カーを見ることができました・・。

明日の選挙投票により、我が国の社会が(自身が考える)良い方向へ変化するのかどうかわかりませんが、とりあえず地元にて投票に行こうと考えております・・。

とはいえ、実際のところ、私はある出来事により、こうした(様々なレベルの)政治などに結び付く選挙などを、あまり信用しておりません・・。

そして、こうしたことを書いておりますと、否応なく、かつて師事したお師匠(歯科理工学)のことを思い起こします・・。

自慢するほどのことではありませんし、また、それ以前に、そうしたことを比較することは困難であるのでしょうが、私は他のことはさておき、少なくとも師匠運だけに関しては、かなり良いのではないかと思っております・・(笑)。

また、不図、現在思ったことであり、これは偶然でしょうが、さきほどの想起したお師匠の誕生日とは、丁度今この頃です(笑)。

この記事を読まれているかどうか不明ではありますが「お誕生日おめでとうございます!」。

このお師匠は様々な学問分野から世間での話題、噂話に至るまで大変博学であり、私がどうにか英語論文等の文献を読解することが出来るようになったのも、国内外での学会発表(実験、準備をも含む)が出来るようになったのも、様々な分析機器を操作することが出来るようになったのも、そして学位を頂くことが出来たのも、このお師匠のお蔭であるといえます・・。

そして、それらの多くは、間違いなく、それ以前の私では出来ない、出来るとは思っていなかったことです。
それ故、私は、このお師匠から多大な恩を受けているといえます・・。

その意味において、現在の私とは「果たして、その恩に十分報いているであろうか?」と考えてみますと、残念ながら報いていないといえます・・。

そのことから、一つにこの一連のブログ記事を書いている次第とも云えます・・。

また、同様に、このブログに関しては、その他の(大変)お世話になったお師匠の皆様からの恩に報いるため、続けている次第であるともいえます。

とはいえ、これまで一連のブログ記事が果たして多少なりとも、その恩に報いているのかどうかは、私自身では判断することが出来ませんが・・(苦笑)。

しかし、その一方において、ついさきほど閲覧されたブログ記事の記録、動向を見ますと、この師匠に関する記事の閲覧が多く、こうした面白い現象が見出されることが、ブログ記事を作成していて大変面白いと感じるところの一つです・・。

上記のような現象を見出すことが出来ず、ブログ記事を作成し続けることは大変困難いや、不可能であった(ある)のではないかと思います・・。

その意味において、この記事を含め、これまでの一連の投稿された記事を興味を持って読んで頂いている皆様、あなた方がどなたであるか分かりませんが、どうもありがとうございます。

今後、とりあえず365記事までは書いてみたいと考えており、また、その後も出来るだけ現在と同様のペースにてブログ記事を作成してゆきたいと考えておりますので、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

最後に何故であるか分かりませんが、私はこのお師匠を思い起こしますと、ロバート・グレーヴス著の「この私クラウディウス」の以前に抜粋したカエサルについての記述が連想されるのです・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月、熊本にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の普及そしてそれに続く復興を祈念しております。

また、先日来の和歌山、紀南地域における大雨での被害、被災が少ないことを祈念しております。」



2016年7月9日土曜日

20160708 発信と着想のセンスについて・・☆☆☆

ようやくといいますか、遂にといいますか、とりあえずこれまでに投稿した記事が350に到達することが出来ました・・。そして、とりあえず次の目標は1年分、365記事までブログ記事を書いてみようと思います。

これまで一連のブログ記事を読んで頂いている皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さて、本日の首都圏は日中気温が上昇し、若干蒸し暑く感じました。

また、それとは別であると思われますが、昨今の東京とは参議院議員選挙のためか、何となく一種騒然とした雰囲気があるように思われます。

そうした意味において、やはり東京とは、現在なお、我が国における様々な流行、潮流が(最も)顕著に表れる場所、つまり時代の先端といっても良いのかもしれません・・。

また、もう一つ面白いことは、そうした流行の現象、具体的状況が動画サイトなどでほぼ同時に見ることが可能であるということです。

そして、こうした現象を動画サイトなどにより国内外各地にてほぼ実況として見ることが出来るようになりますと、さきに述べた「東京が流行、潮流が(最も)顕著に表れる(あるいは各地に先がけて生じる)場所、つまり流行の先端」ということにも多少変化が生じてくるのかもしれません・・。

