2016年6月14日火曜日

20160614 集合的無意識、時代精神 萃点、やりあて・・。

これまでの私のブログを閲覧して頂いている方々の多く(半分以上≠60%以上)とは、面白いことにマッキントッシュユーザーの方々です。

PC使用者全体におけるマッキントッシュユーザーの割合とは決して高くないのですが、それに比べて上記のブログ閲覧者数の割合とは、なかなか特徴的であると思いました・・。

また、これは現時点においては単なる現象であり、その背後に如何なる原因、理由が存在するかは未だ見当がつきませんが、それでもなかなか面白い現象であると思っております。

今後ブログ記事の作成を続けることにより、その原因、理由が分かってくるのかどうか分かりませんが、とりあえずは記事作成を継続してゆこうと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

また、それと同時に作成した記事がどのように読まれており、またどのような評価が為されているかということもなかなか興味深いことではありますが、これもさきと同様、未だ見当がつきませんが、少なくとも悪意的であると感じることはありませんので、まあ、とりあえずはこれで良いのではないかと思います・・。

さて、本日においては何故か20151129に書かれた記事の閲覧者が多く、この記事の内容とは、昨年フランス、パリでのイスラム過激派によるテロ事件が欧米メディアにより「KAMIKAZE」と評されたことに基づいた対話形式のものでした。

また、この記事においては米国による広島、長崎への原爆投下が為されたことに対して米国側からの謝罪が為されていない、また今後も為されることがないであろうと記しておりましたので、このブログ記事を記した時点(20151129)から、その情勢とはいくらか変化したのではないかと思います・・。

そのように考えますと、私の書いたブログ記事も多少は世界情勢に言及しており、またそのことを現在このように記すことにより、世界情勢の推移を示しているのではないかと不図思いました。

こうしたことを書きますと何だか夜郎自大、自意識過剰の感がありますが、同時にそういったことが継続的にブログ記事を作成していて「何だか面白いな」と感じるところでもあります・・(笑)。

また、そのようなことを考えてみますと、どうも心理学者のユングが説いた集合的無意識あるいはヘーゲル等が説いた時代精神なるものが存在するのではないかとも考えさせられます・・。

とはいえ、そういったものが存在するとしても、それを私がキチンと精確に認識出来ているかとは、全く別であり、まあ、先ず出来ていないのではないかと思います・・(苦笑)。

しかしながら、ブログなどを含め、ある程度継続的に文章を作成してゆくと、時折、偶然でそうしたことを認識させる現象、考えさせる契機が生じることもまたあるのかもしれません・・。

そして、それは子供の頃の鉄棒の逆上がりのように一度出来ると継続的に出来るようになるものであるのか、あるいはそうでないのか分かりませんが、とりあえず、そうした思考様式を持つ、経験したということにはなり、それはそれで少なくとも無益ではないものと考えます。

また、もしかすると、かつて南方熊楠が述べた「萃点(すいてん)」、「やりあて」などにも通じる考えであるのかもしれません・・。

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

また2カ月前の九州、熊本での大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその先の復興を祈念いたします。

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