2015年10月31日土曜日

20151031 音楽、映画などについて【要修正】

A「どうも、その後お元気ですか?あとタテのものを横にする作業は進んでいますか?」

B「タテのものを横にするですか・・なるほど、面白いですね(笑)。ええ、一応メインの応募先はあくまでもアカデミアです。最近は私の様な変則的な履歴の人間も必要ではないかと思われるのです。また、その筋一本の正統な研究者の方々に対しても特にルサンチマンやコンプレックスは持っていないつもりです。もちろん、私は自分に満足している訳ではないのですが、同時に変った経験を割合多くさせて頂いたとも思いますので、むしろありがたいくらいです。ただ、そこで問題なのはその経験のより多くの部分を活かすことのできる職を自分で見出せていないということなのです・・(苦笑)。」

A「ええ、たしかにBさんの様な履歴は珍しいと思います。
それが良い方に活かされる職に就けるといいのですが・・。そういえばBさんは博士課程時の専攻の職に就く気はないのですか?それがあれば一番良いと思うのですが・・。」

B「ええ、たしかに以前はそう思っていました。また、昨年の春にそういった話もありましたが、残念ながら採用には至りませんでした。さらに私の場合は元々文系ですから、しばらく研究分野、分析機器、材料から離れた環境にいますと、いわゆる応力緩和(笑)が生じて、現在となっては以前からそうでしたが、かなり能力も怪しくなっているのではないかと思います。云ってみれば、南極物語でタロ、ジロを迎えに行ってみたらジロは野生化していましたという様な感じではないでしょうか(笑)?あるいは「唯これ天にして、汝の性の拙きを泣け」といった感じなのでしょうか・・?あるいは人によっては「親の因果が子に報い」のつもりなのかもしれません・・?ともあれ、この件に関しては一時期多少怒りを覚えましたが、その後就職出来ましたし、イヤなこともありますが同時に手応えもまた感じますので「まあ仕方なかったのかな・・」とも思えるようになりました。ただ、このことで今後理不尽と思われることをされましたら、その時はまた考えなければならないのかもしれません・・。」

A「ああ、そのあたりの事情の詳細は以前お聞きしました・・。それでもBさんは文系の院には当初から行きたかったのですよね?」

B「ええ、そうです。今考えてみますと、あの頃は遅蒔きの青春でした・・(笑)。私は学部時代には好きな数科目以外は部活動のために通っていたようなものでした・・。しかもその部活動についても私はあまり運動神経、センスが良い方ではなかったので、どちらかといえばダミーチームで赤いメッシュを着てプレーをしていることの方が多かったです(笑)。
しかしそのお陰で体力がつき暑さに強くなったのではないかとも思います・・(笑)。そして部活を引退した後、読書の趣味が再燃し、またある程度難解な書籍も読めるようになっていることに気付いて、さらに拍車が掛かった次第です。加えてこれは周囲の人達からの影響も大きかったですね・・。
それでまあ「院に行ってもう少し究めてみよう。」と思うようになりました。また、私は小さい頃から映画「インディ・ジョーンズ」やマンガ「マスター・キートン」などが好きでしたので、そういったのが基層としてあったのではないかなと思います。ちなみにフィールド・ワークや学会発表に出る時、私は「インディ・ジョーンズ」のテーマをかけて気分を盛り上げていました(笑)。

A「遅蒔きの青春ですか・・なるほど、たしかにそうかもしれませんね・・(笑)。それにしてもBさんのそういった趣味、傾向はわかります(笑)。それは現在でも変っていませんか?」

B「いえ、それはもう大分落ち着いてしまったのではないかと思います。それに現在は首都圏在住ですから音楽を聴く環境となる自動車を運転する機会は殆どありません。しかし確かに和歌山在住時は自動車運転の際によく音楽を聴いていましたね・・。ああ、それで思い出すのは、院のある行事で何人かが私の車に乗ることになり後部座席に座った方が車中でかけたクラシックの曲名を大体言い当て、演奏時の技術的な特徴を的確に指摘されたことです。そしてその中で「曲名がわからないけれどもとても良い曲である。」と指摘された曲があります。これは当時の私も曲名が分からずに映画「ジェファーソン・イン・パリ」のBGMで用いられていて良いと思ったのでサントラを借り、パソコンに「ジェファーソン・イン・パリ」の名前で保存していたものです。そして、この曲はバロック期の作曲家アルカンジェロ・コレリという人の「ラ・フォリア」という曲でした。また、後で知ったのですが竹山道雄がこの曲のことをどこかで書いていました。」

A「はあ、そんなことがあったのですが・・。そういえば、そのジェファーソンとはトーマス・ジェファーソンのことですか?」

B「ええ、そうです。この映画は、確かフランス革命直前のトーマス・ジェファーソンがアメリカの駐仏公使をしていた頃を舞台にした映画です。」

A「はあ、そんな映画があったのですか・・それは面白そうですね知りませんでした・・。それにしてもBさんは主人公が異郷にいる映画がなんだか好きですよね(笑)。」

B「あ、確かにそうですね(笑)。先程の「南極物語」もそうかもしれませんし・・(笑)。それで今、不図思い出したのですが、続日本紀に記されている称徳天皇の頃の話で元々紀伊国の名草郡片岡の里の出自であった大伴部某が東北での戦に敗れ数代にわたり蝦夷の捕虜、俘囚であったのが朝廷の東北進出を機に脱出、再度朝廷に帰順を願い出て、それが聞き届けられたという話があるのですが、この片岡の里とは、現在の和歌山市の刺田比古神社周辺なのです。この神社の境内には岡の里古墳というのがあり、紀伊国在住の大伴氏のものであるとされています。また、それ以前にこの刺田比古とは大伴狭手彦のことであり、それらのことからまあ、古墳時代からこの辺りには大伴氏が住んでいたようです。しかし、この続日本紀の記述と刺田比古神社、岡の里古墳を結びつけた記述はこれまでに読んだ記憶がありません・・。ともあれ私は和歌山市に行きますと、大体この刺田比古神社に参拝に行きます。何故だかよくわかりませんが・・。しかしそういうのはあまり理由を考えても仕方のないことなのかもしれません。」

A「ええと・・刺田比古神社は知っていますよ。有名な八代将軍徳川吉宗のことを調べますと、大抵その出生後すぐのあたりで出てきますね。現在でしたらたしか巨石と陸奥宗光の銅像と機関車のある岡公園の近くにあるところですよね・・?」

B「ええそうです。そういわれますと大伴氏の末裔は「岡」のつく苗字の方が多いのかもしれませんね。あと和歌山でしたら和佐という苗字も大伴氏の後裔です。これは三十三間堂通し矢で有名な和佐大八がそうですね。ですから和歌山は旧国造家紀氏が現在も神主として存続しているという意味で出雲熊本と似ているのですが、同時にその周辺に古来よりの神社もまた、さりげなく存続しているという意味で大変貴重であり且つ面白いと思います。」

A「はあ、なるほど・・日本も見ようによればなかなか面白いですね(笑)。」

B「ええ、私はそう思っています。」