このことを少し進めて書きますと、情報技術の進化発展により国内地域間に存在する様々な発信力の相違がならされ、平坦化してゆくということになるのではないかと思われます・・。

そして、こうした技術の進化発展により「既存の地域間の力関係」の平坦化が為され、一種リセットされたような状況になりますと、その次の段階において、一体どのような要素(あるいは複数のそれ)により、新たな力関係が決まり、そして、どのような経緯を経て安定に向かってゆくのでしょうか?

それは可視化出来そうなものに例えますと、高温の炉内にて焼成されつつある陶材内部でミクロレベルにて生じていること、あるいは日本列島を俯瞰した状態で1467~1615の大名、領主の支配領域の変化、変遷を高速度にて見ているようなものであるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、このような流れ、動き(動態というのだろうか?)とは、古今様々な社会の歴史においてよく見られることであると思います。

しかし、そうした流れ、動きのモデル内のどの部分が、我が国の現状にピッタリと適合するものであるかは分かりません・・。
(これは本当に難しいことではないかと思います・・。)
しかし、同時に現在とは、少なくとも10年程前(2006あたり)に比べますと社会全体として、より多くの熱を帯び、不安定な状況であるということは云えるのではないかと思います・・。

おそらく、それは決して嬉しいハナシではないと思いますが・・(苦笑)。

しかしながら、考えようによれば、こうした熱を帯び、不安定な時代にブログ記事を通じて何かしら発信することが出来ているということは、決して悪いことばかりでもないのかもしれません。少なくとも自身にとっては・・。

そして、ここまで書いていて不図思うことは「こうした状況のなか、ブログ記事の作成は継続したまま、それを書く場所、地域が変化したら、一体どのような変化が生じるのであろうか?」ということですが、これに関しては、今後すぐに変わることはないと思います・・。

また、それと若干関連するかもしれませんが、昨年この時期に記したブログ記事「八幡宮、喜捨、放生会について」を読んでみますと、その文体は現在に比べ硬く、また着想は現在のそれよりも多少深く、鋭いのかもしれません・・(苦笑)。

こうした着想とは、現在になり思い返してみますと、異なる地域に住むことにより、少しずつ生じ、蓄積してきたのではないかと思われます・・。

また、その意味において、現在の私(の精神)とは、良く云えば当時とは異なる言語の層におり、悪く云えば若干、着想の源泉が枯渇しているのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、同時に最近作成した記事の中にも「悪くない出来かもしれない・・。」と思われるものもいくつかありますので、まあ、さきに記した程には深刻なものではないのかもしれません・・(笑)。

しかし本当に「継続は力なり」なのでしょうか・・(笑)?
これは今現在イマイチよく分かりません・・。

とはいえ、ここまで興味を持って読んで頂いていた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の大地震により被災された熊本地域の今後の速やかな復旧そして、それに続く復興を祈念しております。











2016年7月7日木曜日

20160707 350記事 夏の(様な)日差しから・・・

A「昨日はあまり睡眠をとっておらず、現在も若干モウロウとしておりますが、とりあえず本日もまた何かしら書いてみようと思います・・。

本日昼間の首都圏は気温が上がり、既にして夏季の陽気ではなかったかと思われます・・。

とはいえ、こうした蒸し暑い街におりますと、不図「いや、この暑さは九州ほどではないな・・」と思いました。

以前のブログ記事においても記しましたが、夏場の九州、特に鹿児島の暑さ、その日差しの強さとは、彼の地に赴き、はじめて体験するものでした・・。

それ以前に在住していた南紀における日差しも強かったと思いますが、おそらく鹿児島市でのそれは、なお一層強かったのではないかと思います。

おそらく鹿児島市は環境的に都市、ある程度の大きさの市街地であるため、日差しによる暑さが内部に蓄積され易いのかもしれません・・(都市、街全体の熱伝導能が低い)。

しかし、そうであっても鹿児島市在住時の私とは、季節を問わず週末になると市街地に市電で出かけ、金生町、いづろ通、天文館通あたりで下車し、徒歩にて高見馬場、中央駅、工学部前、郡元、南鹿児島等を経て宇宿、脇田まで帰着するのが習慣となっておりました・・。

そして、この夏期における週末の散歩?とは、歩き始めてからわずか数分で汗が噴き出し、シャツ、その上に着たジャケットにまでそれが浸透しました・・。

それ故、おそらく当時の私とは、このような調子で盛んに発汗しており、さらにその後、夕刻過ぎには市内にある温泉に浸かっておりましたので、現在に比べ、あるいは年齢、年代の割には代謝が良かったのではないかと思います・・(笑)。

こうした習慣、生活サイクルから突然移動、変化し、首都圏の雑踏に呑み込まれるような生活を送るようになりますと、やはり何かしら心身に変化が生じていたのではないかと思います・・。

もちろん個人差、年代差、性差などにより、こうした変化の度合いとは大きく異なってくるのではないかとも思いますが・・。

ともあれ、現在は、かつてほどそうした変化、具体的には心身の不調といったものは感じられません。

また、かつて、この地、首都圏にて育ち、それ以外の国内地域を知らなかった頃の私と比べますと、どうしても、現在の首都圏での生活において
「これが普通なのだろうか?」
「これのどこが良いのだろうか?」
これが洗練されているということなのだろうか?」などと思うことが多々あります・・。

こうした疑問あるいは日常に生じる小さな悩みのようなものは、それを知らないでいた方が比較の対象を認識していないという意味において幸せであるのかもしれません。

しかし同時にそうした(一種純粋な)精神とは、持続可能性、発展持続性らしきものが経年に伴い、徐々に減衰してくるのではないかと思われますが、これを読まれた皆様は如何お考えになるでしょうか?

あるいは、そうした疑問、日常に生じる小さな悩みとは単に無駄なものなのでしょうか・・・?

さる四月に熊本にて生じた大地震による被害の復旧が速やかに為され、そしてその後の復興もまた同様に為されることを祈念しております。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」

2016年7月6日水曜日

20160706 対話形式のブログ記事の「はしり」について・・

A「昨日作成したブログ記事とは、いかなる原因によるものであるかわかりませんが、当初より閲覧者数がある程度伸びました。

また、この記事とは、さらに一昨日の記事に関して述べたものであり、そのことから「何かしらハナシが繋がっている方が閲覧者数は伸びるのかもしれない。」と短絡的に思いましたが、こうしたものは、そこまで単純ではないと思います・・(苦笑)。

とはいえ、一つの試みとして、昨日の記事のことから本日の記事作成をはじめてみました・・(笑)。

昨日の記事において、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」のことを少し取り上げました。
この著作とは、題名からして若干重そうな感じを受けますが、文量としては決して多いものではなく、読んだ当時(30歳)の私としては、若干の読み難さを感じましたが、他の哲学、思想系の著作に比べれば、そこまで読み難さを感じさせることはないと思います・・。

しかしながら、一般的に哲学、思想系の著作とは、感性が瑞々しい若いうち(20代)により多く接した方が良いなどといわれますので、それら哲学、思想系の著作から、より多くの何かを感じ取るためには、その方が相対的に良いのかもしれません・・。
もちろん断言はできませんが・・。

また、そういった意味においても、さきの「論理哲学論考」とは、他の哲学、思想系の著作とは若干毛色が異なり、実験などに終始する理系大学院生の方々が、その実験作業の合間などに読まれたりすると、(もしかすると)思いもよらぬ面白い、劇的な効果が生じることもあるのかもしれません・・(笑)。
もちろん断言はできませんが・・。

そういえば、こうしたことを書いていますと、不図、以前SNS上にて、この著作(「論理哲学論考」)についての対話形式文章を記したことを想起しました・・。

また、そのことを想起しますと、当時SNS上にて記した対話形式の「論理哲学論考」に関する文章とは、もしかすると、私がある程度の期間、当ブログ上にて記してきた対話形式の文章の「はしり」のようなものであったのかもしれません・・・(笑)。

また、そこ(SNS上)で記された対話も、これまでのブログ上にて記したものと同様、概ね実際に為された対話に基づいておりますので、特に削除の必要はなく、そのままにしておりますが、同時に現在読んでみますと、ブログ全体としては少なからず恥ずかしい部分もありますので、見ないように(は)しております・・(笑)。

しかし、そのように考えてみますと、これまでに作成した一連のブログ記事も同様、後日恥ずかしく感じる時期がやってくるのでしょうか・・?

また、さらにこうした記事、文章そして文体とは、それを作成する環境、記述者の置かれた立場などから多少なりとも影響を受けるものなのでしょうか・・?

そのように考えた場合、今後、現在と異なる地域に在住することになり、このブログを継続するとしたら、私は一体どのような内容の記事をどのような文体にて記すことになるのでしょうか・・?

こうしたものは正直、現在においては不可知であると思います。

そして、それは面白いことであるのか、あるいは不安を惹起させる要素であるのかもよくわかりません・・。

ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」


2016年7月5日火曜日

20160705 着想と記述形式について

昨日記したブログ記事を現在読んでみますと、その着想とは、なかなか面白いものの、その記述形式においては疲労のためか、稚拙な部分が多く見受けられたように思います。

とはいえ、それを記した私としては、その着想は理解できることから、ここで不図「こうした文章といったものは、その着想と記述形式何れが重要であるのか?」と考えるに至りました。

「文章を記す際に日常的に生じる、こうした疑問とは、案外奥が深いのかもしれません・・。」

また、こうした疑問とは、記された文章に対する認識の仕方により生じることが多いのではないでしょうか?

記された文章に対する認識の際、その着想あるいは論理形式、論拠の実証性に「より」重点を置いた代表的なものとして論文などが挙げられます。

それに対し、論理形式、論拠の実証性などよりも、押韻あるいは音声として読んだ際の読み易さ、音の美しさなどに「より」重点を置いたものとして詩あるいは音読を前提とした「ものがたり」などが挙げられるのではないかと思います。

こうした要素(実証性、論理性と押韻、音の美しさ)とは、時代、時代において、それぞれ特徴、あるいは特有の関係性があるようであり、また、同時に文章を記す際の主体のスタンスなどによっても変化するようです。

また、以前の研究分野にいた際、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に興味を持ち、能動的に読んでいたのは、おそらく当時必要に迫られ、日常的に読んでいた文献、研究分野の論文による影響が大きかったのではないかと思います・・。

こうした文献をある程度読んでおりますと、記されたコトバ、言語を交通標識の如く、何かの意味を象徴する記号のようなものとして認識、思考してゆく傾向があるのではないかと思います・・。

その意味において、特に、ある程度自身の専攻分野における論文等を読んでいると認識される方々は、さきに挙げたヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読まれてみると面白いのではないかと思います・・。

私の場合、この著作の読後、何だかよく分からない重苦しい感覚におそわれたことを思い出します・・(苦笑)。

おそらくそれは著者に対し「確かに仰る通りなのですが、コトバ、言語とは決して「それだけではない」と思うのでですが・・?」といった反対意見を述べたくなるような、あるいは、何といいますか「論理の牢獄に投げ込まれたような重苦しさ」ではないかと思います・・・(苦笑)

しかし、その一方、不明瞭であり、主要な論点、論拠が見えない詩的なものの良さとは、未だに理解できませんので、その結果、お茶を濁すように「論理的、詩的双方の文章においても、それらがつながる結節点といったものがあるのではないだろうか・・?そして、私は私なりの泥縄的な方法によって、その結節点を見出してゆきたいです・・。」
といったことを述べるに至るのではないかと思います・・(苦笑)。

そして、ここまで記していて、不図、以前抜粋したロバート・グレーヴス著「この私、クラウディウス」の部分を想起しましたが、もしかするとこうした疑問とは、ある程度普遍的なものであるのかもしれません・・(笑)。

ここまで興味を持って、読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月の熊本での大地震によって被災された地域の生活諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。